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第90話 10-11

 その日タイガは残業で遅くまで会社に残っていた。カツラは今夜、閉店業務をすると言っていた。タイガは急いで帰る必要はないと思い先の仕事を前倒しで取り組んだ。一区切りし、会社を出るころにはほとんど人は残っていなかった。  帰りになんとなくフジキの部署の前を通ると、人影が見える。見慣れた姿だと思い近づくとカエデだった。フジキと打ち合わせをしていたのだろうか?こんな時間までカエデがここにいることを不思議に思い、タイガは様子を伺った。カエデはなにかを必死に探しているようだ。 「カエデ?」 タイガはカツラとカエデの件などすっかり忘れ自然にカエデに声をかけた。聞きなれた声にカエデはぱっと振り向いた。 「タイガ!」 カエデの顔が花が咲いたように明るくなった。 「どうしたんだ?フジキさんと何か約束か?」 タイガは話しながらカエデに近づいた。 「うん。フジキさんのデスクに資料を置いておくように言われたんだけど。よく考えたら僕、フジキさんのデスクがどこか知らなくて。」 カエデはははと笑いながら答えた。カエデらしいとタイガは思いフジキのデスクをカエデに教えてやった。 「ここだよ、フジキさんの。」 「ありがとう。」 「わからなかったら、適当に置いておけばいいよ。誰かが気付くし。」 二人で話しながら並んで歩きだした。タイガはドアを開けカエデが出るまで待ってやる。 「こういうさりげない優しさがタイガらしい。タイガは無意識なんだろうけど。やっぱりほっとする。」カエデは変わらないタイガの優しさに触れ癒されていた。 「タイガは今日は残業?仕事忙しいの?」 「いや、今日は別に。家に帰っても何もすることがないから。」 「タイガ、お腹すいてない?せっかくだからなにか食べない?」 「そうだなぁ。」 今夜、カツラは遅い。帰宅したらすぐに風呂に入りそのままベッドだろう。いつも通り、先に夕飯を済ましておいたほうがいいだろう。 「カエデがいいなら。」 「よかった。じゃ、僕のオススメの店に行こう?」  カエデは車で来ていたようで、会社から十分ほど車を走らせたところに目的の店はあった。年配の男が身内とやっている店のようで、こじんまりとした店内は昔なじみの我が家を思い起こさせるような落ち着いた雰囲気だった。料理も家庭料理が中心で満足のいくものだった。  カエデと会話をしながらの食事は楽しく、話がつきることがない。たいした内容でもないのに盛り上がり、食後の飲み物が出る頃にはもうこんな時間なのかと時間のたつ早さに驚いた。 「タイガは相変わらずだね。」 「そうか?」 カエデは変わらぬタイガの様子にほっとしていた。 「カエデの恋人ってどんな人なんだ?」 タイガはカエデの様子が普段と変わらないので、やはりカツラの勘違いだと判断し、恋人についてカエデに質問した。 「いろんなことにこだわりの強い人だよ。建築家なんだけど写真を撮るのが好きだから趣味でよく旅行にでかけるんだ。」 「へぇ。いいな、自由で。」 「うん、本人はね。周りは大変なんだけど。」 カエデが苦笑いをした。 タイガとカエデが別れてから一年が経った。タイガの方は恋人のカツラと順調だが、カエデは違うのかもしれないとタイガはこの時初めて思った。相手の話をするときのカエデの表情がどことなく暗いのだ。 「カエデ、俺でよかったら話を聞くことぐらいはできるから。」 タイガは大切な友人であるカエデの力になりたいと素直に思っていた。 「タイガ、ありがとう。じゃ、一つ聞いていい?」 「うん、なに?」 カエデは意を決するように真っすぐにタイガを見て言葉を発した。 「カツラさんといて疲れることない?タイガと全く違うタイプの人のようだから。」 「え?」 タイガはカエデの質問にキョトンとした。 確かに自分とカツラは全く違う。それが最初の障害になった。でもそれは乗り越えた。そんなことよりもお互いを求め合う気持ちの方が強かったのだ。今ではタイガにとってカツラなしの人生はもう考えられなかった。 「それは全くないよ。逆にカツラが大人だから俺に愛想つかすんじゃないかってハラハラすることはある。」 優しく微笑みながらカツラへの自分の思いを伝えるタイガ。そんなタイガを見てカエデはなおさら心配になった。自分で認めたくないから無理をしているのではないかと。 「そう...なんだ。でも、なんとなくなんだけど...。」 「うん、なに?」 タイガはその先を言いにくそうにしているカエデに優しく相槌(あいづち)を打つ。 「これはほんとに僕個人の見解で。長年タイガを見てきたから...。タイガとカツラさんはなんだか合わないような気がして。」 「え?」 タイガはカエデの思いがけない言葉に一瞬頭が真っ白になった。そして次にカツラの顔が思い浮かんだ。カツラと過ごした日々が。 「タイガ?」 「カエデは昔を思い出した。おまえへの気持ちも。」カツラはそう言っていた。「俺は何をしているんだ。こんなことしている場合じゃない!」 「俺、帰らないと。」 タイガは立ち上がり食事代を置きその場から立ち去ろうとした。 「タイガっ、待って。車じゃないと帰れないよ。」 カエデが慌ててタイガを引きとめる。 「いいよ、タクシー拾うし。」 「タイガ...。僕...。」 「カエデ、俺のことを思って言ってくれてるのはありがたいけど。俺とカツラはもう婚約してるんだ。」 タイガから聞いた「婚約」の一言にカエデの琥珀色の瞳が大きく見開かれた。 「カエデの幸せを祈ってる。じゃぁ。」 店には一人、時間が止まったままのカエデが残された。

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