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第38話 Vanilla Sky〜Dask Till Dawn

 珍しく早めに仕事を切り上げることができ、陽大(はると)蒼空(そら)と外で待ち合わせをして家具店に来ていた。改築する家の参考ということもあったが、向かった先はあおいがマッチングアプリで出会ったと思われる西木渉が社長を務めるWestWood家具だ。本人はいないだろうが、店の様子を見てみたいという蒼空の希望だった。  店内は明るく大きなショールームのような展示になっており、オーソドックスな形の家具から新鋭の作家の作品まで幅広く扱っており、家族連れや新婚らしいカップルなどで賑わっていた。蒼空はまっすぐに椅子のコーナーへ行き、さまざまな形のソファやチェアを見てまわっている。その中にある黒い革張りのカウンターチェアの前で蒼空は足を止めた。  この形は……。  蒼空はスマホを取り出すと何枚か写真を撮った。  「気に入ったのか?」  「これ、けっこう独特のデザインだよね」  「そうだな。背もたれの部分の形が変わってる」  商品説明のタグを見てみると、作家名にWataru.Nとあった。  「自分で作ったのか」  「え?」  「これ、ここの社長の作品だ」  「ああ、おまえが見つけたブログに載ってたんだっけ」  「うん。そっか、デザイナーでもあるのか」  「その肩書きを利用して岡崎あおいに近づいたとか?」  「いや……」  実は陽大にはマッチングアプリのことは詳しく話していなかった。もちろん、自分が女装して登録したことも言っていない。頃合いを見て話すつもりではいるが、言ったら確実に喧嘩になりそうで蒼空はどうしようか悩んでいた。  事故の真相がわかって、すみれが納得して、それでこの一件が終わったらそのまま登録削除すればバレないような気もするし……。  しばらくそのチェアのそばにいたからか、男性の店員が近づいてきた。  「お気に召していただいたようですね」   「あ、ええ、まぁ。おもしろいデザインですよね」  「こちらは我が社のデザイナーであり社長でもある西木渉の作品になります。若い方を中心に人気なんですよ」  「そうですか。あ、僕はカフェを経営していて、こういう椅子に興味があって……社長っていらっしゃいますか?」  「あいにく本日は来店の予定はないのですが、明日でしたら午後に立ち寄ることになっております」  「それじゃ、明日時間があったらまた来てみます」  「お待ちしております」  にこやかにお辞儀をした店員に礼を言い、蒼空と陽大はその場を離れた。  「明日も来るつもりなのか?」  「定休日だし、岡崎さんと時間が合えば一緒に来ようかと思って」  「でも、妹だってバレたらどうする」  「あ、そうか……そうだね、ちょっと考えるよ」  「くれぐれも、調べるのはいいけど無茶なことだけはするなよ」  「わかってる」  「それじゃ、おいしいもの食べに行こう」  「うん」  差し出した陽大の手をぎゅっと握り、二人は行きつけの店へと向かっていった。  いつものように酒は飲まずに家に戻り、陽大と蒼空は束の間のゆっくりとした時間を過ごしていた。陽大のためにカフェインの入っていない温かいハーブティーを淹れ、ソファの隣に座ってタブレットを眺める。そんな蒼空の肩に頭をもたれかけ、陽大は目を閉じて今取りかかっている事件を頭の中で整理していた。陽大が蒼空の家で一緒に暮らすようになり、こういう夜の時間がいつしか日常となっていた。  「あ、この棚いいかも」  「どこに置く棚?」  「ダイニングとリビングの境にちょっとした飾り棚を置きたいんだ。ほら、こういう感じの。いろいろ飾れるし、雑誌を無造作に置いといても様になる」  「おまえが気に入ったのを買えばいいよ。俺はそれが一番だから。でも、だったらやっぱり新築にした方がいいんじゃないのか?」  「カフェとくっついてる方が何かと便利だもん」  「それはそうだけど……俺に気を遣わずに、おまえの好きなようにしていいんだぞ」  「うん、そうしてる」  「そうか? なんか、すごく凝ってるような気もするけど」  「だって、凝りたいし」  「俺と住むから?」  「うん」  陽大はもたれていた体を起こすと、蒼空の方を向いた。にっこりと微笑んでいるその頬をそっと撫でる。  「無理してないよな?」  「してない。むしろ、俺がやりたいようにやってる」  「ならいいけど」  「この先、陽大と一緒に過ごす時間を、ひとつひとつ作り上げていきたいんだ。こうやって一緒に住む家の計画を立てたりとか、そういうことも全部、大切にしていきたい」  「そう思ってくれて嬉しいよ」  「せっかく陽大が俺を好きになってくれたんだから、俺はそれに最大限の愛で応えたい」  「それは違うな」  「え?」  