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守りたい
「先生。俺、N大学に興味があるって言いましたよね。その人N大の先生なら、俺も話を聞いてみたいんですけど」
もちろん、N大学に興味があるなど嘘っぱちだ。興味があるなんて話はしたことがないし、そもそも自分の学力でいける大学なのかも分かっていない。ただ錦を谷崎と二人きりにさせないために、口から出たでまかせだ。
「速水……」
省吾の嘘を分かっているのは錦だけだ。錦は驚きながらもどこか縋るような、助けを求める目で省吾を見ていた。
「君がうちの大学を……」
谷崎が省吾を興味深そうに見て、目を細める。値踏みされ、鼻で笑われたのが省吾には分かった。
優し気な紳士といった風貌をしているが、谷崎は省吾にとって多くの大人たちと同じだ。
「いや、失礼。どんな生徒でも興味を持ってくれるのなら歓迎するよ。私に出来る話があるのならしてあげようじゃないか」
言葉に若干棘がある。だがここでそんな挑発にはのらないと、省吾は気付かないフリをする。錦を守るためならば、それくらいなら大人になることが出来た。
「……ありがとうございます、谷崎先生。速水はずっと進路に悩んでいたので、先生からお話が聞けると、とても参考になると思います」
「構わないよ。昨今は子供の数も少なくて、大学も生徒集めに必死だからね」
「進路指導室なら大学のパンフレットもありますし、そちらで話をしましょうか。私も準備次第すぐに向かいますので……」
女性教師に谷崎の案内を任せ、二人の姿が見えなくなってから、省吾と錦は同時にほっと胸を撫でおろした。
「久しぶりに焦った……」
錦がたまらず弱音を吐く。省吾も気を張り疲れはしたが、ここで気を抜いてはいけないと、ただ己を奮い立たせる。
「お前、やっぱりあの時、春日部から何か話を聞いたんじゃないか……?」
少し声を潜め、知られたくなかった過去を知られているのではと恐怖する錦は、小さな子供のようだった。省吾は弱った錦に真実を告げることは出来ず、嘘を吐き続ける。
「知らねーよ。あんたの持ってた写真に写ってたオッサンだろ。あんたの様子がいつもと違うから、二人きりにさせるのが不安だっただけだ」
「お前が不安に思うほど動揺していたか、俺」
「安心しろ。多分他の奴には普段通りに見えてるから。気付いたのは俺だけだよ」
錦の瞳や指先の変化、ちょっとした仕草や癖など、錦のことなら大体は分かる。
「……喧嘩してたときの癖で、無意識に相手を観察しちまうんだ。あんたが普段通りじゃないのも、それで分かる」
また錦に嘘を重ねた。相手を見る癖があるのは確かだが、事細かに錦を見てしまうのは、恐らく癖のせいではない。錦が視界に入ると、知らず知らずのうちにずっと目で追ってしまうからだ。ただの憧れの対象であったときから、今に至るまでずっと。
「それより先生、こっから先はあんたも頑張ってくれよ。大学に興味があるなんて言っちまったけど、俺は大学なんて全く分からないからな。その辺はうまく誘導してくれ」
「ああ、それは大丈夫だが……」
「あとは俺がうまくやるから気にすんな。ともかく学校の話だけで、プライベートなことをあんたと話させなきゃいいんだろ。あんたが誘導してくれたらうまくやってみせる」
正直自信はないが、それでも虚勢は崩さない。弱音を吐けば、それだけ錦が不安になる。
守ると決めた。ならばそれに従って行動するだけだった。
「お前なんでそこまで――」
錦が不安げな様子でそう呟く。省吾は心配するなと一声だけ掛け、理由は話さなかった。いつもと違う錦を見て守ってやりたくなったなど、笑われてしまいそうで口が裂けても言えなかった。
正直谷崎のように自分を蔑む大人は苦手だ。挑発されれば怒りのタガが外れてしまいそうで、できるだけ関わりたくはない。今回は守るべき錦が側にいるので自我は保てそうだが、気分が悪いことには変わりはなかった。
「うまく事が済んだら、昼飯奢ってくれよな」
錦が気に病まないよう、省吾は軽くそう言う。自分に孤独を教えた錦への苛立ちは、不思議とどこかへ消えていた。むしろ昼食を共にする約束をしたことで、谷崎すら簡単に乗り越えられる気がする。
錦は省吾の言葉に軽く笑顔を見せた。本調子ではないものの、少しだけいつもの錦が戻りつつあった。
「助かった」
錦のその言葉が省吾の心にすっと入り込む。
「お前が側にいてくれて良かったよ」
「……そりゃどーも」
省吾の態度は素っ気ない。だが錦のその言葉は、どんな褒美よりも省吾にとっては嬉しく感じられるのだった。
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