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邂逅と厭忌は紙一重5
息を小さく吸って、震えないようゆっくり話す。
「……別れません」
「別れた方が幸せよ。男同士なんて」
「万が一、僕が別れを切り出しても、颯太が受け入れないです」
「あら〜、自信満々」
「……っ」
パンッと鋭い音が空気を切り裂き、僕の顔は無理やり右に向けられた。
腕を掴まれた時もそうだけど、この人かなり力が強い。頬がじんじんする。
それでも僕はまた顔を下田さんに向けた。
「それに、僕たちが別れたとしても、颯太はあなたみたいな見た目だけの人間を選びません」
「生意気ねぇ」
また鋭い音。
今度は反対の頬だ。
跡でも残ったらどう颯太に説明するのだろう。
「別れなさいよ」
「無理です」
鋭い音。右を向く顔。
「安心して。優しくて、大人っぽいけど、まだまだ子供な颯太くん。もう少し時間をかければ落とせると思うのよ」
「……今のうちに諦めた方が身のためです」
「ほんと生意気ね」
今度は左を向く顔。痛い。かなり痛い。
「でーも、目が潤んでるわよ。怖いのね」
「あなたの綺麗に手入れされた長い爪が、目に入ったのかもしれません」
「怖いくせに意地張らないの」
またもやパンッという音。
「一方的にぶたれて、怖くて、それでも颯太くんのために頑張るのね。全ては大好きな恋人のために。大好きな、颯太くんの、ために」
下田さんが顔を近づける。
変わらず綺麗な笑顔だった。
しかし、
「キモいんだよ、ホモ野郎」
その笑顔が、一瞬で消える。
心臓のあたりが締め付けられるように痛んだ。
「なんで私が男に負けなきゃいけないの? あんたみたいな地味で、臆病で、綺麗でもない、平凡な、男に。女じゃない。男。ほんと意味がわからない」
下田さんはやっと僕の胸ぐらを離す。少し浮いていた体が床をとらえた。
下田さんは苛ついて溜め息を吐きながら僕に背を向ける。
自身の頬に手を触れてみると、熱を帯びていた。
「男同士とか気持ち悪い。ありえない。ありえないから」
完全に演技をやめた下田さんが僕を睨んだ。
「言っとくけど、私諦めないから。覚悟しておくことね」
僕を指差すと彼女は先にトイレを出て行った。
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