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第161話 14-2

「カツラ…なに言ってるの?タイガ君じゃない」 ホリーはまたカツラが冗談を言っていると思い、咄嗟に言った。 「はあ?」 タイガは予想外のことに固まっている。 「誰だよ?」 「本当にわからないの?」 「え?」 ホリーの真剣な問いかけにカツラは言葉を詰まらせる。 「カツラ、タイガ君だけ思い出せないのか?」 店長もカツラに今の状態を確認する。 「店長にホリー」 カツラは店長とホリーを指さし名前を答えた。そしてタイガに指をさし首をかしげる。 「んん?知り合いか?」 タイガの顔は顔面蒼白だった。無理もない。カツラは婚約者なのだ。ホリーがカツラに認識させるために二人の関係を説明する。 「カツラ。この人はあんたの婚約者よ!」 ホリーの言葉にカツラの翠の瞳が大きく見開かれた。 「はあ!?あり得ないだろっ。男じゃないか。しかも...」 カツラはホリーから聞いたことが信じられずにタイガなる男をようやく深く観察した。「確かにハンサムだな。顔は...悪くない。どっちかというと好きな顔かも。ガタイもいい。でも...。男とはしばらくつき合っていない」 片眉をあげ自分をマジマジと見るカツラにタイガは血の気が引いた。今まで自分を見るカツラの()と明らかに違う。今陥っている事実に愕然とする。カツラが自分を見る目は他人を見る目だと。タイガがはっとし言葉を発しようとしたときにドアがノックされた。医者が来たようだ。 医者にカツラの状況を説明すると一種の記憶喪失だということだ。医者がカツラを診察したところ、ここ一年近くの記憶が欠落している。カツラは自分が病院に運ばれることになった原因も覚えていなかった。 失われた記憶はすぐに戻るかもしれないし、一生戻らないかもしれない。こればかりはわからないと。 今のカツラにとってはなんの支障もないことだ。しかしタイガにとってこのことは受け入れがたく奈落の底に突き落とされた気分になる。 「カツラ...。リングは?」 「リング?」 「そういえば、カツラの服や身に着けていた物がロッカーに入ってるって。ちょっと待って」 ホリーはロッカーから袋を取り出しタイガに渡した。タイガはすぐにリングを見つけた。やはりカツラは肌身離さずリングを身に着けていてくれた。 「カツラ、これ」 思い出してくれ!望みをかけてタイガが美しい翡翠のリングをカツラに差し出した。カツラの反応は...。 「なに、これ?俺のじゃない」 「カツラ、自慢してたじゃない。タイガ君から貰ったって」 ホリーがタイガをフォローするがカツラからの反応はない。 「知らない」 店長もホリーもタイガに同情した。カツラの態度は素っ気無く、今の状況を打破するために積極的な動きを見せようとはしなかった。タイガに出会う前の他人には興味を持たないカツラに戻ってしまっていた。 「もう今日は疲れたから」 「そうだな。もう遅いし今夜はとりあえず帰ろう」 今はこれ以上話してもすぐに記憶は戻らないだろうと判断し店長も頷いた。 「そう...ね」 ホリーも押し黙るタイガを横目に気まずく頷いた。 「タイガ君、とりあえず今夜は...。カツラも疲れているだろうから」 「あ、うん...」 ホリーに促され、タイガはようやく返事をした。 「じゃ、カツラ、二、三日休んだら仕事に来い。無理そうなら連絡くれたらいいから」 「了解。今日はありがとう。店長、ホリー」 カツラはタイガには声をかけなかった。病室から一番最後に出るタイガはカツラをそっと振り返る。彼の表情は図体に似合わず今にも泣き出しそうな顔だ。カツラは時が止まったようにタイガから視線を離せない。 タイガは何も言わずに病室をあとにしドアが音もなく閉まった。 皆が帰り、一人病室で横になる。カツラは初めて会ったタイガという男の最後に見せた顔がなぜか胸にチクリと突き刺さった。「なんなんだ、あいつ」今まで経験したことのない感情を与えたタイガなる男にカツラは苛立ちを覚えていた。

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