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第309話 19-12
木の香りと共に食欲をそそる匂いもする。家庭料理をメインに提供すると聞いていたが、既に料理が届けられたテーブルを見ると普段目にする料理にひと工夫もふた工夫もされているようだ。どこかしら懐かしいが目新しいのだ。アレンジというべきなのだろうか。メニューには詳しい写真の掲載がなかったので、自然と目が向いてしまった。
「長年培ってきた交際関係で、有名なシェフとも故意にしていたらしいんだ。彼らに料理の監修を依頼したらしいよ」
不思議に思いながら周りに視線を向けていたカツラにタイガが説明する。先程からタイガ自らイチオシだというだけあって、タイガはここをかなり気に入っているようだ。普段より言葉数も増え、テンションも高い。せめて自分は冷静な判断をしなくてはとカツラは気持ちをひきしめた。
「なるほどな。家庭的でありながら自宅では味わえない味か。コースも手軽なものからハイクラスまでと幅広いんだな」
カツラは目の前にあるメニューを改めてながめた。
「酒もランクごとにそろっているのか」
「カツラが好きなものを頼んだらいいよ。料理はこのコースがいいかな」
普段生活時間が真逆な二人がこうして揃って出かけることはあまりない。レストランの案件でカツラと出かけることか最近多くなった。カツラはかなり融通してくれているはずだ。タイガはカツラに感謝と改めて深い愛情を感じた。なにげなくメニューを選ぶだけでも幸せなのだ。
カツラに集まる視線、美しいパートナーを得たタイガへの羨望の眼差し。すべてが心地よくタイガの気持ちは浮かれっぱなしであった。
「いらっしゃい。今日も友人と?」
嫌味のない柑橘系の香を漂わせた女性がタイガに声をかけた。カツラが振り向くとばっちりと目があった。彼女もカツラを見ていた。目鼻立ちのはっきりしたエキゾチックな顔立ち、小麦色の肌にブラウンのロングソバージュ。赤いリップを引いた勝気なオーラ。
タイガはカツラに彼女はオーナーの一人であるアリッサであると紹介した。タイガの話では女医ということであったが。
カツラの予想を裏切りアリッサはさらっと挨拶を交わしただけで席を離れ別の客のテーブルにむかった。
「アリッサさんはサバサバしているんだ。オーナーは長話なんだけどね。今日は留守みたいで残念だな。カツラに紹介したかったのに」
タイガはこの店のオーナーを兄のように慕っているのであろうが、カツラは内心おもしろくなかった。自分はタイガの伴侶であるが兄のように頼ってもほしかった。
最初はさほど気にかけていなかったが、ここまでの熱の上げ様に違和感を覚え始める。タイガがこれほど強烈に親しみをもつことが少し異常に思えたのだ。いったいどんなやつなんだ?
料理、サービスは確かにいい。しかし、ほぼ素人夫婦が始めたまだかけだしの店ということもあるのだろうが、特にこれといって魅力をカツラは感じなかった。酒も面白みもない。酒を専門に仕事をしているカツラからすれば、高級なものをただ書き連ねているように見えた。料理の質、こだわり、コンセプトなどからすれば、ベラの店のほうが上である。
レストランのオーナーがかき集めた推しの店は数軒あったそうだが、カツラに提示された店は最初から三軒しかなかった。その中で特に心惹かれるといえば、トリスたちと訪れたレストランしかなかった。
この店はタイガのイチオシらしいが、仕事なのでその辺りは真摯にタイガに伝えなければいけない。
自宅に着いてから話せばいいか。
カツラは仕事のことは一旦忘れ、タイガとの滅多にないランチを楽しむことにした。
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