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第275話 18-9
「ほんと、ありがとう。お金はちゃんと返すからね」
先程の腹痛はどこへやら、ユーリは満面の笑みでカツラにことの経緯を説明した。
ユーリはバイト先のママに大切な買い物を頼まれた。しかしうっかり財布を忘れてしまった。とても急ぎの買い物だったので、代金は必ずあとで払いに戻ると店員に説明したが、店員は外国の者だったため言葉が上手く通じず大いにもめた。
そんな時、ユーリの記憶に鮮明に残るカツラにばったり出くわし、無意識にカツラの名を呼んでいたとのことだ。
結局カツラはユーリの一芝居にまんまと乗せられてしまった。そんなに親しい仲でもないのに体調を気遣いユーリのところに戻ったのがカツラの運の尽きだ。ユーリの買い物代を立て替えさせられた上に、そのまま彼女の働く店まで送るはめになってしまった。
「なに?」
仕方なくユーリと二人肩を並べて歩く。カツラは斜め下から強烈な視線を感じていた。ずっと無視していたカツラであったが、とうとう我慢できずに声をかけた。
「ほんと綺麗だなぁって。フヨウの気持ちがわかるなぁって」
ユーリは珍しいものでも見るように遠慮なくカツラの顔を見入っていた。
「腹は大丈夫なんだろうな?病院には行っているのか?」
ユーリの言葉は無視してカツラが尋ねる。確かにユーリの下腹は僅かに膨らんでいる。妊娠5か月といったところか。彼女の腹の子は職場の同僚のフヨウの子供かもしれない。関わってしまった以上、邪見にはできなかった。カツラはユーリの体を労り店までの送迎も引き受けたのだ。
「妊娠中なんだからその靴はな...」
カツラはユーリの足元に視線を向けた。ヒールの高いサンダル。いまにもこけてしまうのではと見ている方がハラハラする。
「大丈夫よ、履きなれているんだから。かっこいい上に優しいんだね」
ユーリはそう言っていきなりカツラの腕にしがみついた。
「おいっ!」
「いいでしょう?別に?わたしが転ばないか心配なんでしょう?」
ユーリは風俗経験者だ。面倒な客を何人もこなしてきたに違いない。強靭なメンタルにしたたかさ。さすがのカツラもユーリのペースにすっかりはまってしまった。
数分歩くと先ほどとはかわって静かな路地に出た。隠れ家的な店が多いようだ。一軒家の一階部分をカフェにしている店もある。ユーリの目的の店は黒塗りのマンションの一階にあった。そこだけ青く壁が塗り替えられている。扉は小さめの木製で、こじんまりとオレンジ色のライトでひっそりと照らされていた。マンションの二階部分のむき出しの階段からツタの葉が垂れさがり、まさに知る人ぞ知る雰囲気を持つ店だ。
「ここよ。入って」
ユーリに促されるまま、カツラは店の中に足を踏み入れた。左手に縦長のカウンターがあり、右手にはテーブル席が6つあった。心地よさそうなアンティーク風のカウチソファーに低いテーブル。カツラの予想を裏切りなかなかセンスの良い店だ。
「ユーリ、遅かったね。心配してたんだよ?」
この店の店主らしき女性がユーリに声をかけた。カツラに気付いた瞬間、はっと息を呑む。
「ママ、この人はフヨウの職場の先輩のカツラさん。助けてもらって」
ユーリは先ほどの飲食店街でトラブルになり、カツラに助けてもらった経緯をママに説明した。
ママと呼ばれた人物はゆるいウェーブがかった赤茶色の肩までの髪に丸い紫がかった眼鏡が印象的な女性だ。化粧は派手だが少しポッチャリしているせいかバーのママというより喫茶店を切り盛りする気さくなおふくろさんの雰囲気だ。
「そうなのぉ?それにしても美人ねぇ。スタイルもいいし」
ユーリの話を聞きながら、惚れ惚れとカツラを見つめるママに居心地の悪さを感じたカツラは「それじゃ、俺はこれで」といいその場を立ち去ろうとした。しかし、ガシッと腕を掴まれる。見るとママがいつの間にかカウンターから抜け出しカツラの腕を決して離すまいと両手で掴んでいた。
「いいじゃないの、少しくらい。お礼がしたいから。ね?飲んでいってよ?」
カツラは軽いデ・シャヴを感じた。やばいと思ったときには時すでに遅し。カウンターの一つに座らされユーリとママに挟まれ酒を飲む羽目になってしまった。
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