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交渉材料

「やばい、うけるわ! 錦のこと先生だって! マジでお前の生徒かよ!」 「デカい声でそういうこと言うな。それにお前だって学校じゃ先生だろう」 「そうだけど、いざお前が先生なんて呼ばれているのを見たらさ、笑わずにはいられないだろ」  省吾は呆然と二人を見る。  笑い転げる男は錦と同じ歳くらいに見えた。標準的な体型の男だが、錦とはまた違う独特な大人の雰囲気を漂わせている。飄々としながらも少し冷たさも感じさせる風貌は、どちらかと言えば省吾の苦手なタイプだ。  ひとしきり笑い終えた男は省吾に向き直ると頭の先からつま先まで、サッと一瞥する。 「やっぱ制服はここじゃまずいな。お前のジャケットでも羽織らせておくか?」 「サイズが合わないだろ」 「あー、それはそれで犯罪臭がするな。ブレザーだけでも脱がすか? シャツとスラックスなら今よりましだろ」  二人の会話に口を出すことが出来なかった省吾は、やっとのことで間に割り込む。 「あの、俺帰るけど……」  錦だけでなく、見知らぬ男もいるせいか、省吾の声は自然と小さくなる。場にそぐわない自覚はあったし、一度注目を集めてしまったせいか、針の筵に立たされている気分だった。 「いやいや、少年。今ここで一人帰してみろ。面倒ごとに巻き込まれるか、補導されてそれこそ錦の出番になるぞ」 「面倒ごとって……」 「さっきなりそうだっただろ? そりゃそうだ。制服姿の男子高校生がこの辺うろついてりゃ、若者好きのゲイに一発で狙われるよ」 「は? ……えっ、ゲイってあのゲイ⁉」 「他にどのゲイがあるよ。つーかなにも知らないでここに来たのか?」  省吾は驚きのあまり声が出ない。だがそう言われれば、店に入ったときからあった違和感にも納得がいく。女性客がいないのも、省吾に声をかけてきた男の距離がやたらと近かったのも、そういう理由があったのだ。  これはとんでもない秘密を知ってしまったと、省吾は内心ほくそ笑む。ゲイが集まるバーに錦が訪れたということは、それは錦も同性愛者だということだ。これが学校に広まれば、錦もただではすまないだろう。  少しピンボケした写真ではあるが、錦の姿を収めた写真もある。大人で教師でもある錦は、背負っているものも省吾より遥かに大きい。少々映りが良くない写真だって、充分武器になる。  これなら勝てる、と省吾は錦にスマホを突き付けた。 「あんたがここにいるの、ちゃんと写真に収めたぜ」 「それで? 聞いてやるから話を続けろよ」  余裕の態度を崩さない錦に、省吾は少し苛立った。きっと内心はびくびくしているはずなのだと、自分を鼓舞する。 「俺があんたのことゲイってばらして、写真をばら撒いたら社会的地位は終わる。学校にだって居られなくなるし、あんたのこと慕ってた連中だって……」 「三十点。赤点だな」 「……なんだと」  錦は省吾からスマホを奪い取ると、画面に映し出された写真をまじまじと見る。 「かろうじて俺だと分かるこの写真のどこに、俺がゲイだって分かる要素があるんだ? 位置情報でもオンにしているのか? 仮に位置情報でここがゲイバーだとばれたとしよう。で、この写真を撮った大馬鹿者はどこでこれを撮った?」 「なにが言いたいんだよ」 「この写真を撮ったお前も、ゲイの溜まり場にいるってことだよ。しかもわざわざ制服なんて目立つ格好でな。ここにいるのが口の堅い連中だとは限らないぜ? 制服姿の男子高校生なんて、嫌でも記憶に残る」  確かに錦の言う通りだ。 「お前、腕っぷしは立つのかもしれないけど、人を脅したり騙すのは向いてないな。バカだから頭が回らないんだろう」 「喧嘩売ってんのか、てめぇ……」 「半べそかきながら俺に助けを求めてたくせに随分な態度だ。問題を起こすな、俺を煩わせるなって言ったのも覚えてないのか? お前の人生、俺がちょっとスマホいじるだけで終わるんだぜ」  錦の言葉に省吾はぐうの音も出ない。 「それに最悪、ゲイだってばれたところでどうにかする自信はある。最近じゃ有難いことにこういうのに寛容な世の中だからな」 「そんなのどうせ、建前だけだろ」 「建前でもいいんだよ。内心どう思おうが表に出さなきゃな。表立って批判してくる奴がいたら、こっちが有利だ。差別主義者だって訴えてもいいんだから」 「……あんたマジでいい性格してるよな」 「誉め言葉として受け取っておく」  錦は省吾のスマホを投げるように返す。画面に映るボケた錦の写真が妙に省吾を情けない気持ちにさせた。  こんなところまで後をつけて無駄だとは、激しい徒労感に苛まれる。交渉し、自分の写真を消してもらうはずだったのに錦の手を煩わせ、これでは逆効果だ。省吾は深い溜息を吐いた。 「まあまあ、こんな少年を虐めてやりなさんなって。相手はまだ子供だろ」  錦を諫めながらもどこか省吾を揶揄するような口調に、省吾は気色ばむ。 「俺は子供でも、少年って呼ばれるような歳でもない」 「ほー、そうかそうか。なら自己紹介は出来るかなー? 少年」  こっちはこっちでなかなかいい性格をしていると、省吾は苛立ちを隠せなかった。

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