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苦悩
錦公太郎はオレンジ色に染まる空の下、一人紫煙を燻らせていた。知らぬ間に省吾との待ち合わせ場所のようになっている屋上だったが、今は錦の姿だけで、省吾の影はどこにもない。
省吾はあの日以来、登校していない。あの日の翌日、省吾の母から体調不良で休むと連絡があったが、それ以降は無断欠席を重ね、一週間が経過していた。
「俺のせいだよな……」
真面目に勉学に向き合っていたとは思わないが、理由なく欠席を繰り返すのは今回が初めてだ。原因は自分としか考えられない。
省吾から気持ちを告げられたあの日のことを思い出す。今考えても最低な態度をとったなと錦は思う。だがあの時は、そうでもしないと受け止めきれなかった。
自分を好きだと言った省吾の気持ちを信じられなかった。信じるのが怖かった。省吾には本来の自分をさらけ出し、だらしのない一面や気分屋でわがままな所を見せ、大人として到底褒められたものではない態度を散々取っていた。体裁を取り繕って作り上げた、大人である錦公太郎を好きだという人間は大勢いても、ありのままの自分を好きになってくれる人間がいるとは夢にも思わなかった。
そもそも錦は、この屋上で初めて省吾と対峙したとき、素の自分を見せたことを後悔していた。その後に自分がした卑劣な行為も、許されるものではないと思っている。
男子生徒との密会を目撃され、性器を反応させていた省吾を勝手にゲイだと思い込み、どうせこんな問題児は性に奔放で遊んでいるだろうと、からかうつもりで手を出した。だが触れてすぐ、その反応で純朴であったことを知った。そもそもゲイだと思ったのも自分の勝手な勘違いだったのだ。
省吾の錦を見る目は、他の生徒と違ってどこか焦がれたものがあった。憧れではなく何かを自分に期待した目だ。それで錦はこいつも男を好きなのかと思っていたが、今思うとあれは性の対象として焦がれている目ではなかった。
あれを兄や父の存在を求めている目だと知ったのは、省吾を自宅に上げた時だ。男物の腕時計やネクタイを興味深そうに見ていた省吾は、幼い子供のようだった。欲しくても決して手の届かない宝石でも見ているような目は、省吾が錦に向ける眼差しとよく似ていた。
接していて分かったことがある。省吾は恐らく、幼い頃から誰かに甘えることの出来ない生活を送っていたのだろう。生まれたときには父がいなかったという省吾は、特に父性愛が欠けていた。母と二人で生活を送っていた省吾は、子供ながらに女である母を守るのは、男である自分の役目だと思っていたのかもしれない。母親の前で省吾は息子であるのと同時に、一番近しい男であろうとしていたのだ。
母親は省吾にとって保護対象であり、甘えることを省吾自身が許さなかった。感情を抑制して生きてきたからこそ、時にうまく制御できず、手が出てしまう。もちろんそれは許されることではなかったが、事情を知ってしまった錦にはそれが不憫に思えてならなかった。子供らしい子供時代を送っていれば、省吾の未来はきっと今とは違っていたはずだ。持ち前の真っすぐな性格と面倒見の良さは、きっと周りの人間を惹きつけたに違いない。
自分とは大違いだと、錦は皮肉に笑う。
体裁を取り繕うことを知らなかった子供時代の錦は、気まぐれでわがままな性格のため気心知れた友人がなかなか出来なかった。身近な相手には自分の意見をはっきりと通したし、それが当たり前だと思える環境で育った。省吾の環境を思えば、随分恵まれた子供時代を過ごしたものだ。
そのことに気付いた錦は、自分の勘違いで手を出してしまった償いに、教師でありながら兄のような存在になってやろうと思った。少しでも本音で話せる同性がいれば、省吾の寂しさも癒えるはずだ。それが省吾にとって良き未来に繋がり、心の安定にもなると信じていた。
だがそれがまさか、自分を好きだと言うようになるとは思ってもいなかった。
「俺なんかのどこを好きになれるんだよ……」
省吾に最低なことをし、大人としてあるまじきふるまいばかり見せていた。見損なわれることはあっても、好意を抱かれる覚えはない。
気持ちを落ち着かせるため、久しぶりに煙草に手を付けたのに、心の靄は一向に晴れる気配がない。煙を吐き出すのと同時に溜息が増えた気がして、余計に鬱憤が溜まっているような気もした。それでもジッとしていることに耐えられず、二本目の煙草に火を点けた時だった。
屋上に続く扉が軋んだ音を立てる。まさか省吾が来たのかと錦は振り返るが、そこに居たのは別の人物だった。
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