52 / 202
第53話 7-10
「ねえ、聞いてる?とんだとばっちりよ。ナツメちゃんは私を店に手伝いに来たトベラさんの恋人だと勘違いしたんですって。」
ホリーが閉店後の『desvío』で毒を吐いている。カツラ、ホリー、ウィローの三人でだらだらと酒を飲みながら月に一度の反省会兼慰労会をしていた。
「ホリーさん、とんだ災難でしたね。」
「誰かの身代わりにあんな嫌な思いさせられて。ね、誰かさん、さっきからだんまりだけど?」
「トベラに惚れる女がいるとなはな。」
カツラが意外だと話す。
「トベラさんはかなり女性ウケはいいと思うわよ。好き嫌いは別れるだろうけど。」
カツラは理解できないといった表情で続ける。
「しかも意味不明なのはなんで恋人になってるんだ?」
「だってトベラさんはカツラさんに気があるじゃないですか。まだわからないんですか?」
「あのな、俺はトベラから交際を申し込まれたことも受けた覚えもない。」
「初めてトベラさんに会ったとき、上から下までみられて嫌だったけど、カツラに会ってからはトベラさんの興味はカツラにいったものね。それから私なんて彼にとっては空気だもの。」
「トベラが女好きなの知ってるだろ。」
「カツラさんは別枠なんじゃないんですか?向こうで噂になるってよっぽどですよ。」
「そうよ。トベラさんは手がすごく早そうだし。本当に何にもないの?」
カツラは無視を決め込んだ。
「え?」
「え?」
この対応はあまり良くなかったらしい。二人が同時に声を出しそういう目で見てくる。
「違う、何かあるはずないだろ。」
「ほんと?キスとかされてんじゃないの?」
面白がって冗談でホリーは言ったことだったが、それは事実であった。
「あーもう、昔、昔の話だ。」
カツラが俯き頭を両手でかきながらうざいという感じでとうとう吐いた。
「マジで?」
「マジっすか?」
二人は相当驚いたようだ。
「どんなキスだったの?やっぱり上手だった?」
興味深々でホリーが詳細を聞き出そうとする。
「あいつは発情期の犬だ!いちいち覚えていない。もう帰るっ。」
カツラはそう言って二人を店に残し先に帰って行った。
カツラが去った店内ではウィローがトベラとカツラの関係について驚きを隠せずホリーに話しかけた。
「キスするほどの仲だったなんて。意外でした。」
「そう?トベラさんって押し強そうじゃない?それこそ狙った獲物は絶対手に入れるみたいな。あの言い方だとキスも無理やりされたんじゃないかな?トベラさん、まだカツラのこと諦めてなさそうだし。」
「でもカツラさんには恋人がいるんですよね?」
「カツラが本当のことをどこまで言っているのか。ナツメちゃんが私をトベラの彼女だと思ったのは私が女だからよ。でも店のみんなは男のカツラを恋人だと確信していた。どうしてだと思う?」
「カツラさんが美人だからですか?」
「それは認めるけど理由としてはちょっと弱いわよね?実はナツメちゃんに聞いたんだけど。」
今回の件でホリーとナツメはかなり親しくなっていた。ナツメは誤解していたことを素直にホリーに謝り、ホリーはそれを笑って受け入れた。もともと人柄のよいホリーのことをナツメは姉のように慕い始めたのだ。
ホリーは内緒話をするようにウィローに近づいた。ウィローも耳を寄せる。
「「尻はもう大丈夫か?」ってトベラさんがカツラに聞いていたそうよ。」
「えーっ!!」
「それってアレってことですか?」
「それしかないでしょ?」
人の恋愛ごとほど楽しい話はない。二人はその後もしばらく話題が尽きない友人のことを話し合った。
翌日、カツラがいつも通り店に顔を出すと、ホリーやウィローからの視線を感じる。やけに下半身を見られているような気がするのだ。まだ開店までに時間がある。カツラは落としやすいウィローを呼び出し聞き出すことにした。あの二人のことだ。あの後ありもしない話を膨らませたに違いなかった。
「ウィロ-、ちょっと。」
「何ですか?」
カツラはそのままウィローをスタッフルームに連れだした。
「昨日あの後、なに話してたんだ?」
カツラはウィロ-が逃げられないようにドアの前に立ち質問した。
