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第179話 15-5
「タイガ、なにやってたんだ?」
アトリエから戻るのが遅れたタイガにカツラが突っ込んだ。
「見惚れるようなもんはなかっただろ?」
ソロはアトリエにある自分の描いたデッサンのことを言っているのだ。さすが美術教師をしているだけあり、彼の作品は素晴らしかった。タイガがアトリエに居残ったのは違う理由であったが。
「とてもお上手ですね。俺は絵が全然だめで」
三人でダイニングテーブルに向かい合い腰を掛ける。ソロはコーヒーを三人分用意してくれていた。
「ここは本当に変わらないな」
カツラがコーヒーの入ったマグカップを手にしみじみと言った。
「空港の南側は開発が進んでいるぞ。時間があったら行ってみたらいい」
二人の何気ない会話を聞きながらタイガは改めて部屋をゆっくりと眺めていた。リビングのキャビネットの上には写真が所せましと置かれていた。カツラの幼いころの写真もありそうだ。食い入るように見ていると、タイガの様子にカツラが気付いた。
「気になるのか?」
「え?あ、うん」
タイがの言葉を受けソロが立ち上がり、飾られていた一つの写真を持ってきた。それをタイガの目の前に置く。
とても、とても美しい女性。健康的な小麦色の肌。金髪、碧眼、完璧な形の見るもの全てを吸い込みそうな瞳。彼女の眼差しはカツラのものだ。
隣にはとても背の高い男性。黒髪、翠の瞳、透けるような白い肌。掘りの深い顔立ちではないが優しそうな眼差し。そして写真でもわかるほどの高い鼻梁、赤い唇。彼らの腕にはすやすやと眠っているとても綺麗な赤ん坊がいた。タイガは瞬時に理解した。カツラの両親と赤ん坊のカツラなのだと。
「美人だろ?カツラの母親の娘のアイリスだ」
自慢の娘だったのだろう。ソロは昔を思い出すように話した。
「三人で写っている写真は他にもあるんじゃないのか?」
「ああ、二階にあるだろ、お前の部屋に」
カツラが立ちあがった。
「タイガ」
カツラはキャビネットの方に歩みよりタイガを呼んだ。呼ばれたタイガはカツラのそばに行く。そこにあるのはほとんどがカツラの母アイリスの写真だった。
「すごく、似てる」
タイガが呟いた。そして隣にいるカツラに顔を向ける。カツラもタイガを見ており、二人は目が合った。タイガは無意識にそっとカツラの頬に触れ指を唇にすべらせた。
「シオンもアイリスに夢中だった。地味な男だったが」
ソロの言葉にタイガははっと我にかえった。もう少しでソロの目の前でカツラにキスをするところだった。
「シオンは俺の父親だ」
カツラが頬に触れたタイガの手を優しく取り説明した。
「アイリスんときと同じような状況になるとはな」
娘、アイリスの時も婚姻の報告は事後報告だった。こどもができたから結婚したと。ソロはそのことを話していたのだが、そんな過去を知らないタイガは、娘を奪われた父親の気持ちをソロが言っているのだと思った。
カツラは男だが婚姻した相手は男だ。しかもかなりガタイのいい大柄の男。まだ偏見のある同性婚が事後報告になってしまった。タイガはソロが自分たちの婚姻に関してよく思っていないのではと心配になった。
「歴史は繰り返すってやつだな」
そんなタイガの心配をよそにカツラがさらっと応えた。
「あの...。相手が俺で大丈夫ですか?」
タイガはやはり確認せずにはいられなかった。ソロに視線を向け彼の反応を伺う。
「ん?」
言われたソロはピンときていないようだ。
「タイガ」
カツラの手がタイガの腕に触れた。カツラはタイガの言おうとしていることに気付き、問題ないと伝えようとした。
「なにがだ?」
カツラの仲裁は虚しくソロとタイガは話を続ける。
「同性同士の婚姻に対して...。俺はカツラを誰よりも大切にします。一生をかけて。でも...こういうことにまだ偏見があるのもわかっていて」
「タイガ」
タイガが堰 をきったように話すのを見てカツラはたまらずタイガの手を取る。カツラはタイガの気持ちが嬉しかったし、自分はタイガと同じ気持ちだと伝えたかった。
ソロは愛しい眼差しでタイガを見つめるカツラに気付いた。孫のカツラのこんな顔は見たことがない。初めて見るカツラの表情にソロは一瞬言葉をつまらせる。二人はどうみてもお互いを思い合っている夫婦に他ならなかった。魅力的であるが故か他人に執着を見せなかった孫がここまでこの男に寄り添い求めるとは。
しかもタイガにむけるカツラの眼差しは、娘のアイリスがシオンにむけていたものと同じものだ。正に歴史は繰り返すだ。
当初、カツラから結婚した相手が同性だと聞いた時は一瞬耳を疑ったが、ソロは細かいことを気にしない性質 であるため、その驚きは長く尾を引かなかった。
ソロと一緒に暮らしている当時からカツラは同性にも言い寄られることが多々あった。カツラが相手を受け入れることは一度としてなかったが。
過去にそういうことがあったからか、カツラとタイガの結婚に対してもなるほどと妙に納得してしまったぐらいだ。しかもこのようなことは今のご時世では決して珍しいことではない。
「好きにしたらいい。カツラが決めることだ。こいつの人生だからな」
タイガはソロの言葉を理解するのにしばし時間がかかった。カツラの判断にゆだねる、理解してくれているということかとソロの気持ちを改めて確認しようとする。
「今の世の中、珍しいことじゃないだろ。二人の問題だ」
「な?タイガ」
カツラに名を呼ばれタイガはカツラに顔を向ける。そして手に触れられたカツラの手を握り返した。
「そろそろ夕飯の用意をするか。久しぶりにローストチキンを焼いてやる。お前の好物だろ。上にいって休んでろ」
ソロがこの話は終わりというように冷蔵庫を開け、料理の準備に取りかかった。
「タイガ、二階が俺たちの部屋だ。行こう」
「俺たち」今日から一週間ともに過ごす部屋だ。
「うん」
カツラのあとに続きタイガは二階へと続く階段を上がった。
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