10 / 51
変化した日常
次の日、重い足を引きずって登校した省吾を待ち受けていたのは、いつもとなんら変わらない日々だった。相変わらず人は寄り付かないが、好奇な目で自分を見るものは誰もいない。
どうやら錦は写真をばら撒いていないようだ。
省吾は少し安堵する。
とはいえ錦に弱みを握られている事実は変わらず、いつどうなるか分からない不安は付き纏う。目下の課題は錦にどうやって写真を消去させるかだが、いくら考えても妙案は出てこなかった。
錦本人はというと、特段変わった様子もなく、教師である錦という仮面を被り続けている。省吾に見せた素の錦とあまりに違うので、あれは幻だったのではと疑うこともあったが、省吾と目が合うと瞳の奥に一瞬意地の悪そうな素の錦を覗かせることがあり、あれは現実なのだと思い知らされた。
錦が簡単に脅迫材料を手放すとは思えないが、手放させるための材料も省吾は持っていない。交渉しようにも錦は常に誰かに囲まれており、省吾が近付く隙もなかった。
八方塞がり。そんな言葉が脳裏を横切る。
このまま卒業まで錦に怯え続けなければいけないのか。いや、卒業しても錦が写真を消すという保証すらない。最悪の気分が続く。
そんな先の見えない日々をひと月ほど送ったとき、省吾は一つ行動することにした。
学校内で錦と接触できないのであれば、学校外で交渉を持ち掛けるしかない。そして交渉のためには錦の切り札と同じくらいの、大きな武器が必要だ。錦の言っていた大きな物的証拠が。
省吾は学校が終わってから、錦を尾行することにした。自分が探偵の真似事をする日が来るなんて、考えたこともなかった。
尾行を初めて一週間はこれといった成果はなにもなかった。学校が終われば錦はまっすぐ帰路につく。時折疲れた表情を浮かべたりするものの、教師としての仮面はそのままだった。いや、もしかすると教師の仮面ではなく、あれも仮面の一つなのかもしれない。素でもなく、教師でもない、ただの大人としての仮面だ。
電車で通勤している錦は決まっていつも同じ駅で降りる。そこに自宅があるのだろう。一人暮らしか、家族と暮らしているのか分からないが、省吾はそれ以上後をつけようとは思わなかった。自分の弱みを握っている男にこんなことを思うのも甘いとは思うが、そこまでプライベートに踏み込むのは、錦の許可がない以上してはいけない気がした。
錦の行動に変化があったのは、それから更に一週間が経った週末のことだ。明らかにいつもと違う錦の足取りに、省吾は浮足立つ。
錦が降り立ったのは繁華街だった。ただでさえ人の多い繁華街だが、週末ともなれば、それはなお更だ。人でごった返す街で錦を見失わないよう、省吾は身を隠しつつも必死で後を追う。
錦が人の少ない裏路地に入った時、省吾はこれはチャンスだと思った。辺りに立ち並ぶ店は学生の省吾には少々敷居が高く、ほんのりいかがわしさも感じられる。良い教師を演じている錦にとって、こんな所に来ているのを知られるのはきっと弱点になるだろう。
省吾はスマホを取り出す。バッテリーは充分だ。写真も動画もしっかり納めることが出来る。
ほどなくして錦は雑居ビルの地下へと消えた。なにやら英字で看板が掲げられているが、省吾には何の店か見当がつかない。ただ明らかに自分が場違いなのは分かった。
気おくれしつつも、錦の弱みを握るためだと自分を奮い立たせ、省吾は店の中へと踏み入る。
店内は薄暗かった。静かな音楽が流れる中、男の談笑する声が聞こえる。アルコールの匂いが漂う空間は省吾を不釣り合いだと言っているようだ。
来たことはないが、これがバーという所なのだろうか。居心地は悪いがどうしても興味を惹かれてしまい、省吾はせわしなく視線をさまよわせる。
まずは目的を果たさなくては、と省吾は錦の姿を探した。店の奥に、それらしき人影がある。顔ははっきり見えないが、あの日本人離れした出で立ちは錦に間違いない。省吾はスマホを構えるとシャッターを切る。これが錦への武器になるのかは分からない。ここまで来たのだから交渉材料になってくれと願うだけだ。
「よし……」
あとは錦に気付かれないよう、立ち去るだけだった。この空間に興味はあるが、省吾一人で居られる場所でないのは、なんとなく理解している。少し後ろ髪を引かれつつ、店を後にしようとした時だった。
ともだちにシェアしよう!