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第226話 15-51
18時がすぎた。ほぼ時間通りに玄関の呼び鈴が鳴る。ゼファーは時間に正確らしい。
「じゃ、行ってくる。構わず先に休んで」
ダイニングでコーヒーを片手に新聞を読んでいるソロにカツラが伝える。
「おう。気をつけてな」
「じゃ、行ってきます」
タイガが行儀良く声をかけるとソロは片手を挙げ二人を見送った。
玄関のドアを開けるとゼファーがいた。背後には彼の愛車がある。
「ゼファー。相変わらず時間通りだな」
カツラがゼファーに声をかける。
「いい習慣だろ」
「タイガ、助手席に乗るか?」
運転席に座るゼファーを確認しカツラがタイガに尋ねる。タイガはもちろんゼファーの隣に座る気はなかった。
「あ、いや。いいよ、後ろで」
「そうか」
タイガはカツラと一緒に後部席に座りたかったが運転役をかってくれたゼファーをたてなければならない。タイガの意思を聞いたカツラは当然のように助手席に乗り込んだ。
夕焼け空の下、再び空港の南側に向かう。
先日足を伸ばしたビーチを通りすぎ、繁華街のほうに進んでいく。人が意外に多い。奇抜な派手な姿をしている者たちもいる。何かイベントでもあるのだろうか?
「ゼファー、いったいどこに連れて行くつもりなんだ?」
ここ最近の様子を知らないカツラが思い当たる場所がなくとうとうゼファーに尋ねた。周りの様子にカツラも不思議に思っているようだ。
「まぁ、着いてのお楽しみさ。もうすぐ車を降りて歩くから。ここには来たことないだろ?」
「俺がいたときは何もなかったろ。ほんと、栄えたな」
二人は昔を思い出しながらあれこれと話し続ける。タイガはまた蚊帳の外だ。ゼファーと楽しそうに話すカツラの横顔を見つめると無意識にため息が出る。今夜、楽しめるのだろうか。
外を眺めると辺りは夕闇が迫っていた。数分後、車を停車し徒歩で目的の場所まで向かう。
「ここだ」
着いた店はカラフルなネオンが輝いていて外にあるテラス席にも数名の客がいた。どうやらバーのようだ。オレンジ色のライトが照らす薄暗い店内に入ると、意外に広い店だった。ダンスフロアーがあり、立ち飲みをしている者達もいる。人気がある店なのか、店内はざわついていた。ゼファーは真っすぐ奥にあるカウンター席へと向かう。カウンター越しに男性店員に目くばせすると置かれていた予約席と書かれた札が取られた。
「ま、かけようぜ」
タイガとカツラはゼファーの勧めるままに席に着く。先ほどゼファーと目配せした店員は奥に消え、もう一人、女性の店員が出てきた。
「いらっしゃい」
女性店員はカツラに視線を移しにっこりと微笑んだ。
「カツラね!」
金髪を短く刈り上げた女性店員は親しみのある声で叫んだ。
「え?」
名前を呼ばれたカツラは何故店員が自分のことを知っているのかわかっておらず訝しんでいる。
「わからない?ほら?」
そう言って女性店員は胸ポケットから黒縁眼鏡を取り出しさっとかけた。知的なブルーグレーの瞳がよく目立った。
「もしかして!ヘザー?」
カツラはヘザーなる女性の今の姿に驚いているのかマジマジと彼女を見た。
「ふふふ。驚いたでしょう?」
「タイガ、彼女はヘザーで俺の高等部の同級生だ。委員長をやっていた」
話が分からないタイガにカツラが説明をする。
「すごい変わりようだ」
カツラは本当に驚いているようで声が少し上ずっている。今夜初めてヘザーに会うタイガには彼女の姿は全く違和感なく目に映った。それほどヘザーの雰囲気、外見はこの店になじんでいた。
「彼がカツラのパートナーね?よろしく」
タイガのことをゼファーから前もって聞いていたのかヘザーがタイガに微笑み挨拶をする。タイガも彼女と挨拶を交わした。
「まさか、この店...」
店内に目を向けながらカツラがそっと言葉を発する。
「そう、私の店よ。いいでしょう?」
カツラによるとヘザーは学年一の秀才で、眼鏡に長いロングへアの大人しい存在だったらしい。今の彼女の外見は高等部の頃とは正反対なのだとか。
「私の弟がトランスなの。それでね」
トランス...。トランスジェンダーのことか。タイガの脳裏にトランスジェンダーについて過去に聞いたことのある言葉が思い浮かんだ。
トランスジェンダーとは生まれついた体と性自認が異なる人を指す。具体的にはこうだ。
男性の身体で生まれたが、自身の性別は女性であると認識している人(MtF)
女性の身体で生まれたが、自身の性別は男性であると認識している人(FtM)
「どういうこと?」
話の先が見えていないカツラがポカンとした表情を浮かべ尋ねた。
「もうっ。鋭そうに見えて鈍いんだから」
ヘザーが言うにはトランスの弟のことで、トランスジェンダーの存在を初めて知ったという。彼らはまだまだマイノリティーで偏見や差別に見舞われやすい。彼女はそんな彼らの憩いの場所を作りたかったのだそうだ。
しかもヘザーが大学時代に留学した国はLGBTQ+(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クィア・クエスチョニング)に対する差別や偏見に反対し、セクシャリティやジェンダーの多様性を祝うパレードがあったらしい。その名もプライドパレード。国を挙げてのパレードでかなりの規模のものだったとか。
「とても衝撃だった」
当時を思い出したのかヘザーは遠い目をして呟いた。
「なるほどね。それで...か」
カツラが改めて店内を見回しながらうなずく。ヘザーは弟のために何か力になりたかったのだろう。彼女の努力にカツラもタイガも感心した。
周りは性別に捕らわれない服装、奇抜なファッションの者たちもいる。もちろんカップルは異性の者もいれば同性同士もいる。まさに多種多様だ。しかし、彼らの表情は明るい。
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