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4章 ベルシュタット城下町

 城下街を散策していたところ、 「よう、バルカ! こないだは酒奢ってくれてありがとな!」 「オルグの兄ちゃん、うちの商品も見てってくれよ!」 「おっ、バルカじゃねえか。今日はニコラス王子と一緒じゃないのか?」  と、行く先々で話しかけられた。あの夜、酒場で知り合った男たちだ。  あの一件で顔見知りが増えた。おかげで、近頃はこうして街を歩けば声を掛けられるまでになっていた。 「今日は非番なんだよ。――あ、そうだ。フーゴの店がどこにあるか知ってるか?」 「鍛冶屋なら、この通りを左に曲がったところにあるよ」 「そうか、助かった。ありがとな」  酒場で稼いだ二十万デールについては「好きなものに使え」と言われているが、バルカは何に使えばいいのかわからなかった。奴隷としての生活が長すぎたせいか、金を得ても欲しい物が浮かばないのだ。オルグは無給で働かされることが常であって、こうして報酬をもらうのも初めてなのだから、無理もなかった。  悩んだ末、まずは職務上必要なものを用意することにした。 「よう、フーゴ」 「おお、バルカじゃないか。よく来たな」  バルカはまず鍛冶屋を訪れた。  店主のフーゴにいくつかの剣を見せてもらった。少し重量のある鋼製の剣を握り、バルカは「良い剣だな。これを二本くれ」と注文した。 「盾は持たないのか?」 「俺はな、闘技場では『双剣のバルカ』って呼ばれてたんだ」  バルカは得意げに答えた。  右手にも左手にも武器を握る、それがバルカの戦い方だった。攻撃を盾で防ぐことをしない刺激的な戦法は観客を大いに沸かせたものだ。  品代を支払い、受け取った剣を腰に差していると、 「そうだ、バルカ。ニコラス王子に伝えといてくれ。最近また腰をやっちまったから、あの湿布薬がほしいって」  と、フーゴが言伝を頼んできた。 「なんであいつに? この街には医者がいないのか?」 「昔はいたんだよ。金にがめつくて、法外な治療費を請求してくる町医者がな。貴族や金持ちばかり相手にして、貧乏人は診てもらえなかった」 「そりゃ最低だな」  フーゴは頷き、歯を見せて笑った。 「それを知ったニコラス王子がお怒りになって、代わりに魔術で俺たちの治療をしてくれるようになったんだ。王家お抱えの薬師に命じて薬を作らせて、街の人間に無償で配ってくれてさ」 「あの王子が、そんなことを……?」  信じられない話だ。バルカは驚き、目を丸めた。  これまでに自分が目にしてきた王族や貴族という存在は、私利私欲のために貧乏人を犠牲にする連中ばかりだった。私腹を肥やして下の者を飢えさせ、使えなくなったら捨てる。それが当たり前だった。 「あの人、王子のくせによく街に出てるだろ? いつも病人や怪我人がいないか、見て回ってるんだよ」 「知らなかった。てっきり酒場で賭けをするためだと思ってたぜ」 「まあ、それもあるか」  顔を見合わせ、声を上げて笑う。  フーゴの話によると、件の町医者は商売上がったりで、荷物をまとめて国を出て行ったという。  ニコラスを恨んだその男は、その行く先々で吹聴して回った。ベルシュタットには血も涙もない魔術師がいる、と。  その魔術師は、自身の利益のために商売敵である自分を追い出した。自分はそいつに殺されそうになり、命辛々ベルシュタットから逃げてきた――そんな町医者の戯言が、いつしか姿形を変え、人々の間に広まっていった。  ベルシュタット王国には、指を鳴らすだけで人の命を奪うことができるほどの力を持つ、冷酷非道で恐ろしい魔術師がいる――と。 「それじゃあ、あの、ベルシュタットの魔術師の噂っていうのは――」 「逆恨みした町医者のデタラメだ」  それが事実だとしたら、話が変わってくる。  ニコラスがフーゴの言う通り、心優しい国民思いの王子であるならば――オルグとの戦争において卑怯な手を使ったのは、大事な市民を守るための苦肉の策だったのかもしれない。城下町に被害を出さずに戦いを終わらせるには、自身が魔術を使って敵を捕縛するほかなかった。  裏を返せば、彼にはベルシュタットの民が第一なのだ。バルカを含むオルグたちが、彼の大事なものに害をなす存在に変われば、迷うことなく処刑するだろう。  あの男の優しさは人間にのみ向けられるもの。それを忘れてはならない。バルカは再度、胸に刻んだ。   ■ ■ ■  鍛冶屋を出てからしばらく歩いていると、賑やかな場所にたどり着いた。  