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番外編[オンディーヌと眠り]
「オンディーヌの呪い、か……」
颯太の小さな呟きが横から聞こえてきた。絶望と、驚きと、哀しみと。辛い感情がたくさんこもった声に、つきんと心臓が痛む。
頭を颯太の肩に乗せ、颯太の手に僕の手を伸ばす。手の甲に指先で触れると、きゅっと僕の手は握られた。
先天性中枢性肺胞低換気症候群。別名オンディーヌの呪い。
僕の体は、そんな名前の病気にかかってしまった。
寝たら呼吸が止まって死んでしまう。生きるには呼吸器が必要不可欠。一生、呼吸器と共に生きていく。
一人で病院を訪れて、そんなことを告げられて。家に帰ってから泣いてしまった。颯太に電話をかけて、また泣いてしまった。
だから颯太は駆けつけてくれた。遠い東北の地に。大学を放り出して。
「お伽話みたいな名前だよね」
「本当に」
鼻を颯太の首に擦り付け、すんと息を吸う。颯太の爽やかな香りが鼻腔を走っていく。
ああ、幸せだな、なんて。
開けたままの窓から風が入り込み、レースカーテンを揺らす。月明かりが細く差し込み、フローリングを白く照らしていた。
大学は退学だろうか。ずっと病院で暮らすのだろうか。お金はどうなるのか。僕の人生って。どうなるの、だろう。
「亜樹、俺が一緒だよ」
「……ごめん、なさい」
「……どうして?」
「顧問、弁護士……」
くすりと颯太が笑う。静かに頭が揺れた。
「亜樹がいてくれたらいいよ」
「でも……でもね……」
「うん。そうだね」
颯太の隣に胸を張って立ちたかった。九条の顧問弁護士になると誓った。他にもまだいっぱいある。颯太としたいこと。颯太と一緒にいる以外に、したいこと。
酷い。運命は残酷だ。
気づけばほろほろと涙が流れている。
「亜樹……大丈夫……」
颯太は僕をきつく抱きしめて、背中をこすってくれた。ただ名前を呼んで、「大丈夫」と繰り返していた。
それがどうしようもなく幸せで。それだけは確かで。確かなことが僕にとっての救いで。
きっと颯太がいるから、平気なんだと思える。
「……颯太、眠っても、いい?」
「うん。いいよ。俺がそばにいるから」
颯太の胸の中で視線をあげる。柔らかく微笑んだその表情に僕は自然と破顔した。
そして眠気に任せて、瞳を閉じた。
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