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錦公太郎
「えっ、男……⁉」
錦にキスをした生徒は女子生徒が着用しているスカートを履いていなかった。代わりに履いているのは省吾も履き慣れた男子用のスラックスだ。女子生徒にしてはハスキーだと思った声も、一人称が僕だったのも、声の主が少年だとすれば納得がいく。
他人の告白を目の当たりにし、キスシーンを目撃しただけでも驚かされたというのに、それが男同士だった衝撃は省吾にとって受け止めきれないほどのインパクトだった。隠れていなくてはいけないのに、つい声が出てしまう。
その声が届いたのか、錦にキスをしていた男子生徒がはじかれたように錦から飛びのく。錦もまさか他に誰かいるとは思わなかったのだろう。少し驚いた表情を浮かべながら、省吾を見た。
男子生徒は省吾の姿を見るやいなや、まだあどけなさの残る顔をぐしゃりと歪めて、校舎内へと走り逃げてしまう。あれは泣いていたかもしれないと、省吾は胸に小さな罪悪感を抱えた。
「お前、こんなところで何をやっているんだ?」
告白からキスまで、すべて見られていたというのに、何も気にしていない様子で錦が省吾に近づいてくる。
省吾の周りに散らばったゴミを見て、錦は悟ったように言った。
「なるほど。姿を見かけないときはここで過ごしていたのか。確かにここだと人目につかない。でも屋上は立ち入り禁止だろ」
「……うっせーな」
「それに今日、昼から授業をさぼっただろう。他の先生方から聞いたぞ。ホームルームにも出ていないと思ったら、何してんだよ、お前は」
男子生徒とあんなことがあったばかりなのに、平気な様子で教師面をしてくる錦に、省吾は苛立ちと不信感を覚える。意図せず反抗心が芽生えた。
「うっせーよ! 目の前で生徒と……しかも男とあんなことしておいて、なに平気な顔で説教してやがんだ、あんたは!」
「あんなことって……俺がなにかしたか?」
「は、はぁ……⁉」
自分が何をしていたのか覚えていないのだろうか。平然としている錦に、自分が見たものは幻だったのかと思えてくる。
「告白されて、くっついて、最後にはキスしてただろうが! この目で見てんだよ!」
「最初から最後まで見ていたって言いたいわけか」
「そうだよ。あんたらが来るところから、しっかりこの目で見てんだよ。言い逃れなんてできやしねぇぞ!」
省吾がそうまくし立てても、錦は余裕の表情を崩さない。どこからその余裕が来るのかは知らないが、省吾の目にはひどく不気味に映る。
「最初から見ていたなら知っているだろう? 俺はなにもしていない」
「なっ……!」
「男子生徒から話があると言われて、言いにくそうだから人目のつかない屋上に連れてきた。告白をしてきたのはあっちの方だ」
「それは……でもあんた、抱き着かれて……!」
「見ていたなら分るよな? 俺は指一本、生徒に触れちゃいない」
省吾は思い出す。確かにそうだ。錦はポケットに手を入れたまま、生徒を抱き返すことも引き離すこともしなかった。
「流石にキスされたのには驚いたけどな。大人しそうな顔をしてなかなか大胆だ」
「まさかあんた……」
万が一何かがあっても言い逃れできるよう、わざと自分から男子生徒には指一本触れなかったというのか。男子生徒は決死の思いで告白しただろうに、ただ自らの身を守るため、錦は計算して行動していたのだ。
「きたねぇ……!」
「何がだ? 俺はお前らと違って大人なんだよ。生徒の行動一つで俺は身を滅ぼすこともある。自衛するのは当然だろう」
「それなら最初から、告白されたときにちゃんと断ってやれよ! 相手に期待持たせるようなこと口にしやがって……!」
「あのな、適当にあしらって不登校にでもなられてみろ。そっちのほうが面倒だろ。子供の恋愛感情なんてどうせすぐに心変わりするんだ。ああ言って丸く収めたほうが互いのためさ」
省吾は怒りで頭に血が昇るのを感じた。
あの生徒は勇気を振り絞って告白しただろうに、錦には何一つ響いていない。直接言葉にはしていないが、いい迷惑だと言わんばかりの態度だ。口では良いことばかり言っておいて、内心はまるで違う。
これが大人だというのだろうか。省吾の憧れた頼りになる大人の男というのは、言葉と心がここまで乖離した人間のことを言うのだろうか。
「最低だな、あんた。最低な淫行教師だ」
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