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第29話 Vanilla Sky〜Dask Till Dawn

 閉店時刻になり、そろそろ店の中を片付けている頃だった。  咲良(さくら)は早番ですでに退勤しており、カフェ"Vanilla Sky"にいたのは蒼空(そら)だけだった。Closedの看板を出そうとした時、スマホの方に電話がきた。着信を見ると、向かいの花屋"Fleur(フルール)"の店長からだった。  「もしもし?」  「閉店の時間にごめんね」  「大丈夫ですよ。どうしたんですか?」  「実は今、薔薇の注文の電話があったんだけど……」  「薔薇の?」  「そう、青い薔薇を四本。でも、警察の人からだったの。捜査のためだから協力してほしいって」  「警察は何て?」  「後で受け取りに来るって言ってたわ」  「そっか。今はこの辺りの花屋全部に薔薇の注文がきたら連絡するように言われてるんですよね」  「そうなんだけど、その人は捜査の一環だから連絡はいらないって。だからその時はそのまま引き受けたんだけど、見てみたら青い薔薇のストックがなかったの。すぐには作れないからどうしようかと思って……。造花ならあるのよ。触らないとフェイクってわからないくらいだからこれでもいいか確認したいんだけど、店にかかってきた電話が非通知で連絡取れなくて」  「非通知だったんですか? 警察だからかな……わかりました、陽大(はると)に連絡しておきますよ」  「ありがとう」  「犯人はまだ捕まってないから、店長も早めに店を閉めて、十分気をつけて」  「大丈夫、店は閉めて予約分だけ作るから」  「何かあったら連絡してください」  蒼空は電話を切ると、すぐに陽大に電話をしようとした。その時、店のドアが開いて男が一人、入ってきた。  「すみません、もう閉店なんです」  「ああ、失礼。警察の者です」  「警察……あ、じゃあ……」  さっきの、と言おうとして蒼空はやめた。本物の警察かどうかまだわからない。それに、なぜうちのカフェに来たのだろう……?  「捜査に協力してほしいんです」  おそらく四十代くらいだろうか、がっしりとした体つきに精悍な顔立ちのその男は警官手帳を見せた。  「捜査というと……?」  「安心してください、あなたを危険な目に遭わせるようなことはしない。さあ」  男はカウンターの近くに立っている蒼空に手を差し出した。  「こっちへおいで」  その言い方に、蒼空は一瞬身構える。警官手帳は本物のようだが、なぜか信用していいのかわからなかった。  動かない蒼空に、男の方から近づいてきた。そばに立ち、優しく微笑む。  「あの、なぜここに……?」  「犯人が近くにいる可能性がある。あなたを守らなければ」  「犯人が?」  「そうです」  そう言って、男は蒼空の腰をさりげなく引き寄せた。思わず蒼空は身を引き、慌ててスマホを取り出す。  「すいません、ちょっと電話しなくちゃいけなくて」  陽大の電話履歴を探す指が少しだけ震えていた。幸い、陽大はすぐに電話に出てくれ、蒼空は胸を撫で下ろす。横目で見ると男はこちらを見ていたが、やがて店の外に出ていった。  「もしもし、蒼空? どうした?」  「ああ、陽大、よかった。あのさ、ちょっと聞きたくて」  「何かあったか?」  「今、向かいの花屋の店長から連絡が来たんだけど、電話で青い薔薇を注文した人がいたんだって」  「青い薔薇? いつ?」  「さっきみたい。でも警察の人だったって。その刑事さんが捜査の一環だって言って青い薔薇を四本注文したんだけど」  「捜査の? そんなの聞いてないぞ」  「そうなの? 何か急いでるみたいだったって。後で取りに行くって言って切れたんだけど、青い薔薇のストックが店になくて、造花でもいいか確認したいって言ってるんだけど、どうしたらいい?」  「後で取りに行くって言ってたんだな? わかった、確認してすぐ電話する。もう店は終わったろ?」  「うん、さっき閉めた」  「鍵かけて、俺が行くまで店の奥にいてくれ」  「……何かわかった?」  「まだ確定したわけじゃないけど、現職の刑事が関わってる可能性が高い」  陽大の言葉と同時に、ガラス張りのカフェの外に男が立っていることに気づいた。こちらをじっと見ている男と視線が合ったような気がして、自分の心臓の音が聞こえるそうなくらい緊張が高まる。だが、陽大には心配をかけないようしなければいけない。  「俺もすぐに行くから」  「わかった。陽大も気をつけて」  「10分で行くから待ってろ」  「うん」  電話を切ろうとしたのと同時に店のドアが開き、今度は別の男が入ってきた。  「あ、すいません、もう店は終わったんです」  「警察です」  背はそれほど大きくないが敏捷そうな雰囲気の男は、手に四本の青い薔薇を持っていた。確認の電話を待たずに別の刑事が取りに行ったのだろうか。蒼空に何か言いかけた時、最初に入ってきた男がその後ろから再び店内に入ってきていきなり銃を取り出した。  