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もう嘘は吐けない

 翌日の授業は普通に終わった。一日快晴だったが省吾はこの日屋上にはいかず、錦とまともに顔を合わせることはしていない。谷崎に接触したことと、錦への恋心に気付いたことで、どんな顔をして会えばいいのか分からなかった。  ホームルーム終了まで、錦は普段どおり和やかに生徒たちと言葉を交わしていた。だから最後に錦の声が冷えて固くなった時、教室の空気がひりついたのを省吾は肌で感じる。 「速水、このあと生活指導室。……自分がしたこと、分かっているよな」 「……はい」  その言葉に教室がわずかにざわめいた。何をやらかしたんだという好奇な目と、大人しくしているように見えてもやはり問題児は問題児なのだと、嫌悪する声が聞こえてくる。今まで省吾はそんな目や言葉など気にしたことはなかった。だが今日は違う。錦の隣には相応しくない人間だと言われている気がして、心が苦しくなった。  省吾は錦に連れられ、生活指導室へと行く。錦は静かだった。何を考えているのか分からなかったが、怒りの感情を携えているのだけは伝わってくる。  生活指導室にたどり着くやいなや、錦は頭を抱え深い溜息を吐いた。怒りや苦悩、負の感情に満ちた溜息は、省吾の望む笑顔とは程遠いものだった。  錦を守りたいと思ってした行動の結果がこの表情かと、省吾は自分自身が嫌になる。  二人は向かい合わせに席に着く。互いにしばらく言葉はなかった。沈黙が痛い。 「……なんでこんなことしたんだ」  沈黙を破ったのは錦だった。 「谷崎先生に失礼なことを言ったらしいな」 「……失礼なこと? 別に記憶にないけど」 「とぼけるなよ。今朝谷崎先生から連絡があった。お前が大学の研究室に不法侵入して、無礼を働いたと聞いた。昨日学校に来なかったと思ったら、お前というやつは……」  そんな馬鹿な真似をするなんて信じられないと、錦は眉間に皺を寄せる。 「俺があのオッサンに会いに行ったのは認める。でも失礼なことを言った覚えはない。俺はあのオッサンと話をしに行っただけだ」 「お前の意見なんて聞いていない。事実だけを話せ。いいか、谷崎先生が気分を害したなら、どう言おうがそれは失礼なことなんだよ」  錦の言い分に、さすがの省吾も反感を覚える。 「なんだそれ。あのオッサンの言葉はなんでも正しくて、俺の意見はただの言い訳か? あいつは神様かよ。あいつの言葉ならなんでも信じられるんだな」 「そうは言ってないだろ……!」 「言ってるよ。あんたが言ってるのはそういうことだろ。あのオッサンの言葉は無条件で信じられるのに、俺の言葉は信じられないって」 「お前が不法侵入したことは事実だ。落ち度があるのはお前なのに、それをどこまで信じろっていうんだ」  二人は小さく睨み合う。先に視線を逸らしたのは省吾の方だった。確かに落ち度があるのは自分で、過去のこともあって錦が谷崎を信じるのも当然だと思った。 「……で、俺は停学? それとも退学か?」  投げやり気味に、省吾は尋ねる。どちらであろうと驚きはしない。どうでもいいとすら思えた。 「今回の件は学校を通していない。俺からお前に厳重注意をすれば、不問にすると谷崎先生は仰っていた」 「へぇ。そいつは有難いことで」 「速水」  錦が一段と冷えた声で省吾の呼ぶ。その迫力に、省吾の心臓が縮み上がる。錦の怒りを直接浴びせられたのはこれが初めてだった。 「少し態度を改めろ。大きな問題になってもおかしくなかったんだぞ」  まっすぐ錦を見ることが出来ず、省吾は顔を逸らし、小さな声で謝罪する。  省吾の謝罪で明らかな怒りを収めた錦は、自分を落ち着かせようと浅い息を何度か吐いた。 「何があって谷崎先生の研究室なんかに行ったんだ。お前と接点なんて何もないだろ」 「……あるよ。あんたのこと」  そんな返答は望んでいなかったと、錦は何かを耐えるように目を側める。 「お前が何を思ってあの人に会いに行ったのかは知らないが、俺があの人を好きだったのは昔の話だし、この前は急だったから動揺したけど、今は大切な恩師だと――」  言い訳のように言葉を繋げる錦に、省吾はもういいとそれを遮った。話をするには、もう何も知らないと嘘は吐けない。覚悟を決める。 「誤魔化さなくてもいい。あんたら、そういう関係だったんだろ」  錦は一瞬、明らかに狼狽する。 「……俺の片思いだったって前に言ったろ」  なんとか取り繕うとする錦が痛々しく、省吾はもう一度誤魔化さなくていいと伝えた。 「恋人にはなれなかったって言ってたよな。不倫関係だったんだろ。知ってる」  余程知られたくなったことなのか、錦ははっきりと傷付いた顔をした。胸は痛むが、これ以上黙っていることも出来ないことだった。 「……春日部が話したのか」 「ごめん、俺から聞いたんだ。あの写真がどうしても気になって」 「どこまで知っている」 「多分、全部」  錦が大きな手で自分の顔を覆う。泣いているのかと思ったが、全てを知られ、顔を見られたくないのだと省吾は悟った。  「だから谷崎があんたに会いに来て、あんたの様子がおかしくなったのもすぐに分かった。あんたを放っておけなくて、大学に興味があるなんて嘘を吐いたんだ。なんとかあんたを守らなきゃと思って」 「……それで、今回のことは」 「あんた、オッサンと会ってからずっと苦しそうだったから、俺が話をつけたらいいと思ったんだ」

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