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別離こそ5
○ ● ○
「ーー颯太!!」
こういうことだ。父が楽しそうだったのは、こういう。
「よかった……颯太、やっと、見つけた……」
亜樹は随分と息を切らしている。誰か、おそらく柊あたりに聞いて、駆けつけてくれたんだろう。
久しぶりに見た亜樹に愛しさがこみ上げる。
本当は今すぐ駆け寄って、触れて、抱きしめて、キスをしたい。また一人にしてごめんって言いたい。
でも、俺は、やらなければいけない。
「ごめんね、亜樹。黙っていなくなって。俺、実は九条の長男なんだ」
階段の下の亜樹を見る。
恐ろしく冷たい目で、口角を上げて。
目が合うと亜樹は驚いたように俺を見つめる。どうやら演技は成功のようだ。
一つの関門は突破だ。そして、もう一つ。
小さく息を吸って、
「だから、別れよう」
最低な言葉を吐いた。
その瞬間、まるで全ての音が遠くなったかのようだった。ぴんとその場が張り詰めて、亜樹の息遣いだけが聞こえそう。
それから色も失われ、灰色で構成された世界に、俺と亜樹だけが色を持っている。
なおも冷たい瞳で亜樹を見つめる。
亜樹の黒髪も、亜樹の綺麗な瞳も、亜樹の赤い唇も、全部、よく見える。俺が大好きな亜樹。俺の亜樹。もう一緒にいることのできない、亜樹。
それからどれくらい時間が経ったろう。亜樹は身動きをせず、目を見開いたまま俺を見ていた。
だがやがて現実を認めたくないのか、亜樹は首をぎこちなく振り、震える口を開けた。
「ど……して……」
その言葉でその場が全て元に戻る。
音も、色も。
「跡を継ぐためにかなり忙しくなるんだ。だから亜樹に構っている暇はない」
声が震えないように。決意の固さを示すために。
一番、
「それにさ、いずれ俺には跡継ぎが必要になる。その時に亜樹は、邪魔なんだ」
酷い言葉を。
亜樹の目が見開かれ、口が餌を求める魚のように何度も開閉する。だが声が漏れることはなく、亜樹はその場にへたり込んだ。
俺はそれを見て身を翻す。既に歩き出した男についていく。
「いや……、そうた、待って……」
亜樹のか細い声が聞こえてきて、拳を握る。
振り向くな。耐えろ。お互いのために。
男の背中を睨むほどに強く見て、ただひたすら脚を前に出す。
「約束、守れなくてごめん」
一言、呟く。もちろん亜樹には聞こえない。
俺にしか、聞こえない。
ーーねぇ、亜樹。
亜樹を初めて笑顔にしたのは、確出会って二日目のことだったね。無理やりに作った痛々しいものだった。そんなスタートを拭うように、俺は亜樹を笑わせようと、頑張ったんだ。
実際、亜樹は何度も笑ってくれて、その度に愛しいと思った。
でも、同じくらい辛い思いもさせた。泣かせたことだってあった。
今だって、そう。最後に見る最愛の人の表情が、辛さに歪んだものなんて、俺は男失格だ。
約束だって、破った。
一人ぼっちが怖い亜樹を、また一人ぼっちにするなんて。
だけどこれが最善の選択。これしか道はないんだ。
唇を引き結び、まっすぐ前を見据える。
男が廊下に通ずるドアを開けた。そこを抜けると、背後でドアが閉まってバンッと音が鳴る。
決別の音だ。
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