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第136話 シュロのつぶやき

 今夜はカツラとカウンターだ。店はそれなりに込み合っていた。厨房はウィローと最近はましになったフヨウ、経験豊富なバイトのサワラだった。ホールもそれなりにできるメンバーだ。なにも心配などいらないはずが、オーダーが滞り始めた。どうやら原因は厨房らしい。 「シュロ、ここ任せていいか?厨房の様子を見てくる」 「うん、大丈夫だ」 しびれを切らしたカツラがとうとう厨房の様子を見に行った。それからしばらくするとオーダーが通り出した。きっとカツラが手伝い指示を出しているのだ。ウィローやサワラがいるのに意外だった。やはりフヨウがヘマをしたのだろうか?  店が回転し始めたがカツラがカウンターに戻ってくる気配がない。なにかあったか?カウンターはなんとか持ちこたえているがカツラのことが気にかかる。落ち着いたろころ厨房に様子を見に行こうと思っていたらウィローが俺のところに来た。彼の表情は心なしか暗い。 「シュロさん」 「ウィロー、どうした?」 「あの...カツラさん、体調不良で早退しました」 「カツラはそんなに具合が悪いのか?」 早退するほどとは。俺はカツラの様子に気付いてやれなかった自分に腹が立った。 「いえ...そんなに大したことでは。ちょっと気分が悪くなってしまったので」 「そうか。大丈夫なのか?」 「はい。ただ、だいじを取って明日も休むかもしれません」 「それは構わない。客足も落ち着いてきた。こっちはなんとかなりそうだから。厨房は平気か?」 「はい。なんとかします」 いつも穏やかなウィローの表情が険しい。こんなときにフヨウがあり得ないヘマをしたのだろう。カツラはそのせいで体調を崩してしまったのだろうか。フヨウに対して怒りが涌いた。  翌々日。俺は休みだがホリーから話をしたいと言われ、彼女の出勤前に落ち合うことになった。俺はホリーから信じられない話を聞いた。 「シュロ、聞いてる?」 「あっ、うん」 衝撃だった。カツラに恋人がいる。しかも男の恋人だ。そいつが俺を担いで運んだくれたやつだという。エルムがのぼせ上がっていた男だ。 「素直にならなきゃだめだよ?」エルムの言った言葉が胸に突き刺さる。 俺はカツラと長年『desvío』で働いてきた。カツラともっと距離を縮めることができたはずだ。俺が臆病にならず、おかしな妄想に捕らわれていなければ...。 「同性同士でも婚姻ができる」今改めて自覚する。エルムや店長が言ったように俺はカツラに惚れていたのだ。カツラの恋人の存在に自分でも信じられないくらいショックを受けている。 取り返しのつかない事実に直面し、喉がカラカラだ。目の前にあるアイスコーヒーを一気に飲み干した。 「それで、ここから肝心なことなんだけど...」 まだあるのかと俺はホリーの言葉に思わず表情をこわばらせた。 「シュロ、大丈夫?えっと...」 「すまん、大丈夫だ」 平静を装う。ホリーにカツラへの気持ちを気付かれてしまう。 「実はね...」 ガシャンッ! 「シュロ、大丈夫?!」 ホリーから聞いたフヨウがしでかしたことに俺は怒りが爆発した。思わず手にしたグラスに力が入り、グラスを握りつぶしてしまった。割れたグラスの破片が手に刺さり血が流れる。しかし怒りのあまり、俺は痛みを感じなかった。 「シュロ、とりあえず手を洗ってきて。ガラスがあまり刺さらなくてよかった」 必死に俺を介抱してくれるホリー。彼女は俺の気持ちに気付いたかもしれない。 「とにかくウィローと私、シュロでカツラを守れたらと思って。カツラはこういうことには(うと)いでしょ?簡単にフヨウを許すんだから」 カツラはそんな奴だ。人に優しい。だから俺はカツラに惹かれた。いまさらカツラの美徳を思い知るとは。後悔してもしきれなかった。ホリーの言うように俺はもちろんカツラをフヨウから守るつもりだ。思いを伝えられなくともカツラが俺の愛しい存在に変わりない。

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