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第36話 5-3

「嘘、嘘、嘘っ…!」ホリーはパニックになっていた。半べそをかきながら、まず服を着なければと自分の着ていた服を探し始めた。情事の夜にふさわしく、あちらこちらに脱ぎちらかした状態で自分の服を見つけた。シーツを掴みベッドから出ようとした瞬間、腕を掴まれた。 「ホリー、おはよう。眠れた?」 ゆっくり振り返るとカツラが上半身を起こしこちらを見ていた。女のホリーが目を逸らしたくなるほど彼の裸体は均整がとれた上に透き通るように白かった。 「あの、私、なにも覚えていなくて。」 しどろもどもろになりながら答える。ホリーはカツラに手を放してほしかった。 「あんなに良かったのに。」 そう言った瞬間掴まれた腕にぐいと力がかかり、彼の方に体を引き寄せられた。裸の肌と肌が触れ合う。カツラの肌は吸い付くように滑らかだった。 「ほんとうに覚えていない?」 優しく問いかけるカツラにきちんと言わなければと思い振り返る。その瞬間唇が触れ合った。舌を絡められ明らかにカツラはまだホリーを求めていた。 「んっ。」 熱いキスで吐息が漏れる。カツラはそのままホリーをベッドに倒し首から愛撫を始めた。 「ちょっ、ちょっと待って!ダメダメッ!私、彼氏がいるの!だからっ。」 「俺は構わない。今フリーだし。ホリーのこと気に入った。」 「だめよっ、そんなこと。」 必死の問いかけにカツラは愛撫を止め、ホリーの顔を覗き込んだ。美しい顔に見つめられホリーは言葉を失ってしまう。 「ホリーはかわいいよ、すごく。妬む奴らなんか気にすることはない。男はみんなホリーに夢中になる。」 そう言ってまた深いキスをしてきた。ホリーの片方の乳房をもみながら。 「ホリー?」 ホリーは泣いていた。アッシュとはなにもなかったが、結局は彼と同い年の若い男と関係を持ってしまったのだ。みんなの言う通り、自分は軽い女だ。 「泣かないでホリー、大丈夫だから。」 意外なことにカツラはその後行為の手を止め、ベッドに座りホリーを抱き、優しく背中をポンポンと叩きながら泣き止むのを待ってくれた。 「私、最低人間だわ。」 「大丈夫だって言ったろ。」 「だってカツラと...。」 カツラがふーっと軽くため息をついた。 「俺たちヤッてないから大丈夫。」 「え?」 ホリーはばさっとカツラから離れ彼の顔を見る。カツラはシーツ越しに立てた片膝に肘をつき頬を預けていた。 「どういうこと?なにもなかったの?」 「そう。これからって時にホリーが寝落ちしたから。」 カツラの言葉に絶句する。 「これからってあれ?」 「そう、あれ。おかげでこっちは欲求不満。」 「その前のその…、」 「前戯?」 言いにくいことをカツラはあっさりと答えた。 「...。」 「もちろんそれはした。お互い気持ち良くならないと。」 ホリーの顔を真正面から見て言う。嘘はないと。カツラの返事に固まるホリー。 「あははははっ。冗談だよ、なにもしていない。したのはキスだけ。」 カツラが笑いながら言った。こうなってはいったいなにが本当なのかわからなくなりホリーは激しく混乱した。 「じゃ、なんで裸なのっ!」 「ホリーから誘ってきたんだ。これは事実だからな。それなのにおあづけなんてひどいじゃないか。朝、目覚めて仕切りなおせばいいと思った。」 「だから裸にしたの?」 「あのな、お互いに服を脱ぎながらキスしたんだ。素っ裸になって首元に顔をうずめ、これからって時にホリーの寝息が聞こえたから。意識のない相手とヤル趣味はない。」 二人、しばらく沈黙して見つめ合う。 カツラは人を惹きつける。こういうことも今回が初めてではないはずだ。危うく彼の毒牙にかかるところだった。