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ここから一歩15
口を開こうとしたが、その前に久志さんが声を発する。
「何はともあれお前に大切な人ができてよかったと思ってるよ」
「……そう」
「本当にいいんだな」
その言葉にどきりとする。
あくまで会話の流れで自然と出た言葉。でも真面目な響きを帯びている。
同性同士。
それは当人や周りの人間が認めたとしても、否定的な意見は多い。だから久志さんは大人として最後に確認したんだと、僕はそう思っていた。
「いいも何も、もう手放せないんだ。亜樹は俺に必要な存在。だから何があっても守る」
「おう。わかった」
颯太の真剣な返答に鼻の奥がつんとする。颯太の胸にまた顔をうずめて、腰に手を回す。
こんな風に考えてくれていたなんて知らなかった。大事にされていることが、すごく伝わってきて嬉しい。
僕も颯太が必要で大事だって言おうとしたけど、言葉にできそうにないからやめた。
その代わりさらに腕に力を込める。
「ところでおれの飲み物はねぇの?」
「あるわけない。自分で用意しろ」
「冷たいねぇ」
一気に場の雰囲気が変わる。
久志さんは空気の変え方が上手だ。思わず笑みを浮かべてしまう。
「亜樹、俺の部屋行こう」
「え」
「おれは?」
「おっさんを避けるために行くのに?」
「かーっ、酷い酷い」
颯太の冷たい言葉に久志さんは楽しそうに笑う。酷いことを言われているのに、なんだか嬉しそうだ。
普段は会話しないと言っていたから嬉しいのかもしれない。
そんな久志さんの様子を呆れたように見た颯太は立ち上がる。僕の手を取って立ち上がらせ、その後ローテーブルの紅茶を両手に持った。
「こっち」
「うん」
僕には優しく微笑みかける颯太は、そのまま奥のドアに向かう。二つあるから片方が颯太、もう片方が久志さんの部屋なのだろう。
「亜樹ちゃん」
「はい?」
颯太についていこうとすると、久志さんが僕を引き止める。颯太には聞こえなかったのか、振り返らず進んで行った。
行き先がわからなくなることはないし、僕は久志さんの方を向く。
「颯太のこと、頼むな」
表情は笑顔。颯太に似た優しい笑顔だ。
だけどどこか強張っていて、僕の返事を恐れているようにも見えた。
何でかは僕にわからない。だがそれで返事が変わることはない。
「はい。僕にとっても、颯太は大事な人です」
「おう」
僕には珍しく歯切れのいい言葉で言うと、久志さんの目元にしわが増える。そして頭を撫でられた。
僕も笑みを返して身を翻す。颯太はドアに辿り着きそう。
僕はその背を軽い足取りで追った。
初めてできた恋人の身近な人に、その存在を任された。関係を認められた。
そんな風に考えて浮かれていたこの時の僕は、まだ知らない。
颯太のあの宣言も、久志さんの言葉も、僕が考えていた意味とは違うことを。もうカウントダウンが始まっていたことを。
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