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第277話 18-11

「本当に助かったわ。社長も喜んでいたし」 ほろ酔いのママは満面の笑みでカツラに礼を述べた。 今夜、ユーリの働くバーは貸し切りだった。常連の家具メーカ-の社長が息子や長年の部下を連れて慰労会後に飲みに来たのだ。 社長はママとは学生時代からの友人らしくこの店をかなり贔屓にしてくれている。聞けばカウチソファーは社長からのプレゼントだそうだ。 海外赴任が長い息子がこの度本社に籍を置くことになったが、異国を懐かしみ当時たしなんだ茶を用意してほしいとママに依頼していた。それがユーリが頼まれていた例の買い物である。その茶は珍しくこの界隈では例の店にしか取り扱いがなかった。是が非でも必要だったということだ。しかも茶を煎じるのに時間がかかる。ユーリが急いでいた理由がようやっと納得できた。 「みんな驚いていたわね」 滅多に経験できない状況を思い出しママは笑いが止まらないようだ。 社長を笑顔で出迎えたママの隣にいる美女に店を訪れた全員が息をのんだ。男全員の視線が集まる中、カツラは声色を変えることなく「いらっしゃいませ。カツラです。今夜はよろしくおねがいします」と普段の感じで話したのだ。一同再び息を呑み言葉を失ってしまった。ママは慌てて事情を説明し、今夜だけの特別だと話した。 社長たちはカツラが自分たちと同じ男だとわかったが、会話の合間にその完璧な女装姿にちらちらと視線を投げかける。そのドレスの下は本当に男の体なのかと言いたげな視線だ。今の世の中、トランスジェンダーは珍しくない。過去男でも構わない、ベッドを共にしたいと皆興味深々なのだ。 しかし男達のそんな思惑をよそにカツラは飄々と接する。酒に関する話だけでなく、相槌のタイミング、天性の聞き上手など接客は抜群で、時間が経つにつれみなカツラとの時間が過ぎていくことを惜しく感じていた。 「口説かれたんでしょう?バルサさんに?」 バルサとは社長の息子だ。彼はカツラより一回り年上でカツラから聞く酒の話にすっかり心を奪われていた。そして次は男性の姿でいいから会いたいと誘われた。一緒に美味しい酒を飲みに行こうと。もちろんカツラは丁寧に断ったが、手にはしっかりとバルサ個人の携帯の連絡先が記された名刺を握らされた。 「旨い酒ならここでも飲めるでしょう?俺が付き添わなくても」 「連れないのねぇ。そういう意味じゃないと思うけど」 店の片づけをママに任せ、カツラは奥で休んでいるユーリの様子を見に行った。 「おつかれさま。楽しんでたみたいね」 ユーリは店の奥にあるママのプライベートルームのソファ-に横になり呑気にテレビを見ていた。その様子から腹痛はすっかり引いたようだ。 「いい気なもんだな。誰が楽しんだって?」 「もっと甘えたらよかったのに。あの様子じゃ、バルサさん、いくらでも財布の紐が緩くなるわよ」 「ったく。馬鹿なこと言ってないで。フヨウには連絡したのか?」 「うん。もうそろそろつくと思うよ」 閉店業務を終えた今、ユーリの迎えのフヨウを待つのみである。奥でくつろぐママとユーリを残し、カツラは店のカウチに腰掛けていた。 スリットが入った側の足は組まれガーターストッキングを履いた長い足が太ももまで丸出しになっている。そんなことは一切気にせずカツラは携帯を眺めていた。タイガとのメールに夢中なのだ。タイガも今夜は遅くなるらしく、待たずに休むようにとカツラを気遣ってくれた。タイガのことを思うとカツラは体の芯が疼いた。 ガチャ、キィ...。 店のドアが開いた。 カツラが視線を向けるとそこにはフヨウが立っていた。フヨウはカウチに座っているのがカツラだとは気づいておらず、金縛りにあったようにその場につっ立ている。そしてフヨウの視線は丸出しになったカツラの長い形のよい太ももに釘付けになった。その瞬間、カツラがさっと立ち上がった。 「遅かったな。店、混んでたか?」 「へ?」 フヨウは立ち上がったカツラの顔をマジマジと見た。フヨウの中でカツラと今目の前にいる者とがなかなかリンクしない。泳いでいた視線が翠の瞳にとどまる。吸い込まれるような美しい形の瞳。数十秒たってようやくはっとする。 「えええええ!!!!」 カツラは片目をつぶり、顔を背けた。 「うるさいな」 「だって...。カツラさん?」

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