138 / 215
第144話 11-26
『desvío』のホールに入るようになってから、フヨウはカツラの姿を目にすることが増えた。カウンターにはカツラがいる。
流れるように作業をし、客の要望に応えるカツラに見とれていた。そんな時はつい手が止まってしまう。フヨウはそのたびに仲間に注意をされる。
「今日もいそがしかったな。みんなお疲れ様」
カツラが今夜働いたスタッフたちにねぎらいの声をかける。
今日は珍しく閉店後、従業員達は『desvío』で軽く酒を飲むことになっていた。みんなの頑張りの甲斐があり売り上げがかなり伸びたらしく、店長の奢りだ。
新しい酒をまた取り入れるため、その試飲も含めみんなでプチ飲み会をすることになったのだ。店長からその日来ているスタッフ全員に酒をふるまうよう言付かっていたカツラが酒を配り始める。みなくつろぎ始めたところでカツラがウィローとバイトで古株のサワラに声をかけた。
「サワラ、これ飲んでみろ。ウィローも」
カツラに呼ばれた二人は新しく入る酒をひとくち口に含む。とても芳醇な味がする。
「さて、この酒はなにがベースかな?」
「ええっと...」
カツラに質問されウィローが言いよどむ。もう一口飲み酒を味わう。
「ブドウっぽいんですけど...」
サワラが遠慮がちに答える。
「ウィローは?」
「俺もそう思います。なんだか甘いような、でもすーっとする爽やかな香りもします」
「ウィロー、さすがだ。この酒はウーゾだ。ブドウや干しブドウを原料とした蒸留酒。ウィローが感じたのはアニスの香だ」
ウィローとサワラはカツラの説明を目を輝かせて聞いていた。
「サワラ、お前カウンターいけるんじゃないか?」
「え!」
『desvío』のカウンターはかなり難しい。バイトでカウンター業務専門で入れたのは以前いたキリただ一人だった。
「でも...」
「少しの時間ならヘルプで入ってるんだろ?本腰入れてやってみたらいい。ホールも厨房も完璧なんだから」
サワラの不安げだった顔がカツラの一押しで一気に華やぐ。
「俺、やりますっ!」
「うん。店長の了解も取ってある」
「サワラっ、やったな!おめでとう」
ウィローの言葉にサワラは目をキラキラと輝かせている。カウンター業務はこの店の花形だ。自分の実力を認めてもらえ嬉しいのだろう。しかもみんなが憧れるカツラから直々に声をかけられたのだ。
「羨ましい」フヨウはカツラたちのやり取りを見ていた。どうしてカツラは自分に声をかけてくれないのか。
はやくもカウンター業務を片手間で手伝っているバイトもいる。フヨウはいつまでもホールから卒業できない自分に焦り始めた。手にしたグラスを一気にあおる。
「フヨウ」
数分後、カツラがフヨウを呼んだ。再びカツラの方を見ると数個のグラスに先ほどウィロー達に飲ませていた酒を注いでいるところだった。フヨウはカツラの元へ向かった。
「お前も飲んでみろ。あと、まだ飲んでない奴らに配ってくれ」
「カツラさん」
「ん?」
「俺に、酒のこと教えてください。真面目に勉強します」
美しい翠の瞳がフヨウを捕らえた。フヨウの鼓動が早くなる。一瞬の間を置いて...。
「考えておく」
カツラはフヨウの申し出を否定しなかった。それだけでフヨウは体中にアドレナリンが駆け巡るのを感じた。笑顔で他のメンバー達に酒を運ぶ。
ギイィ...
入り口のドアが開いた。
「すみません。もう閉店なんです」
ドアに一番近いウィローが対応する。
「ここにフヨウいない?」
「え?」
何事かと全員が入口に目を向ける。フヨウは心臓が飛び出しそうになった。『desvío』に秘密の関係のユーリが訪ねてきた。急いでユーリの元まで駆け寄る。
「どうしたんだ?こんなところに??」
「だって、電話したって出ないから」
二人の様子に興味深々といった感じで店にいるメンバー達が聞き耳をすましている。二人は痴話喧嘩をしているようだ。
一番近くで話を聞いていたウィローは少し安心した。フヨウにはどうやら彼女ができたらしいと。カツラと同じ黒髪、瞳はブルーだが。小柄でかわいらしい雰囲気の子でこうして見るとなかなかお似合いだ。
ふとカツラの方に視線を向けると彼は興味はないといったふうにサワラと話しながら新しい酒瓶を眺めている。
「困るよ、こんなところまで」
「だってお店やめちゃったし」
「それ、俺のせい?」
「ねえ。そんな言い方ずるくない?ほぼフヨウの相手をしたからクビになったんだからねっ!最近だるいし。フヨウ、私の中でいっぱい出したでしょっ!」
その場の空気が凍り付いた。完全に全員がフヨウとユーリの成り行きに注目している。
「なわけないだろっ。ちゃんとつけてやってたんだから!」
「あのね!あんなに連続でイッたらゴムなんて意味ないの!待ってって言っても止まらなくて。カツラカツラって、キリがなかったじゃん!」
「ちょっとっ!!」
最後の一言にみんなの視線がカツラに向く。さすがのカツラもユーリの放った爆弾発言に固まっている。
フヨウはおそるおそるカツラを見た。カツラの誤解を解かなければと思い彼に駆け寄り言い訳を始めた。
「カツラさん、違うんですっ。彼女とは...」
「フヨウ、俺に説明する必要はない。俺には関係のないことだ」
相変わらずカツラの態度は素っ気無い。カツラと呼ばれた者を見てユーリが声をあげた。
「えー!あなたがカツラちゃん…てっきり女の子だと思ってた...でも」
ユーリは心の中で思った。「男だけど...すっごい美人。それに...なんかこの人、エロい空気が駄々洩れしてる」ユーリはカツラを遠慮なく見つめた。
黒いサラ髪、美しい翠の瞳、透明感のある白い肌。目を奪われる整った顔立ち。フヨウが夢中になった理由がわかったような気がした。
「フヨウ、彼女とちゃんと話し合え」
「カツラさぁん...」
「そうよ。私にこのお兄さんの代わりをさせたんだからっ。翠のカラコンまでつけてあげたじゃない!」
引き続き破壊力のすさまじい爆弾発言にカツラは片手で頭を支えた。聞くに堪えないといった感じだ。
やはりあくまでフヨウの本命はカツラなのだとみんなが悟る。
「私、赤ちゃんができたの。フヨウの子どもよ」
ユーリの言葉に一同、息を呑んだ。
ともだちにシェアしよう!