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第297話 19-6
ここにきてタイガはカツラの様子がおかしい理由をようやく理解した。激しい警笛が響く。カツラの心が離れてしまうと。
「まって!ちがう、ちがうんだ!そういう話はしたよ。でも了承なんてしていない。俺たちにとってはまだ先の話だと思っているし。そんなこともあっていいかなぐらいの気持ちで軽く話を合わせただけだ」
タイガはカツラの両肩をガシッとつかみ、なんとか誤解をとこうとした。そしてタイガにだまってカツラに内容を脚色してこの話を伝えたベラたちに怒りを覚えた。
「タイガ。とてもナーバスなことだ。だから専門機関があるんだ。子供が産まれてからトラブルになることも多い。俺はそういうのははっきりいって望まない」
「うん、わかってる、わかっているよ。本当に了承なんてしていないから。きっと二人が早とちりしたんだ」
「そうかもしれない。時間がないと言っていたし。でも…」
カツラはタイガの言い分に一定の理解を示しているが、まだなにかあるのか言葉をにごす。タイガは生きた心地がしなかった。
「カツラ、気になることがあるなら言って」
「俺は…」
カツラは言葉につまった。タイガに話すべきなのか判断しかねた。
「いや、これは俺の問題だから」
タイガのカツラに対する執着は激しい。それはカツラ本人も理解していた。しかし、そのことはカツラにとって愛されていると実感するものであり、なんの不満もなかった。そのため当然のようにタイガは自分以外の他と付き合いは一切ないと勝手に思い込んでいたのだ。
今回、大学の同級生のベラと偶然仕事をすることになり、その流れで食事を数回した。そして彼女のパートナーとも付き合いがあった。
誰もがする普通のことだ。自分以外の付き合いはゼロと勝手に思いこんでそうでなかったときに落胆し嫉妬するほうがおかしいのだ。
こういう経験が今までなかったカツラはかなり参っていた。初めて愛した男、タイガに依存していることが明るみになったのだ。今回のことでカツラのメンタルはすっかりやられてしまっていた。
「カツラ、言ってくれていいから。どんなことでも受け入れるから」
「タイガ…。俺は子供はいらない。お前さえいてくれたらいい」
「カツラ…それは…」
「ごめん、しばらくは考えられない。ごめん」
これはタイガにとってかなりショックなことであった。カツラの子供がほしかった。しかし、自分の軽率な行動でカツラを傷つけてしまった。
いまはなくしてしまったかもしれないカツラの信頼を取り戻すのが先だ。
「わかった、わかったよ」
タイガはカツラを強く抱きしめた。絶対に離さないというふうに。
「子供のことは今決めるのはやめよう。俺もカツラが大事だ。一番大切だから」
「今回は残念だけど」
タイガはベラの店が共同経営の候補から外れたことを電話で伝えた。万全に準備したプレゼンを行う前であったが、再考したいからとタイガもカツラが提示してくれた事案を調べ検討を繰り返した結果、会社としても不適切と決断したのであった。
そして体外受精の件もきっぱりと断った。ベラにとっては仕事の件より体外受精のことのほうがウェイトが大きかったようで、30分以上説得に粘られた。会って話したいと言われたが、タイガはそれも断った。
あの日、さすがに疲れているからと何もせずにカツラは眠りについた。結婚してから初めてのことである。
そんなつもりはないかもしれないが、タイガはカツラから拒絶されたように感じ、早くこの件を片付けなければと急ぎ資料を取りまとめ、最速でことの終活にとりくんだのだ。そしてまずベラに断りの電話を入れたのであった。
タイガは退社後、久しぶりに『desvío』にむかう。早くカツラに会って今日のことを伝え、彼を安心させたかった。
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