946 / 961

番外編[オンディーヌと眠り]

「オンディーヌの呪い、か……」 颯太の小さな呟きが横から聞こえてきた。絶望と、驚きと、哀しみと。辛い感情がたくさんこもった声に、つきんと心臓が痛む。 頭を颯太の肩に乗せ、颯太の手に僕の手を伸ばす。手の甲に指先で触れると、きゅっと僕の手は握られた。 先天性中枢性肺胞低換気症候群。別名オンディーヌの呪い。 僕の体は、そんな名前の病気にかかってしまった。 寝たら呼吸が止まって死んでしまう。生きるには呼吸器が必要不可欠。一生、呼吸器と共に生きていく。 一人で病院を訪れて、そんなことを告げられて。家に帰ってから泣いてしまった。颯太に電話をかけて、また泣いてしまった。 だから颯太は駆けつけてくれた。遠い東北の地に。大学を放り出して。 「お伽話みたいな名前だよね」 「本当に」 鼻を颯太の首に擦り付け、すんと息を吸う。颯太の爽やかな香りが鼻腔を走っていく。 ああ、幸せだな、なんて。 開けたままの窓から風が入り込み、レースカーテンを揺らす。月明かりが細く差し込み、フローリングを白く照らしていた。 大学は退学だろうか。ずっと病院で暮らすのだろうか。お金はどうなるのか。僕の人生って。どうなるの、だろう。 「亜樹、俺が一緒だよ」 「……ごめん、なさい」 「……どうして?」 「顧問、弁護士……」 くすりと颯太が笑う。静かに頭が揺れた。 「亜樹がいてくれたらいいよ」 「でも……でもね……」 「うん。そうだね」 颯太の隣に胸を張って立ちたかった。九条の顧問弁護士になると誓った。他にもまだいっぱいある。颯太としたいこと。颯太と一緒にいる以外に、したいこと。 酷い。運命は残酷だ。 気づけばほろほろと涙が流れている。 「亜樹……大丈夫……」 颯太は僕をきつく抱きしめて、背中をこすってくれた。ただ名前を呼んで、「大丈夫」と繰り返していた。 それがどうしようもなく幸せで。それだけは確かで。確かなことが僕にとっての救いで。 きっと颯太がいるから、平気なんだと思える。 「……颯太、眠っても、いい?」 「うん。いいよ。俺がそばにいるから」 颯太の胸の中で視線をあげる。柔らかく微笑んだその表情に僕は自然と破顔した。 そして眠気に任せて、瞳を閉じた。

ともだちにシェアしよう!