56 / 202

第57話 8-3

 フヨウは新しく働き始めたこの店が気にいっていた。一緒に働く人達はいい人が多い上に特上の美形が二人もいる。カツラとホリーである。あの人たちを見るのは目の肥やしになるし、いつどうやってあの二人に話しかけようとか、なんとかお近づきになりたいと思いながら仕事をするのも楽しかった。  もともと体を動かすことは好きなほうで、仕事を覚えるのも早い。フヨウはウィローから教わった最初にやっておくべきことはさっさとやっておこうと、慣れるまでは早く店に行き仕事に取りかかるようにしていた。その日も早めに出勤し、鼻歌交じりで仕事に取り組んでいた。 「お前、雑だな。」  いきなり背後から声をかけられ、フヨウはビクッとなった。しかも声の主はあの憧れのカツラである。振り向くとまさに彼が腕を胸の前で組み、フヨウを見ていた。 「おはようございます。早いんですね。」 カツラはフヨウよりも早く店に来ていたようだ。彼は冷めた目でゆっくり近づいてきて、フヨウが今洗っていたタオルの束を見下ろした。 「この人、なんかいい匂いする。朝シャンしてんのかな?」こんなふうに呑気なことを考えているフヨウには不機嫌なカツラの表情を読み取ることはできなかった。 「なんだこれ?」 カツラが汚い物でもつかむように親指と人差し指の先っちょで今フヨウが洗い終わったタオルを掴み上げた。フヨウの目の前まで持ち上げて見せつける。 「な、まだ汚れてない?」 「え?」 フヨウがタオルをよく見ると、確かに汚れが残っていた。しかも洗剤の泡も所々に。 「こんなんじゃ使えない。やりなおし。」 カツラはそう言って掴んでいたタオルを流しにボトっと落とした。既に洗い終わったタオルは十枚以上あったが、カツラは目でそれも洗うようにフヨウに促した。 「全部?」 「全部。」 有無を言わせぬカツラの言いようにフヨウは「はい。」と素直にうなずき、今度は一枚ずつ丁寧に洗い、洗剤も綺麗にゆすぎ絞っていった。その様子をカツラが横でじっと見ている。フヨウは背筋がゾクゾクし、叱られていることに喜んでいた。「この人、もしかしてSなのかな。」こんなことを頭で考えながら作業をこなしていた。 「あっ、おはようございます。カツラさん、早いんですね。」  ウィローの出勤に気づき、カツラが視線を向け挨拶代わりに手をあげた。フヨウもウィローに顔を向け軽く会釈をした。カツラとフヨウの二人を見て、ウィローはすぐに分かった。タオルのやり直しさせられているのだと。これはよくあることで、潔癖のカツラはタオルが汚れているのを発見すると、それをやった者に絶対にやり直しをさせるのだ。今までにもバイトが数人同じ目に合っていた。 「綺麗になりましたよ。これ、干してきますね。」 しかしフヨウの表情は明るく、逆にカツラに注意され喜んでいるように見えた。 「能天気なやつだ。しっかり教育しないと大変だぞ。」 「はぁ、まぁそうなんです。覚えるのは早いんですけど。カツラさんは今日は?」 「今日はシフト変更で俺は厨房になった。あの能天気、俺が仕込んでやる。」 「あ、はぁ。」 昨日からカツラの機嫌があまり良くない感じがする。恋人とうまくいっていないのだろうか? とにかく今夜、フヨウはカツラにしごかれることになる。少しでもフヨウが仕事に真面目に向き合ってくれたらいいのだがとウィローは思っていた。 「お前、野菜切ったことないのか?どうしてそんな切り方になる?」 「ははは。男一人じゃあまり切りませんよ。」 「その包丁の持ち方っ!指が切れる!!」 「大丈夫ですよ。」  まるでコントのようなカツラとフヨウのやり取りをウィローはハラハラしながら聞いていた。カツラが何を言ってもフヨウはあたかもそれが恋のやり取りのようにのほほんと反応するのだ。いつかカツラがブチ切れるのではと心配になる。 「お前な、ゆくゆくはカウンターに出る気あるんだよな?」 フヨウののらりくらりのやり方にカツラがとうとう呆れ、彼の仕事の手を止め尋ねた。 「それはまぁ。」 「こんなんじゃ一生無理だ。もっとまじめに取り組め。今夜は店がまだそこまで混んでいないからなんとかなってるが、忙しくなったら厳しいぞ。」 「俺、そんなにだめですか?」 ニヤニヤしながら答えるフヨウ。カツラに構ってもらって、彼は完全に舞い上がっている。フヨウのカツラに抱いている気持ちを聞いていたウィローはそのことに気付いていたが、当のカツラにはわかるはずもなく、とうとうフヨウに最後通告を言い渡した。 「さっき教えたこれ、五分以内にやってみろ。丁寧にだ。」 「できなかったら?」 「クビだ。俺から店長に言っておいてやる。」 「ええっ!」 カツラさん!マジ?ウィローもカツラのこの一言には驚いた。 「はじめろ。」 なんの前触れもなく、カツラが始まりの合図をした。フヨウは真面目な顔になり、必死に作業に取り掛かった。カツラの目は時計を見ている。 「終わりました。」 カツラが出来栄えを確認する。一部始終を見ていたウィローもフヨウ同様緊張していた。カツラはじろっと美しい翠の瞳だけを動かしフヨウを見た。 「やればできるじゃん。」 よかった!フヨウは合格した。ウィローはほっと一息ついた。 「よかった…。」 フヨウもさすがに緊張したらしい。安堵の言葉を漏らし今はまた元の緩い顔になっていた。そんなフヨウにカツラが軽くデコピンをした。 「いたっ。」 フヨウが額を軽く手で押える。 「へらへらしてんじゃねえよ。仕事、真面目にしろ。」 そう言い終わった後にカツラが優しく微笑みを顔に浮かべた。フヨウの表情が固まった。 「俺は少し店内見てくるから、ウィローここ頼む。」 カツラはそう言って厨房から出て行った。残されたウィローはフヨウを見た。彼はまだ金縛りにかかったように止まったままだ。 「カツラさん...、また被害者が…。」今のはよくなかった。おそらくカツラは無意識なのだろうが。今、フヨウが本気でカツラにときめいたのだ。今後また一波乱あるぞとウィローはため息をついた。

ともだちにシェアしよう!