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第265話 18-1

最近『desvío』の店長は忙しそうだ。丘の上のレストランの成功は飲食業界でもっぱらの噂である。その結果、店の酒をプロデュースした店長は一躍有名になってしまったのだ。店長の酒の知識を得、利益を生もうと関係企業からの連絡が絶えない。今や『desvío』の店長は引っ張りだこのだ。そんなわけでこのところ店長は店を留守にすることが多い。 「聞きました?期間限定でイベントのヘルプに入る話」 開店準備をウィローとしていると最近店でもよく出る話題になった。近々開催が予定されている酒に関するシンポジウムだ。流通や品種など酒についてのあらゆることについて関係企業で議論するのだとか。その余興として地域のイベントにのっかり酒を親しみ楽しんでもらおうと一般来場者たち向けの店舗やブースが設けられる。『desvío』は出店しないが、今回参加することになった店長の知人に応援を依頼されたと話は聞いていた。 「ほんとにヘルプにいくことになったんだ?誰が行くんだ?」 まるで他人事のように淡々と業務をこなすカツラをウィローは呆気にとられ見つめていた。 「なんだよ?」 「そんなの、カツラさんに決まっているじゃないですか」 「はあ?」 カツラは勝手に決めるなと言わんばかりの顔で反論する。 「なんで俺なんだよ。ちょうどいい機会だろ。ウィロー、お前いってこい」 「店長からお声がかかれば行きますよ。でも向こうはやっぱりそれなりに知識と経験がある人を求めるわけですよね?俺じゃ役不足だと思うんです」 「そんなことないって。そういうことで経験を積むんだからさ。ホリーは休養中だし不愛想なシュロには無理だろ。お前が適任だって」 「ははは」 ウィローは愛想笑いをし絶対にカツラになるだろうという断固とした思いは伏せておいた。 「早いな。お前たち店にばっかりいないで自分の時間を大切にしろよ?」 裏口のドアの音がすると思ったら店長が久々に店に顔を出した。店長はまだ出勤時間に余裕があるにもかかわらず店にいるカツラとウィローのことを心配しているようだ。 「店長、おはよう。家にいても暇だから。最近掃除できていないと思ってさ」 一月ほど前、『desvío』は雑誌に取り上げられた。そのため店はいつもより客数が増え普段組まれている業務が滞っていた。その一つが掃除だ。といっても潔癖なカツラが通常の掃除にプラスアルファで勝手にやっている掃除も含まれているのだが。 「俺も新しいメニューの手順を確認しておきたかったので」 季節が変わるころに『desvío』は毎回期間限定のメニューが出る。それは酒も料理もだ。その数は10種類ほどで手が込んでいる。カツラに比べまだ経験が浅いウィローはそれらを完璧にものにできてはいなかった。 「いい心がけだけどね。無理しないようにな。所でウィロー、今度の酒のイベントに参加しないか?人手が足りなくてな」 ほらおいでなすったとカツラは腰に両手を当て店長とウィローに注目した。 「え!俺ですか?」 ウィローは自分がヘルプに行くことになるとは本当に思っていなかったようで面食らっている。目が泳ぎそのままカツラを見る。 「カツラは何回か経験しているからな。ウィローもそろそろ行ってもいいころだ。それに今回は試飲もできるから楽しいぞ。身構えずに普段店での接客だと思ってやればいい」 「はあ...」 今からガチガチに固まるウィローに店長がそう声をかけるがあまり効果はないようだ。そんなウィローをふふふと横目で笑いながらカツラは自分の仕事に戻った。 今回のイベントは大掛かりなものだ。大手メーカーや老舗や新生の酒造家がずっと温めてきた計画で一週間かけて開催される。地域活性のイベントと並行しているためそこに訪れる人たちもかなりの人数になると予想される。シンポジウムの関係者の多くも試飲に訪れるに違いないので、自家製品を売り込むチャンスとみな力が入っているのだ。過去カツラが数回参加したこじんまりとしたイベントとは異なりあらゆることに神経を使わなければいけない。 それから数日後、ウィローは店長に言われるまま実際応援に入ることになった。ウィローはイベントの間店に顔を出していない。いったいどんな感じなのかとやはり気になるカツラは休みの日に仕事帰りのタイガと連れ立ってそのイベントに足を伸ばした。 夕闇の中、多くの人が同じ方向に向かって歩いていく。目的の場所は同じ。毎年開催される季節限定のイベント広場だ。木々に飾り付けられたイルミネーションは輝き、ここだけ非日常的な華やかな空気が漂っている。人々は酒を手に同じくイベントに参加している料理店の自慢の品を堪能しながらにこやかな表情だ。カツラとタイガも数件の店に立ち寄り食べ歩きを楽しむ。二人でゆっくりと奥に進んでいくと、にぎやかな空気の広場の先に落ち着いた赤レンガ造りの建物が見えた。 「タイガ、あそこだ。ウィローがいるのは」

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