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第122話 11-5
「お久しぶりね。ずっと休んでたの?」
「まさか。仕事はカウンター業務だけじゃないから」
「君のオススメがいいの。何かある?」
ラバはグラスをあげカツラに尋ねた。カツラは今夜彼女が注文した料理をさっと確認した。
「お任せでいいですか?」
「もちろん」
カツラがラバの空いたグラスを受けとった。ラバはグラスから手を離し、そのまま手をスライドさせる。手にあたりカウンターに置いてあった彼女のハンカチが足元に落ちた。
気付いたカツラがしゃがみ込みハンカチを拾い上げ顔をあげた。カツラが顔をあげた瞬間ラバの顔が正面にあった。ヤバイと思った時には手遅れでカツラは顎をラバにつかまれキスをされていた。舌を絡ませ唇をしばし吸われた後、ラバはカツラから離れた。
「...」
翠の瞳を見開きカツラは固まっていた。今までカツラをくどいてきた客は数知れず。しかしここまでされたのは初めてだった。しかも店の中で。今なお驚き固まるカツラの顔を見、ラバは満足したように微笑みカツラの唇についた自分の口紅を指で優しく拭った。
「その顔も素敵。喉が渇いたからお酒早くね」
カツラは無言で立ち上がりラバの酒を用意するためカウンター内に入った。
一連の出来事を見てしまったセージは急ぎホリーの元へ駆け寄る。ホリーはラバから少し離れた場所で違う客の対応をしていた。
「ホリーさんっ!」
顔を真っ赤にしていまにも泣き出しそうな表情でセージが声をかけてきた。
「どうしたの?カツラは?」
ホリーはさっと視線をさ迷わせカウンター内でグラスを手にしているカツラを目にした。彼の様子はなんだかいつもと違うふうに見える。
「ホリーさん、実はっ!」
ホリーは今セージから聞いたことが信じられなかった。急ぎカツラのそばに駆け寄る。
「カツラ、ここはいいから」
ノロノロと酒を継ぎ足すカツラにホリーが声をかけた。
「え?」
カツラは茫然とした様子でホリーに顔を向けた。目の焦点が合っていない。グラスに注がれた酒は異様な色をしていた。カツラはいったいどんな酒をつくろうとしているのか。
「彼女の接客はわたしに任せて。お酒、作り直すから」
「ホリーの言葉にカツラが手にしたグラスに視線を落とす」
「あっ、やっちまった。もったいない」
カツラは一人悪態をついた。
「悪い。頼むわ」
そしてカツラにしては珍しく素直にホリーにその場を譲り厨房の方へと戻って行った。厨房もそれなりにバタついていたがウィローが遅出で出勤していたため何とかミスなく動いていた。
「カツラさん、お疲れ様です。ホールは大丈夫そうですか?」
「あ?うん、まぁな」
「五分休憩に行く」
ウィローがいるから大丈夫だろうとカツラはそのまま厨房を抜け事務所の方へと向かった。
レストルームに入り、口をゆすぐ。「なんでまんまと罠にかかった?そんなの、あの女が常識がないからだ。普通店でこんなことするか!」
カツラはラバの思い通りに唇を奪われたことに腹が立っていた。自分が情けなかった。勝ち誇ったように微笑んでいた彼女の顔が忘れられない。たとえ自分が今フリーだとしてもあんな女のお相手は願い下げだと思った。それくらいラバに対して怒りを覚えた。
過去の自分なら...。そのままラバを手玉にとって即お別れしていただろう。でも今は違う。タイガ以外の者と関係を持とうと思わないし、自分に気持ちをむける者たちの相手をうまくこなす余裕など全くない。
カツラは深呼吸をして仕事に戻り気分を切り替え業務に集中した。忙しいせいか閉店の頃には憂鬱な気分はいくらかましになっていた。
「カツラ、私、あの女に文句言ってやったから」
帰り際、ホリーがカツラにこっそりと耳打ちをしてきた。
「どういうこと?」
「会計の時に言ってやったの。性的暴行で訴えるって。私の彼の友人にその道に詳しい人がいるから」
ホリーの言葉に彼女がさっきのキスのことを言っているのだとわかった。
「あの女はそんなこと、動じないだろ?」
「それはそうだけど…」
「でも、ありがとう」
カツラはホリーの気持ちが嬉しかったがラバには意味のないことだと思った。悔しいがラバに接触しないようにこちらが避け続けるしかないのだ。
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