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第36話 Vanilla Sky〜Dask Till Dawn

 ランチタイムの混雑が終わった頃、岡崎すみれがVanilla Skyにやってきた。咲良(さくら)が少し驚いたような表情で蒼空(そら)をちらっと見る。蒼空は気にするなというように咲良に軽く手をあげた。  「連絡ありがとうございました」  「俺も気になってたから。コーヒーでいい?」  「あ、はい」  「ホット? アイス?」  「ホットで」  カウンター席に座ったすみれに蒼空はコーヒーと手作りのケーキを出した。  「これ、今月の新作。よかったら食べてみて」  「ありがとうございます」  濃厚なガトーショコラにほどよい甘さのホイップクリームが添えてある。久しぶりにカフェで飲むコーヒーの熱さがすみれの喉に染みた。  「やっぱり捜査は厳しいんですね」  「陽大(はると)は管轄が違うからね。だから、僕が手伝う」  「なぜ仲川さんが私を助けてくれるんですか?」  「警察じゃないと不満?」  「そうじゃないけど……都築(つづき)さんに近づけさせないように?」  「何言ってんの」  「奥入瀬のホテルで会った時、名刺をよこしたのは牽制じゃないんですか?」  「何で俺が牽制なんかする必要が?」  「だって、二人はつきあってるんでしょ?」  「え?」  「あんな高級リゾートホテルに二人で泊まってる時点でバレバレですけど」  「……君が嫌なら手伝わない」  「そういうわけじゃないです。でも、仲川さんは警察じゃないから調べるのも限度があるでしょう?」  「陽大に頼める部分は頼むつもりだよ」  すみれは半分だけ納得したというような表情で軽く頷き、ケーキを口に入れた。  「おいしい」  「ホント? ありがとう」  「いい奥さんになりそうですね」  「だっ、誰が奥さんだよ」  「そんなに照れなくても」  「そうですよ、本当のことだし」  後ろから咲良が会話に入ってきた。  「うるさいな」  「でも、なぜ急に私を助けようと思ったんですか」  「……たぶん、見たから」  「見た?」  「君から見せてもらった写真、お姉さんのSNSの写真に男の人の手が写ってただろ」  「ああ、これ」  スマホのカメラロールに保存してあるあおいの写真を開く。  「その腕時計と同じような時計をしてる人を、この前レストランのトイレで見たんだ」  「よくわかりましたね、この写真で」  「それは、まぁ……」  「いつも調べてましたもんね」  再び咲良がカップを拭きながら口を挟んできた。  「いつも調べてた?」  「何言ってんだよ」  「店のパソコンでいつも調べてるくせに」  「姉の事件を?」  「事件? いや、時計ですよ。私が思うに、自分がほしいからじゃなくて…」  「あー、うるさいうるさい」  「プレゼント用」  「見てただけだって。買えるわけないよ、あんな高いの」  「ああ、なるほど」  「違うってば」  「都築さんにはしゃべらないから大丈夫ですよ」  女子2人の結託したような興味津々の眼差しに、蒼空は大きくため息をついた。  「……刑事をやってるけど、陽大の実家はかなり裕福なんだ」  「なるほど、恋人が金持ちだとプレゼント選びに困りますよね」  「でも、いくら高くてもその腕時計をしてる人が札幌に1人だけしかいないわけじゃないのに、なぜこの写真の人だと?」  「奥入瀬でも見たんだ」  「ホテルで?」  「ロビーで見かけただけだけど、女性と一緒にいたから」  「姉と?!」  「……いや」  カップを持つすみれの手にぐっと力が入る。しばらく唇を噛み締めた後、トートバッグの中から封筒を取り出し、カウンターの上に置いた。  「姉の検死解剖結果です。この前は受け取ってくれなかったけど、今ならこれを預けてもいいですか」  「わかった。陽大に頼んで何がわかるか聞いてみる」  「ありがとうございます。一緒にいた人って……どんな感じの人でした?」  「話したわけじゃないからわからないけど……夫婦っぽい感じ……」  「……やっぱり。顔を載せない時点でそういう関係かもって思ってた」  そして自分のスマホを取り出すと、アプリを開いて蒼空に見せた。  「友達がたまたま見つけたんです、これ」  「これは?」  「今流行ってるマッチングアプリです。知らないんですか?」  「知らないよ、そんなの」  「ま、必要ないですもんね」  「俺のことはいいから。で、それが何か」  すみれが開いてみせた画面には、姉のあおいのプロフィールページが写っていた。  「姉のスマホのロック解除ができないからはっきりとはわからないけど、これで知り合ったのかも」  「その、一緒に旅行に行った相手と?」  「つきあってる人がいるのは何となくLINEのメッセージとかで察してたけど、はっきりと言わないから私も聞かなかったんです。でも、今までのメッセージを読み返してみると、アプリを通して会ったのかも、って感じがして」  「それじゃ、その辺から調べてみよう」  「どうやって?」  「そうだなぁ……」  「……つまり、これの所見を聞きたいということか」  「うん、できれば専門の人とかに聞いてもらえると助かる」  「いきなり本格的に調べ始めてるような気がするんだけど」  「調べるだけなら危なくないでしょ」  「心配だな」  「大丈夫だってば。それに、俺と話をして少し元気になった感じもするし」  遅めの夕食を2人で食べながら、蒼空はカフェでのできごとを陽大に話した。  「で、その出会い系アプリからどうやって調べるんだ?」  「それは……これから彼女といろいろ相談して決めるよ」  「変なこと考えてないだろうな」  「変なことって?」  「危ないこと」  「しないって」  蒼空は心配する陽大の隣に行き、その膝の上に座った。陽大は蒼空の細い腰に腕を回し、自分の方へと引き寄せた。  「今度の休み、建築事務所に一緒に行こうよ」  「はぐらかしたな」  「もう、そうじゃないってば。改築の件、そろそろ進めていかないと」  「本当にカフェを改築するのか?」  「うん、その方が何かと便利だし……もっと大きな家がいい?」  「いや、おまえの好きなようにしてほしい。ここにも俺が転がり込んでるわけだし」  「家もカフェみたいにくつろげるスペースにしたいんだ」  「俺にも約束通り、半分出させてくれよ」  「うん、約束通り半分だけだよ。君の給料はそんなに高くないの知ってるし、実家に頼ってほしくないからね」  「はいはい」  蒼空はにっこり笑うと陽大が突き出した唇にキスをした。  「で、誤魔化してるけど何をする気だ?」  「何もしないってば。さ、食べたなら片付けるから手伝って」  疑うような眼差しで自分を見つめる陽大にもう一度口づけると、蒼空はテーブルの食器をまとめ始めた。

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