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第33話 4-11
翌日。昨夜直接カツラに報告はしたものの、やはりミモザがどう出るか気になりタイガは退社後すぐに『desvío』に向かった。
「いらっしゃいませ。」
いつも通りウィローが迎え出てくれた。
「ウィロー。こんばんわ。」
「タイガさん、お一人ですか?」
「うん。今日のオススメの酒頼む。」
「かしこまりました。」
店は相変わらず忙しそうだ。タイガは一人でゆっくりと酒を飲み、料理を食べながら時間をすごした。
タイガの杞憂だったか、20時を過ぎてもミモザは来なかった。カツラも忙しいのか今日はまだこちらには顔を見せに来ていない。確かに奥側は常連たちが盛り上がっているようだ。カツラの仕事の邪魔をしたくなかったので、今夜はそろそろ切り上げるかとタイガが考えていると、奥からカツラがこちらに向かってきた。
「いらっしゃい。」
「カツラ。」
「そろそろ帰るのか?」
「そうだな。今日は忙しそうだ。」
「酒の話で盛り上がってしまって。オーダーもたくさん通ったから。」
愛しい恋人の顔を見、今朝離れたばかりだというのに、今夜はどんな体位で彼を責めようかとタイガの妄想が膨らむ。そろそろ同棲の話を彼にしてもいいかもと思っていた。
「いらっしゃいませ。」
入口ドアが開く。ふいにそばにいた店員が声をかける。
「いらっしゃいませ。」
カツラも同じように笑顔を浮かべ声をかけるがカツラの表情が途端に曇る。客に目をやるとミモザがいた。
「こんばんわ、カツラ。あらっ、タイガも。」
「彼はもう帰るんだ。」
「いや、まだいるよ。」
タイガの返答にカツラが目を丸くする。やはりミモザが来たのだ。心配で帰れるはずがない。
「あらそう。カツラ、今日はなにがオススメ?」
ミモザは厚かましくタイガの隣の席に腰を下ろした。カツラに対する態度はこの間とは全く変わっていた。
「オススメ?今夜のオススメは?はて?少々お待ちください。」
そうわざとらしく首を傾けながら忘れたふりをするカツラは魅力的で相手を口説こうと取り繕っている姿よりも人に好感を与えてしまうように見えた。「カツラ、多分逆効果だ。」タイガは歯がゆく感じた。あれは彼の素の部分だ。タイガや店で一緒に働く者などごく親しい者以外は知らないだろう。上っ面だけで完璧に見えた人間がそうではなかったと知った時のギャップが与える心象は大きい。人間味を感じるし、親近感も持つはずだ。
「私、意地悪されているみたい。それだけ意識されているってことだから気にしないけど。」
勝手に惚気ているミモザにうんざりする。
「どうぞ。」
カツラが酒を注いだグラスをミモザの前に置いた。
「お酒の説明はないの?」
意地悪い笑みを浮かべ、カツラがメニュ―表をミモザに手渡す。酒の名前を細く長い指で指し示した。そこには酒の説明が記載されていた。「カツラ、だから逆効果なんだって!」意地悪な笑みも、細くて長い指も...。全てが魅力的に見えてしまうのだ。彼は本当にここぞというときに抜けている。それを証拠にミモザは嬉しそうな笑顔を浮かべている。
「ずいぶん接客に差があるんじゃないの?クレーム入れるわよ?」
「あのな、どうしていつまでもそう絡むんだ?」
とうとうカツラの本音が出た。今まで我慢していたのだろう。しかし、彼のきつい言葉はミモザの心にときめきを与えたに違いなかった。ミモザの眼差しは女のものだ。
「友達になりたいの。だったらいいでしょ?」
「お前みたいな女は無理。」
カツラにとうとうお前呼ばわりされてミモザは余計にカツラに絡む。
「私たち、結構気が合うと思うわよ。」
「なんでそこまで空気が読めない?」
「前向きにいかないと人生楽しくないでしょ?」
「あり得ない。」
「ふふふ。」
「お前と話しても水かけ論だな。」
カツラが呆れた顔で首を振りながら話を切った。しかしミモザは嬉しそうだ。タイガはニ人のやり取りを黙って見ているしかなかった。自分のものを他人に勝手に好きなようにされて気分が悪い。視線が下に落ちドロドロとしたものが心にたまる。
「タイガ。」
優しい声でカツラがタイガを呼んだ。声に反応し、顔を上げる。
「疲れてるんじゃないか?先に帰ってろ。ここは大丈夫だから。」
そう言って優しく微笑む。タイガにだけ向ける笑顔で。
「うん、そうする。」
タイガはカツラを信じている。不安に思うことなどないのだ。カツラの自宅に先に帰り、そこで彼の帰りを待つ。後は二人だけの時間だ。タイガはカツラに素直に従いミモザを残し店を後にした。
「ねぇ。タイガにはえらく優しいのね。」
ミモザは先ほどのニ人のやり取りを見て無意識に嫉妬を感じている自分に戸惑っていた。「いったいなにに嫉妬しているの?」と自問自答する。
「仕方ないだろ。あいつは特別なんだから。」
タイガが帰宅し、カツラは客の一人として普通にミモザに接客をしていた。彼女の頼んだ料理を作り、話の相手もする。しかし、彼はタイガにだけは対応が全く違う。
パーティー後、自分も含め、周りのカツラに対する反応にミモザは驚いた。やはりカツラは人に強烈な感銘を与える人物なのだと。周りが誤解しているだけだが、カツラの特別という優越感は心地よく、ミモザは余計にカツラに興味を抱いた。
そして今自覚した。先程から感じている胸のモヤモヤはニ人の仲睦まじい姿に嫉妬を感じていたのだと。そこまで思い合える相手にミモザはまだ出会ったことがなかった。
簡単に落ちないカツラを自分に振り向かせたいと思ったのも事実だ。他人の幸せなんてつまらない。カツラを誘惑し、ニ人の関係をめちゃくちゃにしてやろうと思ったが、相手の方が一枚上手のようだ。知らぬ間にカツラの手の平の上で転がされている。そんな状況に気付きながらもそれが不快に感じていない自分は泥沼に片足を踏み込んでしまったのではと思っていた。今まで相手にしてきた男とは違い、カツラはかなり強敵のように思えた。「手遅れにならないうちに離れないと。気持ちに負けてしまう」ミモザは心の奥底で自分に囁く声に聞こえないふりをした。もう少しだけ…と言い聞かせて。
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