「え、別になにも。仕事の話ですよ。」
「こいつ、嘘がほんと下手だな。」カツラはちょろいと思い、ウィロ-をまっすぐ見てゆっくりと近づいていく。
なぜかカツラがそうするとほとんどの者がカツラから目を逸らすことができずに固まるのだ。
ウィローもそうだったようで、カツラが近づく度に一歩、また一歩と後退し、背中が壁にぶつかってしまった。
「なぁ、ウィロー。俺とお前の仲だろう?」
「いや、俺はなんにも知らないのでっ。」
カツラは少しかがみ、ウィローを囲むようにゆっくりと両手を壁に着いた。これでウィローはもう逃げられない。
「教えて、なに話してたか。気になる。」
優しい声で語りかけるが、ウィロ-は顔を横に背け「知りません。」の繰り返しだ。
「そう。じゃ、言わないとお前にキスをする。いいな?俺はトベラともやっているから男にキスすることに抵抗はない。」
「え?」
ウィローがカツラの言葉に驚き顔を正面に向けた。そのままカツラはウィローの両ほほを優しくつかみ瞳を閉じ顔を近づけてきた。
ウィローは一瞬カツラの顔に見とれてしまう。このまま黙っていたら唇と唇が触れあって...。カツラの唇に注目する。赤く染まった唇は魅力的で触れたらそのまま深くまで求めてしまいそうな心理に陥った。必死に現実から目を逸らすためにウィローは目を固く閉じる。そうしてウィローは内緒話をまだ吐こうとはしなかった。
こいつ、意外にねばるな。もう少し攻めるか。カツラはそもそもウィローにキスをする気はなかったが、ウィローが思ったより手ごわく折れないので、趣向を変えて攻めることにした。
ウィローの頬にそっと自分の頬を触れさせた。
「えっ?」
ウィローは自分の肌に触れたカツラの頬の感触に思わず固く閉じていた瞼を開いた。カツラの頬は柔らかく、ひんやりとしていた。すぐ近くに彼の美しい瞳があり、今にも長いまつげが顔に触れそうだ。唇もすぐそばにある。距離が近いためカツラの吐息の香りがした。この香りもやばかった。「確かさっき、この人ジュース飲んでなっかったっけ?甘い香りがする。いい匂い...。」
「ウィロー、教えて。」
甘えた声でカツラが言いよりますますウィローは追い詰められた。今の体勢ははたから見たらかなりいかがわしく、それがいまから二人でよくないことをしようといているような心理にさせた。ウィローの脳裏にキリの姿が思い浮かんだ。そしてウィローは「これは絶対にダメだ!きっと抜け出せなくなる!」と思った瞬間、叫んでいた。
「言います、言います、言いますからっ!」
唇と唇が触れ合うまでほんのわずかな距離だった。ウィローが薄情し、カツラはぱっと彼を解放した。カツラは冷めた目でウィローを見、その目はさっさと吐けと言っていた。その瞬間、ウィローはカツラに半分からかわれたのだと理解した。
「で?」
ウィローはもう開き直っていて、相手がどう思おうがありのまま話すことにした。
「カツラさんとトベラさんが恋人だって。」
「だからそれは違うと言っただろ。」
「トベラさんが、カツラさんの尻を気にしていたから...。」
「は?」
「だから、二人はもうセックスしてるって!!」
自分で言った言葉だが、とても恥ずかしくてウィローはカツラの顔を見ることができなかった。
「はあ?そんなわけあるかっ!俺はあいつと寝ていないっ!」
カツラははっきりと否定した。
「でも...。」
ウィローはようやく顔を上げた。カツラは椅子に座り片手で頭を支えている。
「一緒に風呂に入ったんだ。言っとくけどジムの大風呂な。トベラの甥っ子も一緒に。甥っ子と鬼ごっこして滑って転んで尻を打った。それだけだ。」
「そうだったんですか。」
「そうだ、それ以上のことはない。」
「そっか。あははは。」
「ったく。ホリーにも言っておけ。仕事に戻るぞ。」
「はいっ。」
ウィローはカツラがトベラのものになっていなくてよかったと思った。尊敬する先輩であるカツラには幸せになってほしいが、その相手はトベラではないような気がしたのだ。
そして...。今夜は無事に眠れるだろうかと心配になった。ウィローは夢でカツラが出てきてうなされそうな気がしていた。
ともだちにシェアしよう!