15 / 202

第15話  3-4

彼の澄んだ声が頭でリフレインしている。彼から目が離せない。 「えっと。」 「その酒はキリから言付かっていたんだ。君の一杯目に勧めるようにと。」 男は優しく微笑みながら話し続ける。ウィローは金縛りにあったように彼から目が離せなかった。 「飲んでみて。」 ウィローはようやく視線を目の前のグラスに移し酒を一口飲んだ。驚くほど瑞々しい甘味だ。 「すっごい旨い!なんだこれ!」 言ってしまった後ではっとした。目の前にいるのはキリではないのだ。 「だろ?圧倒的な透明感がありながら風味はいつまでも口の中で続く。◇◇◇国で造られる酒の極みと言われているものなんだ。」 男はウィローの言葉を気にすることなくなめらかな口調で酒の説明をした。「なんか、この人ベテランぽい。」ウィローは無意識にそう感じていた。 「えと。キリはなにか用事が?いつもこの曜日にはいるから。」 「あいつ、試験がやばいみたいだ。追試だってさ。」 ガチャ。 店のドアが開き客が二名入って来た。男の視線がそちらに動きなんとも魅力的な笑みを浮かべた。 「いらっしゃい。」 「おお、カツラ。今日はこっちか。珍しいな。」 入ってきた客は常連なのか男と親し気に話した。 「人手が足りなくて。奥にはホリーが対応している。」 「そうか。じゃ、俺たちはいつも通り奥に行くか。また来てくれ。」 客達はそう言って手を振りながら店の奥の方へ消えていった。男の名前はカツラというのか。 「さ、料理はどうする?一品目はやっぱり焼き魚?」 ウィローのことを全てキリから聞いているのだろうか?カツラの勧めるままに焼き魚を注文し、その後は彼と会話をしながら酒と料理を堪能した。 最初はカツラの存在に圧倒されたが、彼は聞き上手であるうえに気遣いも抜群だった。帰るころにはウィローは今日の時間にとても満足していた。 「またおいで。次はキリいるから。」 「はい。じゃ、おやすみなさい。」  『desvío』で新たな出会いがあった。本当に面白い店だ。働く人たちがみんな魅力的で。ウィローは自分の職場と大違いだと思わずにはいられなかった。 次に店に行くといつも通りキリが接客してくれた。 「この間の酒、すごく旨かった。ありがとう。ところで追試は大丈夫だった?」 「え?なんで追試って...。あっ、あの人だな。黙っててって言ったのに。」 キリが口をとがらせてぼやいている。ウィローは気になっていたことを聞いてみた。 「カツラさんだっけ?いつもは奥にいるの?」 「うん。カツラさんは店のオープンからいますから。大ベテランです。あの人に比べたら俺なんかまだまだ全然。」  ウィローからすればキリの酒の知識は若者にしてはかなりのものだった。しかし彼の言う通り、カツラの酒の知識は店長と似たものを感じさせた。なにか一つのことに精通している彼らがとても羨ましく思えた。 キリと他愛ない話をしながら酒を飲む。入店してから二時間ほどが経とうとしたとき、奥から人影が近づいてきた。そちらに意識を向けると彼がいた。 「いらっしゃい。こいつに追試の結果聞いた?」 カツラはキリからその件に関して口止めされていたらしいが、そんなことを全く気にせずあっけらかんと話す。 「ちょっとカツラさん、勘弁してくださいよ。」 キリがカツラの腕に手をかけた。キリはカツラにいじられてなんだか嬉しそうに見えた。 「いや、まだ詳しくは。」 「ギリギリだったんだよな?」 「もぉ。ギリギリでも通れば一緒なんですから。」 「よかったね、キリ。」 「そんな優しい言葉かけてくれるのはウィローさんだけです。」 「ウィロー、こいつを甘やかしたらだめだ。もう少しで卒業できなくなるところだったんだから。」 急にカツラに呼び捨てで自分の名前を呼ばれ、ウィローは鼓動が早くなった。「嬉しい」と思ってしまったのだ。 「ははは...。」 ウィローは笑って気持ちをごまかす。 「そんなこと言って。俺がいなくなったら絶対寂しいですよ?」 「えっ、キリいなくなるの?」 「大学卒業したら実家の仕事を手伝わないといけないんで。」 この事実はウィローには衝撃だった。せっかく仲良くなれたのに。暗い表情になってしっまたようだ。カツラがそれを見逃すはずがなかった。 「ウィロー、グラスが空いてる。なにか飲む?」 顔を見上げるとカツラが優しく微笑んでいた。 「えっと...。」 「まだそれ残ってるじゃないか。食うんだろ?」 カツラはウィローが注文した焼き魚に目を落として言った。魚にはまだ箸をつけていなかった。 「ちょっと待ってて。」 カツラはそう言ってカウンタ―の奥の方に行ってしまった。呆然とそちらを見ているとキリが話しかけてきた。 「きっとカツラさんオススメの酒を持ってくると思う。あの人、酒のセンスいいから。」 しばらくすると、キリが言ったようにカツラは酒が入ったグラスを手に戻って来た。なんの変哲もない透明な酒だ。 「ウィロー、飲んでごらん。」 もしやこの間飲んだ酒か?と思い勧められるままに酒を口にした。すると懐かしい味が口に広がる。何度も何度も一緒に飲んだ。これはウィローが亡くなった父と一緒に飲んだ酒だった。途端に目に涙が溢れる。 「ウィローさんっ。」 キリが驚いてウィローに声をかけた。 「ごめん。懐かしくて、つい。亡くなった父と飲んだ酒だったから。」 涙をぬぐいながらウィローはカツラに尋ねた。 「どうしてわかったんですか?」 「俺はウィローが毎回頼むその焼き魚に一番合うと思った酒を選んだだけだ。ウィローの父さんは酒のセンスがいい。」 優しく微笑みながらカツラが語った。 「ウィロー。キリがいなくてもこの店はあるんだ。いつでもこればいい。」 カツラの言葉にウィローは胸のつかえがとれた。 「はい。」 「ちょっとっ、俺はまだいるんですけど!」 キリの突っ込みに三人で笑った。今日は思いがけず父の酒と再会した。あれだけ一緒に飲んでいたのに、父はすぐに酒瓶のラベルを外してしまうからどの酒だったのか分からず終いだった。しかし舌はしっかりとその味を覚えていた。ウィローは『desvío』に行きついたことに運命的なものを感じ始めていた。

ともだちにシェアしよう!