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憂懼か百福か9

「それで結局父さんとは何話したの?」 「亜樹って呼んでいいか聞かれた」 「受け入れたの?」 「うん」 何の疑問もなく僕が言い放つと隣から嘆息が聞こえた。 「そうなんだけどね……そうなんだけどさ……俺以外に亜樹って呼ぶ人いなかったのに……」 「でも近しい人はそう呼びたいって嬉しかったよ」 「うん、それもわかるんだけどー……」 颯太は僕の言葉を聞いてもいじけている。 母さんが亜樹と呼ぶのと同じだと思えばいいのに。まあそうやって割り切れたら嫉妬はこの世から消えるのかもしれない。 それになんにせよ僕のことでこうやっていじいじしてくれるのは嬉しいし、可愛い。 「それに俊憲さんは……」 鋭い眼光が僕を射る。どこぞの殺し屋だってぐらい素早かった。 颯太は僕に驚愕の表情を見せたあと、すぐに納得した顔になる。 「もう亜樹ってばほんとさ……」 そして嘆く真似をする。 柊先輩や俊憲さんって呼び名はそんなにショックだろうか。下の名前って確かに大きいのかもしれない。 でも今の颯太はとにかく可愛かった。さっきまで僕が甘えていたのに今は逆というか。 「颯太、キスしよ……?」 この甘くて可愛い雰囲気のせいか、僕はすんなり願望を口にできた。 颯太の少し尖った唇と丸くした目。 「今はだめ」 「え……?」 颯太はにまりと笑うと人差し指で僕の唇を押さえる。自然と寄り目になった。それに颯太はくすりと笑うと、僕を押し倒してきた。 今はだめってまさかそういうこと? もう今から始めるから、まだキスはしないってこと? 今は昼間だし、そもそも実家でするなんて、同じ過ちはもう犯さない。犯したくない。 「颯太、あのやめっ……」 「俺も眠くなってきたから昼寝しよう」 「……え?」 焦りは綺麗に裏切られた。 颯太はそのまま横向きになる。向き合う形で抱きしめられ、颯太は僕の目の前で目を閉じた。 僕は一回深く息をして心臓を落ち着けた。 颯太といると早とちりをすぐしてしまう。冷静に考える脳を失っている気がする。 隣からすぐに規則正しい呼吸音が聞こえてきた。寝るの早い。 颯太の閉じられたまぶたや長いまつ毛を観察していたら、僕も先ほどの眠気を思い出していく。午後の陽気は実に眠りを誘うものだ。 そしてするすると眠りに引きずられた。

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