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番外編[エイプリルフール]

 僕は今、勇気を振り絞ろうとしている。エイプリルフールだから、颯太に嘘をついてみようと思う。  ほんの出来心。どんな顔をするのか、気になっただけ。  午前中はもうすぐで終わるからちょっとの間だし。  言い訳めいたことを次々考えながら、部屋のソファに座る恋人に近づく。 「……颯太、言いたいことがあるの」 「んー?」  ソファの前にしゃがんで颯太の顔を覗く。颯太はスマホを置いて僕を見つめ返した。  心臓の鼓動がかなり大きく早い。少し震える唇で一回深呼吸した。 「僕、颯太に可愛いって言われるの、いや」  言い切った。双眸を見つめて言い切った。  僕の中には達成感が満ち溢れる。  昨日から考え抜いたんだ。嫌いなんてありがちなのは即嘘だとわかるから、僕が本気で思っていそうなことを。  颯太に可愛いって言われるのは何故か嬉しい。でも僕だって男だからかっこいいの方が嬉しいんだ。  その思いは颯太も気づいているだろうから、かなり信憑性のある嘘だ。  興奮した僕は颯太の顔を見ずに続ける。 「いつも嬉しそうに言ってくれるから、今までずっと言えなくて……。ごめんね……」 「……そっか」  沈んだ返事が返ってきて、やっと僕は颯太を見た。目の前の顔は驚きとショックに塗られている。  嘘が通じている。成功だ。  漏れそうな笑みをこらえて切実そうに颯太を見つめる。これをちょっと続けたら、ネタバラシだ。あまりに引き延ばしたら可哀想だし。 「……実はね、おれも黙っていたことがあって」 「……え?」  ネタバラシの前に颯太が話し出してしまう。  僕の正直に颯太も返すつもりなんだ。颯太が黙っていたことってどんなのだろう。僕には想像もつかない。  僕は嘘もネタバラシも忘れて颯太に見入った。 「……ずっと言おうか迷っていたんだけど……本当は動物に興味ないんだ……」 「そ、そうなの……?」 「うん……」  颯太の言葉に大きな衝撃が胸骨のあたりから足先まで抜けていく。  じゃあ今まで行った動物園や水族館は、僕一人で楽しんでいたことになってしまう。颯太は僕が喜ぶだろうからと無理してついてきたってことだ。  内心はつまらないのに、わざわざ、僕のために。 「……ご、ごめんね。じゃあ今度からは颯太の好きなとこ……」 「いや、いいんだ。俺は亜樹の喜ぶ顔が見られたら」 「でも……」 「いいから。ね?」 「颯太……」  颯太の優しい笑顔に何も言えなくなる。だが本当にこれでいいわけない。  颯太も楽しむからこそ、デートなのだ。片方に無理して合わせるような関係では、あっという間に瓦解してしまう。  でも颯太は僕が動物好きだってわかってしまっているから、次からどうすればいいんだろう。どう言い訳したら納得してくれるだろう。  そもそも今までどうして僕は気づけなかったんだ。自分の気分を高揚させてばかりで、颯太のことを本当の意味で見ることができていなかったことになる。  こんなの恋人失格だ。 「ふふっ……」  目の前から、笑い声。 「颯太……?」  颯太は楽しそうに頬笑んでいて、僕は慌てて時計を見る。時計はちょうど十二時を示していた。 「可愛いねぇ、あーき」 「なっ……も、もうっ!」 「俺が騙されるわけないじゃん。可愛いって言うと物凄く嬉しそうな顔するくせに」 「してないもん……」  本当に敵わない。結局また僕は掌の上で転がされていたみたいだ。  せめて騙している最中に颯太の顔を見ていれば。いや、見ていたとしても無駄だったろう。  とにかく全て操られていたことが悔しいような、恥ずかしいような。 「あっ……嘘、だよね?」 「え?」 「さっき、颯太が言ったこと……」 「ああ、動物の? もちろんエイプリルフールだよ」 「よかったぁ……」  ほっと胸を撫でおろす。嘘に本心が混じる可能性もあるけど、どうやら大丈夫みたいだ。 「ほら、亜樹もソファ座りなよ」 「うん」  ソファによじ登って颯太の隣にくっつく。颯太の腕が腰に回る。どうしようもない幸福を感じた。  お互いの愛を感じる何気ない日常は、エイプリルフールだろうと、何だろうと、いつだって嘘偽りのないものだった。

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