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気持ちに蓋を
「付き合っても良いと思っている……って言ったら、お前どうする?」
「……は?」
錦の言葉をうまく飲み込めない。頭の中で何度も反復する。付き合うというのはどういう意味だったろう。拒絶の言葉が来るものと待ち構えていた省吾には、付き合うというピースがなかなかはまらない。
「えっ、付き……え?」
付き合う=恋人のピースが当てはまると、省吾は自身を覆っていた掛け布団を勢いよく跳ねのけた。
「やっと顔を見せたか。顔色も良いし、やっぱり仮病じゃないか」
「いや、そんなことより! 付き合っても良いってどういう――」
「そのままの意味だよ。恋人になっても良いと思っている。ただし、お前が学校を卒業してからの話だけど」
覚悟はしていたが予想を上回る衝撃に、省吾の腰が抜けそうだった。
「し、んじられねぇ。絶対フラれたと思ってた」
「なんだ。フッてほしかったのか?」
「そんなわけない。でもちょっと気持ちが追い付かないというか……質問してもいいか?」
「ああ。生徒からの質問に答えるのは俺の仕事だしな」
省吾は錦に正面に座り、息を整える。一週間ぶりに錦の顔を見た。錦の表情は何か吹っ切れたように晴れやかだった。
「俺と付き合うって、谷崎のオッサンのことはもういいのか?」
「いいも何も、二年前に終わったんだ。今更何を言ってきても、元に戻るつもりはないよ」
「でも」
「お前が言った通り、あの人と元の関係に戻ればお前のことを不問にしてやるって脅されたけど、最初からそれを受けるつもりはなかった。俺のせいでお前に何かあったら、俺も責任取って辞めるつもりだったし。その時はあの人も道連れだ。あの人は不倫の証拠なんて何もないと思っているだろうけど、俺は証拠を握っている。お前にも言っただろ。物的証拠は大事だってな。俺の人生も終わるけど、あの人に復讐できるならそれもいいだろ」
「復讐ってあんた……」
「生徒を盾にする最低な輩に遠慮なんかしない。はっきり言ってやったら大人しく引き下がったよ。俺が歯向かうとは思ってもいなかったんだろうな。あの人の前では従順だったから」
「あんたな……二度とそんな真似すんなよ。俺は退学になろうが今更だけど、あんたは違うだろ。築いてきたもんがあるんだろうが」
「まぁ、その辺は俺もただの男だよ。自分が大切にしている生徒……男にちょっかい出されて黙っていられるほど、大人じゃなかっただけさ」
大切にしているやつ。その言葉に頬が熱くなる。自分を大切に思ってくれている人間なんて、この世で母親だけだと思っていた。
「あの、もう一個質問なんだけど……。恋人になっても良いってことは、あんた俺のこと、そういう意味で好き……なんだよな」
大切だと言われるだけじゃ満足できないと、省吾はたまらずそう尋ねた。欲張りかもしれないが、はっきりと好きと言われたかった。
だが錦は視線を泳がせ、なかなか口を開こうとはしない。
「あー……。その質問は、パス。答えられない」
やっとのことでそう口にした錦に、省吾は噛みつく。
「いや、言えよ! それが一番大切なことだろ」
ここまで期待させておいてはぐらかすなと、省吾は掴みかかりそうになる。
「怒るなって。ちゃんと理由は話すから」
省吾は錦になだめられ、もう一度錦に向き直る。錦はばつの悪そうな表情を浮かべ、省吾を真っすぐ見ようとはしなかった。
「お前のことは好き……だと思う。多分」
「多分⁉」
「いや多分っていうか……好きだけど今はそれを認められないというか……」
錦にしては珍しく歯切れが悪い。
「俺、分かりやすいんだよ。自分では平静を保っているつもりなんだけど。お前のこと好きって認めたら、絶対態度に出ると思う。立場上、それは絶対避けなきゃまずいだろ。だからお前が卒業するまでは、気持ちに蓋をしなきゃならない」
「俺が卒業するまで一年以上ある。その間に勘違いだったとか他のやつを好きになったとか言い出さないよな」
「信用ないな、俺も」
「そういうわけじゃないけどさ……」
錦のことを信じている。そう思っているのに不安だった。錦を好きなことで強くなれることもあるが、同時に弱くなることもある。今は完全に後者だ。
心から錦を信じられなくて申し訳なく思う省吾を、錦は慰めるように大きな手で撫でた。
「俺がお前くらいの頃、初めて出来た恋人に言われたことがある。もっとフランクに付き合えるやつかと思ったら、束縛するわ依存心が強いわで、根っからの恋愛体質だってな。そのせいで一週間もしない間にフラれたよ。でも言われたことは当たってる。お前、俺のことが好きって言ったけど、考え直すなら今のうちだぞ」
「考え直すって……」
「付き合ったら俺からは手放してやれない。がんじがらめに束縛して、逃げられなくする」
不安な心に錦の言葉が染みる。好きだと言われるよりも余程、すごい告白をされた気がした。
「好きって認めて付き合ったら、きっと俺はお前に溺れるから。だから卒業するまでこの気持ちに蓋をする。お前もこれから一年と少しの間、もう一度よく考えてほしいんだ」
「……何を」
「本当に俺が好きで、俺でいいのか。気持ちに変わりないと思ったら、卒業式の日に俺のところに来い。勘違いだと思ったら、そのまま消えてくれて構わない。気持ちに蓋をした状態なら、きっとお前が好きだと言ってくれたことも忘れられるから」
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