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大人

「フラれても卒業までに少しでもあんたに釣り合う男になって、もう一度告白するつもりだったから。だから自分のこともちゃんと考えようって思えたんだ」 「進学先は決まっているのか?」 「それはまだ。その、興味のある分野はあるんだけど、どんな学校があるかは知らなくて」 「方向性が決まっているなら大丈夫だ。進学先の相談にはいつでも乗ってやる」  話をしている錦はすっかり教師の顔をしていた。これからはこの顔が二人の日常になる。少し距離があるようで寂しいのは確かだが、進路に悩む省吾には頼もしくもあった。 「先生、あとバイトの許可ももらいたい」 「バイト? しないんじゃなかったのか」 「問題を起こしそうで避けてたけど、進学するなら母さんの負担を少しでも減らしたいと思って。無許可でバイトしてるやつも多いけど、ちゃんと学校から許可をもらった方が自分への戒めになりそうだから、許可が欲しいんだ」  錦にふさわしい男になるためにも、母親に甘えてばかりはいられない。学生である自分に出来ることは限られているが、少しでも自分の足で立たなければと決意したのだ。  錦は省吾の言葉に感心したように小さく息を漏らす。 「……この一週間で少し大人になったんだな」  思ってもいなかった言葉に省吾は目を丸くする。  だがそうかもしれない。今まで自分は同じ場所でずっと足踏みをしていた気がする。自分の未来などどうでもいいと。それが錦を好きになったのがきっかけで前に進もうと思えた。少しでも錦に釣り合う大人になりたいと願うことで、自分の未来を考えることが出来た。 「あんたのお陰ですよ、錦先生」 「そりゃ教師冥利に尽きる」  錦は本当に嬉しそうな顔をする。教師として省吾の成長を感じられたことに、心から喜びを感じているようだった。  清々しい錦の顔に、自分がいかに錦を悩ませていたのかを知る。ものぐさであったり口では省吾を突き放したりと色々あったが、錦は教師としても確かに省吾と向き合っていた。錦に対し反抗的な態度を取ったりしていたのに、未来を考えろと親身に忠告してくれた教師は錦が初めてだ。きっと自分はそんな錦をうざいと口ではいいながら、どこか甘えていた。  やはり自分など錦の足元にも及ばないほど子供だったと改めて実感する。 「詳しい話は学校でしよう。もう休まないよな」 「ああ。もう逃げない」  錦からも自分の未来からも、目を背けたりしない。今はまだ未熟でも、前も向いて生きていくと決めたのだ。 「進学するならこれから勉強が大変だぞ。バイトもするならなおさらだ。一年なんてあっという間に過ぎる」 「その方が俺にとってはありがたいよ。……先生、俺頑張るから」 「ああ。しばらくは教師として、お前の成長を見守っているよ」  その言葉を残し、錦は帰っていった。  錦のいなくなった家で、省吾は一人たたずむ。まだ部屋には錦の匂いが漂っていた。  この匂いもじきに消えてしまうだろう。だが大丈夫だと、省吾は左腕にはめた腕時計にそっと触れる。  離れていても省吾にはこれがある。錦の分身として共に自分と時を刻むこれが。  省吾は真っすぐ前を向く。その目は惰性で過ごしていた日々とはまるで違い、明るい未来だけを見据えていた。

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