「動くな、(はた)」  「班長……?」  「おまえがなぜ薔薇を持っている」  「なぜって、俺に薔薇を取りに行くよう指示したのは班長じゃないんですか?」  「俺が?」  背中に銃を向けられた男は薔薇を持ったまま両手を挙げていた。どうしたらいいかわからず、蒼空はその場に立ち尽くす。自分の足が少し震えているのがわかる。  「おまえが犯人だな」  電話の向こうで陽大が焦ったような口調で聞いてきた。  「蒼空? 誰か来たのか?」  「それが……あっ、ちょっと待っ……」  いきなり爆発音のような音が響いて、薔薇を持った男がその場に倒れた。突然の出来事に蒼空は思わずスマホを落とした。  倒れた男の胸からじわっと血が滲み出す。  班長と呼ばれた男が蒼空の方に歩いてきたが、どうすればいいのかわからないまま動けずにいた。  「大丈夫かい?」  そして、また蒼空の腰を両手で抱くようにしてカウンターの椅子に座らせた。恐怖もあって、蒼空はされるままに座った。  「怖かっただろう? もう大丈夫、犯人は撃ったから」  手の甲で蒼空の頬を撫でる。鳥肌が立ったが、我慢して目を閉じた。男はスマホを取り出し、救急隊を呼んだ。  蒼空は混乱する頭で必死に考えていた。撃たれた男が犯人なのだろうか? でも、この班長と呼ばれた男はなぜこのカフェに来た? そして撃たれた男はなぜ薔薇を持って来たのか? 目の前の男を本当に信用していいのか? なぜ何も聞かずに振り向いた瞬間に撃ったのか?  警察が到着するまでがひどく長く感じられた。その間、男は蒼空の背中をさすり、時折頬を撫でてくる。振りほどきたかったが、じっとしているのが得策だと蒼空の勘が告げていた。  警察が到着し、次第に店の外にも野次馬が増えていく。男は現場を指揮しており、警察だというのは間違いないようだった。  ようやく陽大が駆けつけ、その顔を見た瞬間、蒼空は涙が出そうになった。抱きしめられ、しがみつくように陽大の背中に腕を回す。優しく背中をさすり、髪にキスをしてくれる陽大の温もりが、蒼空にとってどれほど安心できるものか痛いほどわかった。  陽大が班長と呼びかけてその男と話を始めても、蒼空はしがみつく手を離さなかった。捜査に合流しようとする陽大を、わざと抱きついて引き留めた。人がいるのはわかっていたが、敢えて目を逸らされるような濃厚な口づけを交わした。この男に気づかれないよう、陽大に伝えなければいけない。  キスを繰り返しながら食材などを置いてある事務室を兼ねている部屋に陽大を誘い込むと、蒼空は手短に事の顛末を話した。途中、壮介からの電話に出た陽大は、何かを考え込むように険しい顔をしていた。  出て行く前にもう一度抱きしめ、キスをしてくれた陽大を、蒼空は思わず本当に引き止めたくなった。部屋で待っててくれと言って出て行った恋人の背中に縋りつきたい気持ちをぐっと堪え、蒼空は陽大を見送った。  蒼空は目を開けると、静かに寝息をたてている陽大の、軽く開いた唇にそっと触れた。  好きだと伝えてくれた日から、陽大は揺るぎない愛を自分に注いでくれているのがわかる。何気ない会話の時も、一緒にコーヒーを飲んでいる時も、ふざけてじゃれ合っている時も、軋むベッドで汗をかきながら自分を抱いている時も……。  俺は俺なりのやり方で、おまえを守りたい。全力で守り抜きたい。  そっと体を起こし、唇に微かに触れるキスをする。あの日、将来について話をして喧嘩をした日に、初めてのキスをしたように。  大好きだよ……。  起こさないように静かにベッドから降り、テラスから美しい朝のせせらぎを眺める。心地いい風と朝日を浴びながら、蒼空は幸せを噛み締めていた。  「こんなに早起きだったっけ?」  不意に後ろから抱きしめられた。まだ眠そうな声のままだ。蒼空は軽く顔を向け、陽大の唇にキスをする。  「おはよ」  「ちゃんと眠れたか?」  「誰かさんのおかげですっごい疲れたからね、ぐっすり眠れたよ」  「俺はまだ全然いけるぞ」  「嘘ばっか。一緒にへろへろになってたくせに」  「本当だって。試してみるか?」  「朝から?」  「朝だから」  「今日はちゃんと観光をす……」  いい終わらないうちに唇を塞がれる。さっきまで眠そうだったくせに、素早く蒼空の服を脱がせていく  「待って、陽大ってば…」  「テラスでしようか?」  「ばか、外から見えるじゃん。声だって聞こえるし」  「おまえ、声大きいもんな」  「うるさ……だめだって……」  「でも気持ちいいから我慢できないだろ?」  「何言って……ちょっと、待っ…」  眩しい朝の光の中、手を引っ張ってベッドに連れ戻され、そのまま倒れ込んで体中にキスをされていく。  陽大……いつまでもずっと、俺にこうやって夢中でいて……。  抵抗する素振りを見せながらも蒼空の腕は陽大の首に回され、やがて腰を浮かせながら微かな甘い喘ぎ声が溢れていった。

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