街の市場だ。様々な露店が並んでいる。 「やあ、バルカ」  行商人のザルーハが声を掛けてきた。 「どうだ、この街にはもう慣れたかい?」 「まあな」  バルカは頷いた。  知り合いが増えたおかげだろうか。初めてロイに案内してもらったときは余所余所しかった街の雰囲気も、今では随分と穏やかに感じられる。 「良い街だろう?」  訊かれ、バルカは「そうだな。活気がある」と答えた。  バルカは十五のときにドルガ帝国城下街の奴隷市で競りに掛けられ、国内の剣闘士養成所へ売り飛ばされた。街というものを見たのはそのとき以来だが、ここの国民は帝国に比べてのびのびと暮らしているように感じた。街行く人々にも笑顔が多く見られる。 「ニコラス様のおかげだよ」  と、ザルーハが付け加えた。ここでもまたあの王子の名前が出てきた。 「ベルシュタットは小さい国だろ? いくら同盟を結んでいるとはいえ、いつ他の国に攻め込まれてもおかしくはない。だから昔は軍事費が嵩んでさ、俺たち国民は重税と徴兵を強いられ、生活が苦しかったんだ」  それが、五年前にニコラスが帰国し、政治に参加するようになったことで、国が変わっていったという。これまで税金をかけて解決していた事柄を、彼が魔術を使って解決することで、国民への皺寄せが減ったそうだ。  ロイの言葉を思い出す。 『確かに、ニコラス様は少し取っつきにくいところもあるけどさ、本当は優しい人なんだよ。国民にも慕われてる』  たしかに、これなら慕われて当然だ。町医者の一件といい、彼の功績は大きい。  ザルーハは「あの人はこの国の要だ。しっかり守ってやってくれよ、近衛騎士殿」と一笑し、バルカの胸を軽く小突いた。 「ってことで、何か買ってってくれよ。安くするからさ」  ザルーハの店には腕輪や指輪など、様々な色や形の装飾品が並んでいる。元奴隷のバルカにとっては初めて見る物ばかりだった。 「これは幸運のお守りだよ。ここに刻まれてる文字は、古代ターランド語で『汝を災いから守る』って意味なんだ」  オルグの殆どは識字能力がない。バルカも例外ではなかった。現代ターランド語の読み書きすらできない自分にとって、古代語は子供の落書きのようにしか見えなかった。  商品を説明するザルーハに、 「俺はこういうのは付けねえからなぁ」  と、バルカは首を捻った。 「だったら、誰かに贈りなよ。こっちの指輪に書かれてる文字はね、『永遠の愛を誓う』って意味だ。女にやれば喜ぶよ」 「贈る相手がいねえよ」 「なら、酒はどうだ? これはハイトラーデン地方で作られる葡萄酒だ。ニコラス王子の好きな酒だよ」  その名前に、何故か反応してしまった。 「……じゃあ、それでいい」   ■ ■ ■  葡萄酒を購入しても金はまだまだ残っていた。  腹も減ったし食べ物でも買うかと街を散策していたところ、ふと背後に殺気のようなものを感じた。  どうやら、何者かが自分の後を付けてきているらしい。  新調したばかりの剣の使い心地を試すには丁度いい機会だろう。バルカはあえて細い路地に入り、相手を誘い込むことにした。  だが、剣を抜くまでもなかった。  襲い掛かってきた相手が振り回していたのはただの棒切れで、目の前に現れたのはバルカの背丈の半分もない、小柄な少年だった。  見覚えのある顔だ。すぐに思い出した。 「お前……こないだ俺に石投げてきやがったクソガキじゃねえか」  石ころの次は棒切れ。襲撃にしては可愛いげがあるが、こうも何度も絡まれると無視はできなかった。  どうしたものかとバルカが内心眉を顰めていたところ、 「この、人殺し!」  と、少年が叫んだ。 「……あ? なんだと?」  聞き捨てならない。バルカは少年を見下ろし、睨みつけた。  だが、少年の反抗は止まらない。棒切れでバルカの腹を何度も叩きながら、叫び続ける。 「人殺し! 人間殺しの怪物め!」 「おい、いい加減に――」 「俺の父ちゃんはな、お前らオルグに殺されたんだ!」  バルカははっと息を呑み、口を噤んだ。  少年は目に涙を浮かべていた。 「父ちゃんは、ただの農夫だったんだ! ただドルガ軍に頼まれて駐屯地に食料を運んでただけだ! それなのに、お前らオルグは……っ!」  少年の父親の身に何が起こったのか。すべてを察し、バルカは何も言い返せなくなってしまった。  かの戦争で、敵軍の駐屯地を襲ったことは何度もある。生きるためには仕方のないことだった。  だが、その行為が彼のような孤児を生み出していることまでは、考えが回らなかった。そんな余裕はなかったのだ。 