142 / 961
片影6
ぼんやり宙を眺める。
窓から裸足の足をぶら下げて、腕は力なく垂らして。
眠れなかったわけではない。夜中に起きてしまったのだ。当然隣は空っぽで、生温かい風が通り抜けていく。
そういえば前にもこんなことがあった。あれはいつだったか。そう、五月も終わりに近づいた頃だ。颯太がテスト前だから来ないと宣言した後の一日目。まだ、コウだった時期。
なんだか遠い昔のようだ。実際あの時はまだ春だったのに、もう夏が近い。夜は涼しいのではなく、だんだん蒸し暑くなり始めた。
もう、二ヶ月だ。颯太と出会って、二ヶ月。
夜中だけ会う日々は本当に楽しかった。僕にとって"コウ"との時間は、まるで宝石のように輝く思い出だ。
そして今はもう颯太との時間が始まっていて、少しずつ一緒の時間や想いを重ねていっていて。
もしこれも、もう思い出に、変わってしまったら。
嫌な予感を慌てて打ち消す。
でもならこれからどうすればいいのか。久志さんは僕に協力する様子はない。清水くんはいるけど、校内に颯太を知る人がどれほどいる?
手がかりは、何もない。八方ふさがりというやつだろうか。
俯いて手の中を見る。黄色くて丸っこいリスと、黄色よりはリアルタッチのリス。颯太が僕に似ていると言っていた動物。
掌で二匹をころころ転がしてみる。
『俺を一番可愛がってね』
思い出って、残酷だ。何もこんな時にこの記憶を引っ張りださなくてもいいじゃないか。
あのデートの日、あの言葉の後、僕は精一杯になりながら当たり前って答えた。だって颯太は一番大切な人だから。
そんな前のことではないのに、この記憶も大昔の化石みたいだ。頑張らないと掘り出せなくて、不用意に触れたら割れてしまうかもしれない。
「可愛がりたくても……可愛がれないよ……」
無意識に呟いた言葉が僕の耳に届く。声という形になると、急に現実味を帯びたような気がする。
もう会えないのではないかって、思えてくる。
目の前のリスが歪む。だめだと思っても止まらなかった。
痛い。苦しい。辛い。怖い。淋しい。
颯太に会いたい。颯太に触れてほしい。いや、そんな高望みはしない。
無事な姿を見たい。僕なんかどうなってもいいから、颯太を見つけたい。無事に戻してほしい。
それだけで、いい。
服の胸元をぎゅっと握って、空いた手は前に伸ばす。
その手は、空を切った。
涙に濡れた目をこじ開けて、空を見る。だけど救いはなかった。月どころか星もない。全て雲に覆われて、真っ暗だ。光は何もない。僕の未来かもしれない。
そう思うとまた涙が出る。一人だからと馬鹿みたいに声を漏らした。
黒、僕を覆う黒。
いつでもこの色は僕を追い詰める。手なんか差し伸べてくれない。
落として、おとして、堕として、終わり。どんな黒も、そうなんだ。
いつだって、黒は……
「ーー」
声も、涙も、止まる。僕の視界は相変わらず暗い。でも、でも、黒って。
目元を乱暴に拭うと僕は立ち上がった。窓を閉めて大人しく布団に入り、硬く目を閉じた。
ともだちにシェアしよう!