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泥船渡河3
「社長、随分と雰囲気が柔らかくなったみたいね」
次の場所に向かいながら、ふと下田さんが話し出す。
「やっぱりそう思いますか」
「ええ。少し驚いてしまうくらい。頼むなんて初めて聞いたわ。颯太くんの影響だったりするの?」
「あー……まあ、たぶん。そんな感じです」
「ふふ、何それ」
下田さんから見れば社長の息子だろうに、媚を売ったりする様子はない。いい人でよかった。
美人で、仕事もでき、いい人でもある。完璧とはこういう人のことを言うのかもしれない。
下田さんと一緒に歩いていると社内の男性陣が振り返る。
「下田さん、その子は?」
「あら、富田さん。社長の息子さんです」
すると一人の男性が話しかけてくる。下田さんは富田さんと言う男性に綺麗な笑顔を向ける。
社長の息子と聞いた途端、富田さん含め周りの男性がホッと息を吐いた。恋人とは思わないが、一緒にいるなら気になるのだろう。
高嶺の花でマドンナ。そんな立ち位置なのかもしれない。
「息子さん! こんにちは」
「ああ、こんにちは」
「今日はどうして? それになぜ下田さんと?」
「社内見学に来ました。下田さんは父の頼みで俺を案内してくれています」
「なるほど。好きなだけ見学していってください」
「ありがとうございます」
ついでに言えば息子だとわかってから明らかに目つきが変わった。まあ、いい顔しておけばいずれ役に立つと思うのも無理はない。
それにも無難な笑顔を返しておいた。
富田さんが去っていくと、歩みを再開する。
程なくしてガラスの壁に囲まれた部屋についた。下田さんに続いて中に入る。
中はシンプルなテーブルとイスが置いてある。
「ここは主に外部の方々や顧問弁護士の方と話す場所なの。このガラスは防音ばっちり」
下田さんは茶目っ気のある様子でコンコンッとガラスを叩いた。そしていたずらっぽい笑みを広げて、俺に一歩近づく。
「ここだけの話、顧問弁護士の方たちをもう少し有能な人に取り替えて欲しいなって。こういうのは社長とじゃ聞けないわよ」
「そんなこと言っても平気なんですか」
まさかの情報に思わず笑ってしまう。
真面目なだけではなく、ふざけることもあるみたい。ますます好感の持てる人だ。
「そのための防音よ」
「いやいや、用途違います」
「あは、ばれちゃった」
白い歯を見せて笑った下田さんは、俺の背を押しつつガラスの部屋を出た。
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