「いつか、お前を殺してやる!」  バルカは威嚇する少年の首根っこを掴んだ。そのやせ細った体は、片手で容易く抱え上げられるほどだった。 「こんな体じゃあ、俺は殺せねえぞ」  離せ離せと喚く子供を地面に下ろし、 「これでうまいもん食って、肉付けろ」  と、バルカは残りの所持金を差し出した。  ざっと数えて八千デール。これだけあればふた月は食料に困らないはずだ。 「俺を殺したいんだろ? だったら食え。でかくなったら相手してやる」  それでも少年は受け取らなかった。「馬鹿にすんな」と吐き捨て、走り去ってしまった。  その小さな背中を見つめながら、バルカは深い溜息をつくほかなかった。       ■ ■ ■  城に戻った頃には日が暮れていた。  自室の前の廊下でちょうどニコラスに出くわした。腕に酒瓶を抱え、腰に二本の剣を下げたバルカを見て、主は「街に行ってきたのか?」と尋ねた。 「剣を買いにな。近衛騎士が丸腰じゃ格好がつかないだろ」  ニコラスは「そうだな」と頷いた。 「やはりお前には双剣が似合う」 「知ってんのか、俺のこと」 「昔、お前の試合を観たことがある。闘技場の主人に招待されてな」  ドルガ帝国の巨大闘技場は頻繁に大会を開き、余所の国や地方の権力者を招いていた。王族であるこの男が招待されていてもおかしくはない。地位の高い人間には剣闘好きが多く、悪趣味なことに、酒を飲みながらオルグの殺し合いを愉しむことが上流階級の間での流行りであった。 「――そうだ」  と、バルカは思い出したように酒瓶を差し出した。 「これ、やるよ。ザルーハにもらった」  すると、ニコラスの顔色が変わった。 「これは……私が一番好きな葡萄酒ではないか」 「へえ、そうなのか」  ニコラスは機嫌を良くしたらしい。「一緒にどうだ?」という意外な言葉が返ってきた。いつもなら断るところだが、今は酒が飲みたい気分だった。バルカは了承した。  せっかくだから星を眺めながら飲むことにしようというニコラスの提案により、二人は城のバルコニーへと移動した。椅子に腰を下ろし、空を見上げる。確かに今夜は星が綺麗だ。  まさかこの男と酒を酌み交わしながら、こうして語らうことになるとは思わなかった。少しばかりのきまりの悪さを覚えつつ、バルカは伝言を伝えた。 「フーゴが言ってたぜ。腰が痛いから湿布薬がほしい、って」 「そうか。では、明日にでも伺おう」 「意外と国民に慕われてんだな。みんな、あんたのこと褒めてたよ」  すると、ニコラスは「ほう」と珍しく口元を緩めた。 「なんだよ、褒められて嬉しいのか?」  この男でも国民から賛辞を受けるとこんな顔をするんだな、と意外に思ったバルカだったが、彼が微笑んだ理由は他にあった。 「いや。すっかり打ち解けたようだと思ってな」 「あ?」 「お前が、街の人間と世間話をするほどの仲になるとは」  はっとした。  言われてみれば、そうだ。  なんだか妙な気恥ずかしさを感じてしまい、バルカは誤魔化すように頭を掻いた。 「……そんなんじゃねえよ」  街の人間も自分という存在に慣れてきたようで、最近は気さくに接してくれることが増えた。  だから一瞬、希望を抱いてしまった。この国なら、自分たちを受け入れてくれるのではないかと。  想像してしまった。オルグの仲間たちがこの国で生活している姿を。  市場で買い物し、酒場で酒を飲み、他の人間と同じように働いている――そんな夢のような光景を。 「……オルグが打ち解けるなんて、ありえねえ」  だが、それは無理な話だ。夢物語だ。  オルグは所詮、嫌われ者なのだから。  バルカは一気に酒を飲み干し、言葉を続けた。 「今日、ガキに言われた。人殺し、って」  空になったバルカの杯に酒を注ぎ足しながら、ニコラスは怪訝そうな顔をする。 「どういうことだ?」 「そのガキの親父は農夫で、帝国軍に頼まれて食料を駐屯所に運んでいたらしい。おそらく、そこに俺らが攻め入って、軍の人間もろとも殺してしまったんだろうな」  必死だったのだ。生き残ることに。  軍を倒し、糧秣を奪うことだけが、バルカたちの目的だった。  その最中でまさか、あの子供の父親のような無関係な人間が命を落としていたなんて、考えもしなかった。 「人間殺しの怪物だってよ」  バルカは自嘲気味に呟き、酒を呷った。 「傷付いているのか、その子供の言葉に」  そう言われてようやく、心の中に燻っていた感情の正体に気付かされた。  確かに、傷付いているのかもしれない。  憎しみのこもったあの孤児の目が忘れられないのだ。