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第266話 18-2
中に入ると人はそれなりにいるが外とは異なり静かな空間だった。ゆったりとしたジャズが流れている。
それぞれテーマ別にブースが設けられ、ちょっとしたバーが乱立しているように見える。扱っている商品やテーマは様々で各ブースの個性がきわだっている。酒に疎いタイガでもこれは飽きないし楽しめそうだと感じる。
訪れている人達は一般来場者もいるが、いかにもその道専門の雰囲気を持った人がちらほら見える。彼らは時々質問し、興味深く担当者の話に聞き入っている。
店長の話では気軽にいけということだそうだが、これは大変なのではとタイガはウィローのことが心配になった。カツラも同じ気持ちなのだろうか、キョロキョロと辺りを見回している。
「カツラ、あそこ。ウィローじゃない?」
先にウィローの姿に気付いたタイガが右奥のブースを指さした。そこは緑と紫を基調にしたベルベットの布が仮設店舗の天井から波をイメージしたようにゆるいドレープ状にセンス良く垂れ下がっている。オレンジ色の照明の奥には小さな色目の濃い木製のカウンターがあり、とても重厚な雰囲気だ。仮設でこれだけの仕上りにタイガは手が混んでいると感心してしまう。きっとこだわりの強い店主なのだろう。カウンターの奥には酒がずらりと並んでいるが、どれも見たことのない酒で値がはりそうだ。
今カウンター手前で接客をしているウィローはいつもの店でのラフな姿とは異なり、襟元がキリっとした白いワイシャツに緑のアスコットタイ、黒いベスト姿だ。フォーマルな装いからもここが高級感のあるブースなのだとわかる。ウィローは客から質問攻めにあっているのか、表情が引きつっているようだ。心なしか少しやつれた印象だ。
「がんばっているみたいだな」
タイガは余裕のないウィローが心配になったがカツラはニヤリと口角をあげ気にしていないようだ。後輩に対して甘くないカツラの愛の鞭なのかもしれない。タイガは心の中で「ウィローがんばれ」と囁きカツラと二人、彼がいるブースへと向かった。
「これよりもっとすっきりとしたものがいいんだ」
「でしたらこちらはいかがでしょうか?」
ウィローはブース内に並べられた酒の列から一つの酒瓶を手にとり透明のプラスティックコップに少量注ぐ。その姿はなかなか様になっている。注がれた酒は僅かに黄みがかった液体だ。いったい何をベースに酒造されたものなのだろうか。カツラとタイガはウィローに気付かれない距離で二人のやり取りを見守っていた。
「そうだなぁ。悪くはないんだけどパンチがたりないな」
どうやらかなり面倒な客に捕まってしまったようだ。タイガはそれとなくカツラに視線をうつす。カツラはウィローから離れた場所にある酒瓶を見つめていた。
視線の先にある酒はカウンターから離れた店の前の一角にずらりと並べられていた。正面からは死角になるこの場の酒はカウンター奥にあるものとは異なり、異国情緒溢れるものが多い。派手なラベルが貼られた酒瓶にタイガは親しみを覚えた。
とはいっても酒に詳しくないタイガからすれば目の前にある酒はどれも同じに見える。庶民的な酒であることは予想できた。それにしても面白い。奇抜な絵柄のラベルや瓶の形も動物や魚を模したものまである。初めて目にするが興味惹かれるものばかりだ。
酒の知識が豊富なカツラにはウィローと客のやり取りを聞いてピンとくるものがあったのだろうか。カツラはゆっくりと視線の先にある酒が置かれた棚に近づく。
「カツラ?」
タイガはカツラの数歩あとで追いつき声をかけた。カツラの横顔は微笑んでいる。目的の酒を手に取りラベルを確認する。
「珍しい酒だ。原料になる花が咲くまでには5年~10年かかる」
「え?そんなに?」
カツラの言葉に目を丸くして驚くタイガを見、カツラは説明を続ける。
「自然のものはな。今では人の手であれやこれやと改良され開花までのサイクルを早めているそうだ。限られた地域でしか取れないもので、かつては神への御神酒として奉納されていた。とても神聖な飲み物なんだ。アルコール度数は高めで組み合わせによっては酩酊状態に陥りやすい。そこで神のお告げを賜るとか」
タイガがカツラの説明に吸い込まれるように聞き入っていると、カツラがはっとしそこで言葉を止める。
「なんだかんだでそれで神の領域の酒といわれているんだ」
ついつい普段の癖で酒の講釈をしてしまったことを少し照れるように、にこっと微笑み冗談めかした感じで締めくくった。
「飲んでみないか?かなりインパクトはある」
「あ、うん。そうしよう」
カツラの説明を聞いてもちろんタイガはこの酒を飲みたくなった。ラベルの絵を見て一瞬ドキリとするがカツラお勧めならば間違いはないだろう。
「お兄さん、この酒試飲したいんだけど?」
カツラがウィローに視線を向け声をかけた。
「え!?」
カツラの存在に気付いていなかったウィローは聞きなれた声に驚き、その姿を確認してなおさら目を大きく見開いた。思わずカツラの名前を呼びそうになるウィローにカツラは人差し指をたて口元にそっとあてた。知り合いであることは伏せろということか。ウィローは接客中であった客に少々お待ちくださいと声をかけタイガとカツラの元に来た。
「これは...」
カツラの手にした酒をみてウィローははっとしている。
「『ケアス エミュ チェ べホリッシュ』これなら大丈夫だろう」
なめらかにカツラからその酒の名が語られた。聞きなれないその名から異国の地の酒であることがわかる。ウィローは酒とカツラの顔を交互に見た。
「あ、はいっ」
カツラからの無言のメッセージに何か気付いたのか、ウィローの表情がここにきてようやく落ち着いた。
「お客様もご一緒にいかがですか?こちらはとても珍しい酒で」
ウィローが先ほどの客にも声をかける。客は酒を見一瞬訝しい顔をしたがその向こうに見える男二人、主にカツラを見てはっとしたような表情になりそれじゃぁと渋々ながら笑顔を浮かべ酒の試飲を受け入れた。タイガはカツラが男と目が合ったときにいつも客にする最高の微笑みを僅かに浮かべたことを見逃さなかった。タイガの下半身がざわつく。今夜もしっかりとカツラの体にわからせなければとタイガは思った。
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