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本当の恋人
「先生、迎えに来た」
「ああ。遅かったな」
「あんたがずっと色んなやつに囲まれてるから遅くなったんだよ。もしかして来ないかもって心配した?」
「してない。……いや、正直言うとちょっとだけ心配した」
ほんの少し拗ねた顔をした錦に省吾ははにかむ。教師ではない錦を見たのは随分久しぶりだ。教師と生徒という区切りを付けたあの日以来、錦はどんな時も教師の仮面を外さなかった。互いが自然と密会していた屋上から離れ、それぞれ別の生活を送ることに必死だった。
錦はあの日のまま、時が止まったように何も変わっていない。
「俺が先生のこと心変わりするなんて、あるはずないのに」
辛いことも錦のことを想うと耐えられた。自分が成長できたのも錦のお陰だと、ますます想いを募らせることはあっても心が離れるなんてあるはずがない。
「お前、良い方にだいぶ変わっただろう。俺のことなんて忘れても仕方がないと思ってな」
「まさか。忘れるなんてありえないだろ」
「三十路の俺より、お前と同年代の女の子の方がよっぽど魅力的だと思うけど」
ツンと唇を尖らせた錦は明らかにへそを曲げている。
「あんた、さっきの見てたのか?」
「ああ、見てたよ。最初から最後まで。言っておくが盗み見したんじゃないぞ。お前を探していたら偶然出くわしたんだよ」
卒業式が終わってすぐ、省吾は下級生に呼び出され告白を受けた。それを錦は目撃したらしい。シチュエーションは逆だが、まるであの時と同じだ。
それで錦は拗ねているのかと、久しぶりに見る素の錦に、省吾はくすりと笑みをこぼした。
「最初から最後まで見ていたなら知ってるだろ。ちゃんと断ったよ」
「知っている。そりゃもう優しく丁重にお断りしていたな。ったく、大人になりやがって」
「……ほんと? 俺、あんたから見てちゃんと大人になってる?」
錦の横に並べるようになるため、省吾はずっと努力してきた。大人になったと言われるのは、省吾にとって一番の誉め言葉だ。
「ガキっていうのは成長が早いよな。もう一人前の男だよ、お前は。……良い男になった」
「あんたにそう言ってもらえるのが一番嬉しい」
錦は尖らせた唇をほころばせる。ああ、この笑顔が好きだったと省吾の胸は高鳴った。
「なあ先生。俺、この一年あんたのために頑張ったよ。あんたにちょっとでも似合う男になろうと思って、生きてきて一番頑張った」
「……うん」
「大学もちゃんと受かったし、実は身長も伸びたんだぜ。あんたより高くはなれなかったけど」
「だからそれは欲張りすぎだって」
錦は声を出して笑う。昔、同じことを錦に言われた。随分昔のことに思えるが、まだ一年と少ししか経っていないのが不思議な気分だ。
「あんた逞しいのが良いって言ってたから、メニュー組んで筋トレしたんだぜ。脱いだら結構すごいと思う」
「え……」
何を想像したのか錦の頬が赤くなる。こういう初心な反応は相変わらずだ。そのことのホッとする。少なくとも初心であり続けるくらいには、恋愛から遠ざかっていた証だ。
「速水省吾はあんたのために、あんたに似合う男になるために生まれ変わったんだ。もちろん、まだガキなのは認めるし、未熟だと思う。でもあんたの隣にいるために、まだまだ努力するよ。だから先生……いや、公太郎さん。俺を恋人にして欲しい。好きなんだ。あんたと未来を約束したい」
錦に初めて好きだと告げた時はまだまだ子供で、勢いだけで錦のことを考えず、感情に任せて告白してしまった。だから今度はしっかりと自分の言葉で愛を伝えたいとずっと思っていた。ただ恋人になるだけでなく、未来を約束することで、自分の覚悟も知ってほしかった。
「なんかお前ばっかり成長して、何も変わらない自分が恥ずかしくなる」
「だってあんた初めて会った時から大人だし。もう成長しないもの当たり前だろ」
「バカ。こういうときは変わらない俺も素敵だとかそういうことを言うんだよ」
「……あんたはそのままで素敵だ」
「今更言っても遅い」
二人は見つめ合って、照れたように笑い合う。こんな軽口が嬉しくて幸せで涙が出そうになる。
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