恐らくカツラは相手に困らないのだろう。簡単にやめてくれたのは良かったが。 「触ったりしていない?」 「していない。」 「誓える?」 「ああ。全部見たけど。」 「えっ!」 ホリーの反応にカツラがニヤニヤと笑っていた。彼の言っていることのなにが真実なのか測りかねたが、もう信じて割り切るしかない。 「私、帰らないと。」 そう言ってシーツを引っ張ろうとすると意外やカツラはシーツを手放し素っ裸でベッドから立ち上がり部屋を出ていった。ホリーは彼の彫刻のような見事な全裸に一瞬目を奪われたが急ぎ支度をしなければと慌てて服を着る。  寝室を出るとカツラが服を着てソファに腰をかけていた。ホリーの姿を認め、立ちあがった。 「駅まで送る。場所わからないだろ?」  ホリーは辞退したかったが迷子になっても困ると思いカツラの申し出を受けた。携帯を確認すると彼から何件かメールと着信が届いていた。 彼には「友達と会ってそのまま泊まらせてもらったから今から帰る。」とメールした。 駅までの道すがらカツラが話し始めた。 「ホリーさ、うちに来ない?」 カツラを改めて見るとまるで現実味がない。中身はともかく容姿がここまで完璧な人と先ほどまで一糸まとわぬ姿で一緒にいたとはとても思えなかった。ホリーが聞き返す。 「なんのこと?」 「今の職場、つらいんだろ。うちならそんなことはない。」 「そんなこと、言い切れないでしょ。」 「俺が守ってやる。友達として。」 「はぁ?」 さっきまで自分のことを口説こうとしていたのにその舌が乾かぬうちに友達宣言とは。ホリーはこのカツラという男がわからなかった。「わかっちゃダメなんだ。わかりたいとか、わかろうとしたら泥沼だわ。」こういう男には近づかず距離を置いた方がいいと本能が告げていたのでホリーはこう答えた。 「遠慮しておく。」 駅に着くと信じられない人がいた。 「ホリー。」  彼がわざわざこんなところまでホリーを迎えに来ていた。嫉妬深い彼はおそらく携帯の位置確認システムを使ったのだ。ホリーの情報が黙って登録されていたに違いない。カツラの家にいるときでなくてよかったと背中に寒気が走った。 「どうしたの?こんなところまで。」 平静を装い答える。今となりにはカツラがいる。彼がカツラに気付いていないはずがなかった。その証拠にちらちらとカツラの存在を気にしている。 「この人は?」 「えぇと。」 ホリーは彼の問いかけに答えを用意していなかった。言葉に詰まる。 「どうも。今度ホリーさんが働く店の者です。ついさっきまで新しく仕事をするにあたっての話をしていて。時間がないので早朝にお願いしたんです。」 カツラが言葉を繋ぐ。礼儀正しくなんとも滑らかに嘘が口を次いで出る。ホリーはあっけにとられてしまった。 「ホリー。カフェ、辞めたの?」 彼がホリーにことの事実を確認する。 「えぇっ、あ、うん。そう、そうなの。気分転換したくて。」 「うち、給料はいいから。じゃ、ホリー、また明日。19時に店に来て。店長と話をするから。」 カツラはニヤッと笑って立ち去って行った。結局はカツラの思い通りになってしまった。あんな話をしてしまったのだから、彼の手前カフェを続けることはできない。 「ホリー、大丈夫なのか、あの人。結構遊んでそうだけど?」 彼は自分よりいい男に対してはいつも同じ見立てなのだ。 「大丈夫。」  早い段階でかつてのカツラの本性を垣間見れたホリーはカツラに恋することはなかった。翌日、『desvío』の店長と面談をし採用となった。 当初はカツラに巻き込まれたと思っていたホリーであったが、今ではこの店での仕事が大好きだ。

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