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第119話 11-2

「カツラさん、今夜も厨房ですか?」 最近厨房続きのカツラにウィローが尋ねた。 「あ?うん、まぁな」 ウィローがつい確認したくなるほど最近カツラが厨房に入ることが多い。原因はカツラ目当てで来る客だ。しかも二人。男と女の客それぞれがカウンターの奥と手前に座る。今までもしつこい客はいた。しかし今回の相手は少々手ごわかった。 セージが『desvío』で働き始める少し前にさかのぼる。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「いらっしゃいませ。一杯目は何にしますか?」 「お兄さん、ハンサムね。なにかオススメあるかしら?」 「そうですね、じゃぁ...」  カツラは今夜初めて『desvío』に来た客にいつも通りに酒を選ぶ。彼女からは耳に心地の良い美辞麗句が多々発せられたが、それもいつも通りの接客用の笑みで交わす。 普通の客だと思っていた。彼女は次の日、その次の日も店に来、カツラの前に陣取り酒を注文していた。しかしこういうことはよくあることだった。自分目当てだとしても常連になってもらうには越したことがない。あくまで客と店員という一線は越えずに今ままでやってきたのだ。しかし、今回の客はどうやら勝手が違うらしい。 「K&Bホールディングス...代表取締役...」 カツラはその客から受け取った名刺を眺めていた。彼女の肩書に驚き顔をあげた。 「そんなに意外だった?」 女性客はふふと微笑みながらカツラに尋ねた。 「いや...まぁ」 稼ぎはいいんだろうとは思っていたけど。でもまだ若いよな。俺より2、3上か?カツラは改めて彼女を観察する。 「だから信じてほしいの。君なら売れっ子になるわ。うちのブランドのモデルになってくれたらすごく稼げるわよ」 ここ数日彼女からカツラはモデルのスカウトを受けていた。外見がずば抜けていいカツラはこれまでもスカウトは何度もされたことはあった。 「そういうの俺むいていないんで」 しかしすべて断ってきた。知らない相手にむかって微笑みかけポーズをとるなんて考えただけでぞっとする。モデルは華やかな仕事だがカツラはそういう世界に全く興味がなかった。どちらかというと被写体になるより撮る側、描く側になる方が自分はむいていると思っていた。 「それじゃ、今度一緒に撮影場所覗いてみない?偏見がなくなると思うし。」 「偏見はないですよ。不向きなだけで。それより」 「ねぇ、いつもそうやって話を逸らすの?」 「え?」 「だったら今度二人で美味しいお酒を飲みに行かない?」 話の主導権を取られカツラは久しぶりにやりにくい相手に当たってしまったと感じていた。彼女は自分に自信があるのだ。当然彼女からの誘いを断らないと思っているんだろう。 「そういうのは店で禁止されていて」 いつもの常套句に彼女は引き下がったかのように見えた。彼女はにっこりと微笑んだ。 「そう」  その後、彼女はしばらく店には来なかった。諦めてくれたかと思っていたら意外な場所で彼女と再会した。 ある日、また店長と一緒に酒を卸す企業との食事会に赴いた。その場に酒とは無縁であるはずの彼女がいた。 「こんばんは。いつも美味しいお酒を提供していただきありがとうございます」 彼女が妖艶な笑みで店長に近づき挨拶をする。 「うちの常連ですか。ひいきにしていただけているとは」 最近では店内業務にあまり携わっていない店長は彼女ことを知らない。店の客と知り和やかな会話が弾む。 「今夜は主催者に頼まれ私もこちらに参加したんです。彼とは古い付き合いで」 「そうですか。それは、お若いのに顔がひろいんですね」 今夜の会の主催者は店長にとってはぜひお近づきになりたい相手だ。彼女とカツラの微妙な関係性を全く知らない店長はその後の彼女の依頼に満面の笑みでこたえた。 「ええ、是非使ってやってください。酒の知識は僕にも負けないですから。カツラ、ラバさんのこと、しっかりエスコートしろよ」 店長からの指名にカツラは苦笑いをし受けるしかなかった。 「ずいぶん素っ気無いんじゃない?それが素なの?」 今夜のことは彼女が裏で手を回しているに違いなかった。カツラはいい加減辟易し、場を取り繕う気力も失せていた。 「別に。普通ですよ」 なんとか笑顔を作り優しい声で答える。 「いつもも素敵だけど、やっぱり今夜は見違えるわ」 スーツ姿でぴしっときめたカツラにラバは正直に感じたままを伝えた。 「貴方もね」 「ねぇ、このままもっと楽しめる所に行かない?」 ラバはそう言ってカツラの腕に手を組んできた。そして組んでいない反対の手をカツラの目線まで上げた。彼女の手にはホテルのキーが握られていた。はじめからカツラをホテルに誘うつもりだったのだろう。手回しの良さに寒気がした。 「これは...」 カツラは彼女の差しだしたホテルのキーに触れた。 ラバはすらっとした美人だ。カツラが隣に立ってもヒールをはいているとはいえその差は十センチほど。金髪に碧眼。カールした長い髪からはほのかに香水の香りがする。 「でも俺には恋人がいるから遠慮します」 「そんなこと気にしないわ」 「相手は男性なんです」 「ふふふっ。それで私が(ひる)むと思った?君、ゲイじゃないでしょ?わかるわ、見ていたら。久しぶりに女を抱いたほうがいいわよ?それに…」 もったいぶって言葉を切るラバにカツラが先を促す。 「それに?」 「私は優秀な精子が欲しいの。君だって彼氏とずっと二人だけは嫌でしょ。私と一緒に子どもを作らない?もちろん自然妊娠で」 カツラは一瞬言葉を失った。ラバの言ったことが最初は理解できなかったからだ。将来子供を持つとしてもこんな女とはごめんだった。しかも自然妊娠とは。 「なにを言っているんです?」 「君に提案しているの。将来の二人のために」 ラバは引く気はなくカツラの胸元に手を当てた。 「かなり酔ってますね?車の場所まで送ります」 「酔ってないわ」 ラバはそのままカツラに抱きついた。カツラは彼女に手を回すことはしないで天井を見上げる。「大事な取引先相手と関わりのある女。どうしたらいいのか...」カツラは大きな力に絡み取られ身動きがとれなくなっていく無力感を感じていた。

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