人間を睨む自分自身の顔と、重なって見えてしまったがために。 「罪のないオルグが大勢殺された。俺らにとって、人間は皆、敵だった。人間を殺すことは正しいことだと思ってた。……けど、俺たちも同じように、罪のない人間を殺していたんだな」 「戦争とはそういうものだろう。どちらも己が正しいと信じて戦う。その結果、いつも罪のない者が犠牲になる」  あの少年の父親を手に掛けたのは、もしかしたらバルカ自身だったかもしれない。そう考えると、やるせない気分になってしまう。 「……最初は、あんたのことが許せなかった。このいけ好かないクソ魔術師を、いつか殺してやろうと思ってた」 「ほう」  ニコラスは薄く笑った。 「今は違うのか?」 「今なら、少しは理解できる。あんたは正しいことをした。あのまま攻め入っていたら、俺たちはこの街の人間を襲ってた。フーゴやザルーハ、ロイのことも殺していたかもしれない。みんな良い奴なのに……それを知らずに、ただ憎い人間だからという理由だけで、殺してたんだ」  長きに渡る奴隷戦争は、バルカたち剣闘士が養成所で反乱を起こしたことから始まった。娯楽としての戦いを強制される日々に嫌気が刺し、自由を求めて戦い、そこで半数の剣闘士が命を落とした。  その後、バルカら反乱軍は国内各地の養成所や貴族の屋敷に攻め入り、奴隷として囚われている者たちを解放した。騒ぎが大きくなるとドルガ軍が動き出し、反乱軍を制圧しようと戦争を仕掛けてきた。  交戦する度に、オルグたちは追い詰められた。  仲間を失い、戦力を欠き、疲弊していった。  この戦争で、大勢の同胞が死んだ。  故に、考えずにはいられない。  自由など望まず、あのまま奴隷として過ごしていれば、少なくとも仲間たちは命を落とさずに済んだのではないかと。  支配される立場に甘んじていた方が、幸せだったのではないかと。  これは、本当に、オルグの皆が望んだ戦争だったのだろうか。  自分たちがやってきたことは、果たして本当に正しかったのだろうか。  すべてが正当で必要不可欠なものだったと、今となってはバルカも断言できなかった。  ただ多くの犠牲を出すだけの無意味な行為だったとしたら、やりきれない。 「……俺の仲間は、無事だよな?」  生き残った仲間たちはバルカにとって最後の希望だ。  彼らを失ってしまえば、この戦いは完全に何の意味も為さないものになってしまう。仲間の死も、ただの無駄死だ。 「心配するな。解放した二十人のオルグは、今は安全なところで暮らしている」  この王子の近衛騎士となって今日で二十日が経つ。  残り三十日が過ぎれば、自分も皆と再会できる。仲間と共に生きられる。早く彼らの元気な姿が見たかった。 「お前が安心できるよう手紙でも書いてやったらどうかと提案したが、断られた。『バルカは文字が読めないから、手紙を書いたところで意味がない』と」 「ドナテロが言ってたか?」 「そうだ。よくわかったな」 「あいつは学がある。俺たちの中で手紙を書けるのはあの男くらいだ」  手紙をもらったところで、自分には読めない。  とはいえ、その気遣いは有難かった。 「……なあ、あんたは何がしたいんだ?」  バルカは尋ねた。ずっと気になっていたことだ。 「俺にこんなことをさせて、どういうつもりだ」  あの日、夜伽を命じられたときは、これから性奴隷として屈辱的な扱いを受けるものだと覚悟した。  それなのに、この男は自分を虐げるわけでもなく、近衛騎士という地位と、尊厳のある生活を与えるだけだった。 「なにか不満があるのか? 言ってみろ、改善しよう」 「そういうことじゃない」  不満がないから困るのだ。 「俺たちオルグを、どうする気だ」  この男の考えがわからない。目的がわからない。  だから、気味が悪い。  何かを隠しているとしか思えない。 「別に、取って食いやしない」 「真面目に答えろ」  上手い話には必ず裏があるものだ。  これまでオルグは人間に騙され、唆され、利用され続けてきた。自分たちに親切にしてくれる人間なんて、いなかった。 「言ったはずだ、私は約束を守る男だと。少しは信用しろ」  ニコラスはただそう答えただけだった。  裏切られるのが、怖い。この男に。  そんなことを考えてしまっている。 「……信用できるかよ、人間なんて」  彼に心を許しつつある自分に危うさを覚えながら、バルカは杯を呷った。

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