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予想外

 適当にタクシーを捕まえて乗り込んだ省吾と錦は、ほとんど会話もないまま錦の自宅へと向かった。制服姿の男子高校生とスーツ姿の男の組み合わせに何やら訳ありだと感じたのか、タクシーの運転手は終始無言で、余計な詮索をされないことに安堵しつつも、省吾は車内に流れる沈黙を少し気まずく思う。  春日部は別のタクシーに乗り込み、帰っていった。錦が自分の家に省吾を連れていくと言ったのが意外だったのか、姿が見えなくなる瞬間まで「錦も面倒見がよくなってきた」と少しからかうような口調で錦に絡み、怒らせていた。  正直春日部には少し苛立ちもしたが、省吾は珍しくまた会ってみたい人物だとも思った。自分を少年と揶揄しながらも、多くの他人と違い、自分を腫れもののように扱わず、対等に接してくれた数少ない人物だ。そんな春日部だからこそ、錦も仮面を外すことが出来るのだと省吾は思う。  錦の自宅は住宅街の中にある二階建てのコーポの一室だった。 「朝まで部屋のすみで大人しくしていろよ」  玄関前でそう言われ、省吾は目で返事をする。  錦の住む部屋は、省吾が思っている以上に狭い部屋だった。見るからに単身者用といった玄関は脱いだままの靴が散乱し、短い廊下の先にある部屋には物が乱雑に置かれている。  体裁を気にする錦のことだから、モデルルームのような部屋を想像していたのだが、予想だにしない部屋の惨状に、省吾は玄関先で立ち尽くした。 「……あんたって家事とか苦手なタイプ?」 「別に。やるときはやる」  廊下脇に備え付けられた申し訳程度のキッチンのシンクには、使用済みの皿やコップが積み上がっている。それを見れば、錦のやるときというのがなかなか来ないのがおのずと伝わってきた。 「突っ立ってないで入れよ。一晩玄関で過ごすなら止めはしないけどな」  錦に促され、省吾はようやく靴を脱ぐ。  少し広めのワンルームには、ベッドと部屋の中央に置かれたローテーブル以外に大きな家具は置かれてはいなかった。それにも拘わらず部屋が狭く見えるのは、それ以外の細々したものが散乱しているせいだろう。ゴミ箱は空に等しいのに、ローテーブルの上が空き缶などのゴミで溢れているのはどういうことだろうか。  仕事で着るためのスーツはカーテンレールに何着か並んでおり、クローゼットの中がどうなっているのかは考えただけでも怖い。 「あんたなんでも出来ますって顔してるのに、意外だな」 「お前がどう思っていたのかは知らないけど男の部屋なんてこんなもんだよ」  今まで親しい友人がいたことのない省吾には、自分の部屋以外に比べるものがないのでなんとも言えない。釈然としないが、そんなものかと自分を納得させる。 「ネクタイが沢山あるのは、あんたの趣味?」  スーツの並んだカーテンレールの端に、ネクタイが色別に分けて掛けられていた。乱雑な部屋の中でネクタイは比較的丁寧に扱われているのが見て取れる。あまり意識したことはなかったが、思い返すとスーツの色や、日によってネクタイも違っていたなと省吾は思った。 「あ、すげー。腕時計もいっぱいある」  ヘッドボードの上に置かれていた腕時計の収納ケースには、メンズ用の腕時計が綺麗に収められていた。恐らくこの部屋で一番待遇が良いのはこの時計たちで間違いない。 「あんま触るなよ。壊しても弁償できないだろ」 「え、これそんなに高いやつ? 何百万とかする?」 「教師の安月給でそんなの買えるかよ。そうじゃなくてもタクシー代すら払えないお前には到底弁償できないだろ」  言われてみればその通りで、省吾は触れることはせずケース越しにまじまじと時計を鑑賞する。 「……お前、腕時計好きなのか?」  壊さないよう一歩引きながらも興味深そうにしている省吾に、錦は少し呆れたようにそう言った。 「好き……どうだろ。考えたこともない」 「変な奴だな。好きでもないのに興味があるのか? 言っておくが俺が持っている物なんて大したものじゃないぞ」 「へぇ。でも高そうに見える」 「どこの家にでもあるようなメーカー品だよ。お前の家にも一つくらいあるだろ」 「ない。俺は持ってないし、母子家庭だから男物の腕時計なんて家で見たことない」 「……母子家庭でも親父さんの私物くらい残っているだろ」 「親父は俺が生まれる前に死んでる。遺品は親父の親類がほとんど持って帰ったって聞いたし、何度か引っ越しもしてるから、親父の物なんて全部処分していると思う」  だから省吾にとって腕時計やスーツ、ネクタイは大人の男の象徴みたいなものだ。今まで自分には縁が無かったものだからこそ、目が惹かれてしまう。物だけでなく錦が一人暮らすこの部屋も、自分の住む家とはまるで違い、どうしても興味を持ってしまう。部屋が汚いことに性別は関係ないかもしれないが、部屋の匂いが女である母の住む空間とは明らかに違っていた。

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