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腕時計

          省吾は本能のまま錦の身体を貪った。大切に愛したいと思っていたはずが、気付けば獣のように野性的に求めていた。  かなり無理をさせてしまったと自己嫌悪する。だがぐったりしながらも、錦は怒らなかった。 「正直身体はきついけど、あんだけ求められて悪い気はしないよ」  そう笑ってくれた錦に、もう一度ムラッと来たのは省吾だけの秘密だ。  帰る支度を初めて元通りスーツを着込んだ錦は、ほんの数時間前まで乱れていたとは思えないほど涼しい顔をしている。その変わり身の早さを流石大人と呼ぶべきなのか、錦だから出来る技なのか省吾には判断できない。ただ襟で見えなくなった箇所に、自分と錦だけが知る情事の跡を想像すると、涼しい顔も色気のある顔に見えてくるから不思議だ。 「それにしても、お前ってつくづく変なやつ」 「なんで。俺、セックス中変なことした?」 「最中じゃなくて。歳の離れた俺なんか好きになってさ」 「歳ならあんたもオッサンのこと好きだったから同じじゃん」 「まぁそうだけど。ただ素の俺を好きになるやつなんて、この世にいないと思っていたんだよ」  気が強くてわがままで、だらしのない性格の本当の錦。大人としての良識はわきまえているが、性格の悪さは自他共に認める折り紙付きだ。  省吾も最初は教師である錦とのギャップに少し引いた。だが今となってみれば教師としての錦より、本当の錦の方がずっと魅力的に見える。 「初めて素のあんたを見せた屋上でさ、俺あの時勃起しただろ」  それを錦に指摘され、あんなことをされた。あの時錦はキスシーンを目撃して興奮したと省吾を揶揄したが、思い返すとそうではない。 「あの時に多分、ひとめぼれしてたんだよ。素のあんたがすげぇギラギラしていて、めちゃくちゃ格好良かった。頭を殴られたみたいな衝撃だったんだ」 「……お前、本当に変わっているな」 「俺もそう思う。でも好きになったんだから仕方ないだろ」 「俺もガキだと思っていたお前とこんなことをしているんだから、ある意味似合いか」  省吾も錦も、こうなることなんて一ミリも予見していなかった。錦に憧れる感情はあったものの、組み敷く関係になるのは想像すらしたこともない。だが悪くはなかった。互いに好きで幸せだと思えるのなら、これは最高の形だ。 「あんたが家を出たら、もう教師と生徒なんだよな」  恋人は今日だけの約束だ。明日からは普段通りの二人に戻る。  正直寂しい。だが錦の立場を考えればこれ以上を望むことは出来なかった。未来を約束してくれているだけでも幸せだ。ただ今日の記憶だけで一年と少し待つのは、学生である省吾にとってあまりにも長く感じられた。  名残惜しさを出す省吾に、錦は子供をあやすような優しい表情を浮かべる。 「ほら、これやるからそんな顔するな」  差し出されたのは錦が着用していた腕時計だ。省吾は恭しくそれを受け取る。 「男同士の恋人って、指輪の代わりに腕時計を贈ったりするんだよ。俺が着けてた物だけど、卒業までそれを俺だと思っていろ。一年と少しの間は、それが俺の代わり」 「……いいのか?」 「いいよ。時計なんて他にも持っているしな。俺にとっては一年なんてあっという間だけど、お前にとっては違うんだろ。俺にも学生時代はあったから、それくらいは分かる」  省吾は左腕に時計をはめる。少し重く感じるが、それがやけに頼もしく感じられた。錦と共に時を刻んでいるような、不思議な感覚だ。 「……卒業式の日、必ず返す」 「別に返さなくてもいい」 「返す。だってあんたの代わりなんだろ。あんたが恋人になってくれたら、代わりは必要ないから」 それまではこの時計が恋人だと、省吾は愛しそうにそれを撫でる。 「なら、お前に預けておくから返しにこいよ」 「ああ、約束する」  玄関先まで錦を見送り、省吾は錦を下の名前ではなく先生と、けじめをつけるように呼び止めた。 「俺、進学しようと思ってる」 「随分いきなりだな」 「あんたが進路のことを考えろって言ったんだろ。だから休んでいる最中に、俺なりに色々考えたんだよ」  錦に不釣り合いな自分をどうにかしたかった。横に並んでも恥ずかしくないようになるには、どうすればいいか必死で考えた。  今すぐに大人になることは出来ない。だが少しずつでも努力を重ね、自分に自信が持てる大人になれば、錦と対等に話せるようになるのではないかと思った。

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