陽大は蒼空を引き寄せると、抱っこするような形で自分の膝の上に座らせた。  「その言い方は違う。俺はおまえに頼まれて好きになったわけじゃない。俺が、自分からおまえを好きになったんだ」  「陽大……」  蒼空は愛おしそうに陽大の髪を優しく撫でると、その額に口づけた。  「愛してる」  「俺も……」  どちらからともなく唇を重ねていく。蒼空の腰を抱く陽大の手がゆっくりとシャツの中の滑らかな背中を何度もまさぐる。蒼空は陽大の首に回した手を逞しく盛り上がった胸筋へと滑らせていく。絡め合う舌の動きがだんだんと早くなり、いつの間にか陽大の指は蒼空の股間の膨らみをさするようにしながらジーンズのボタンを外していた。  「ここでする? ……それともベッドに行く?」  陽大の耳元で蒼空が囁く。その白い首筋に唇を這わせ、陽大はそのまま蒼空をソファに押し倒した。  「ベッドまで我慢できないな」  その言葉に満足そうに微笑むと、蒼空は陽大をぐいっと引き寄せると噛み付くようなキスをした。  WestWood家具で見かけたカウンターチェアの写真を送ると、午後から休講だから一緒に行くとすみれから返信があった。本当に休講なのかはわからないが、あのチェアが"WW"と名乗る人物のプロフィール写真と同じであることはほぼ間違いないと見たのだろう。  蒼空がカフェの鍵を開けておくと、昼過ぎにすみれがやってきた。手には大きな紙袋を持っている。  「授業は大丈夫なの?」  「本当に休講なんです。それより早くこれに着替えて」  「着替える?」  「そう、WestWood家具に一緒に行くんでしょ?」  「このままじゃだめなのか?」  「何言ってるんですか、"杏奈"にならなきゃ」  杏奈というのは女装した蒼空を登録した際につけたアカウント名である。驚いた蒼空はカウンターから手を伸ばして紙袋の中を取り出した。薄いピンク色の長袖のトレーナーに白いミニのタイトスカートが入っている。  「俺にこれを着ろと?」  「そ。仲川さんなら入るから大丈夫」  「いや、そういう問題じゃなくて、ちょっと待て、この格好で外に行くとかそれはない」  「どうして? 全然いけるよ、大丈夫」  「写真だけなら我慢できるけど、これは無理だって」  「いいから早く、あの男が店に来るんでしょ」  「カップルを装って行けばいいじゃん」  「あのね、杏奈になって行くから意味があるの」  「だって、絶対にバレるよ」  「女装してることがバレるだけなら別に問題ないじゃないですか」  こともなげにすみれは言い、さらに紙袋からボディシェーバーを取り出した。  「何それ」  「ミニスカート履くんだから、無駄な脚の毛を剃らないとね」  「そんなの陽大にバレるに決まってんだろ」  「適当に言えばいいじゃないですか、ツルツルしてた方が気持ちいいと思って、とか」  「何言ってんだよ」  「とにかく!時間ないんだから早く」  その後もあれこれ抵抗してみたが、結局すみれに押し切られ、すね毛の処理までさせられた蒼空だった。トレーナーにミニのタイトスカート、白いソックスにスニーカーというどこぞの韓国アイドルのような格好の蒼空は、ウィッグを被っていなくても見た目にはまったく男性には見えないくらいの美しさだった。そこに、写真を撮った時と同じミディアムロングのウィッグをつけると、もはや完璧に女性だった。  「ホント、嫌になるくらい可愛いんですね」  「それ、褒めてるの」  「都築さんが羨ましいですよ。こんな可愛い人がいつもそばにいるなんて」  「君はどういう立ち位置なわけ」  「素直な感想を言ってるんです。でも、これなら私と一緒に歩いてても違和感ないですね」  蒼空は観念したように小さくため息をついた。  WestWood家具に向かう車中、蒼空はすみれにあおいの検案書が入った封筒を渡した。  「そういえば、陽大から専門家に所見を聞いてもらったよ」  「それを早く言ってください。何かわかりましたか?」  「事故だとしたら、パンプスの踵の折れた方向と頭を打った場所が合わないって。傷から推測すると後ろに倒れているはずなのに、踵の折れた方向だと横に足を挫くみたいに転ぶのが普通みたい」  「それって……つまり誰かに押されたってことですか?」  「それはわからないよ。折れた踵と傷は直接関係ないかもしれないから。現場を調べられたらもっとわかったんだろうけど」  「事故で処理されて、もう何も残ってません」  すみれは悔しそうに唇を噛んだ。  「あそこはカメラとかもなかったしね。後でもう少し調べてみよう。それと、首の後ろに擦り傷のようなものがあるって」  「首の後ろ?」  「うん。何か細い紐みたいなのが擦れた痕みたいだって」  その言葉に、すみれははっとしたようにスマホを取り出し、写真を探した。  「もしかして、これ……」  ちょうど信号で止まった時に、あおいが奥入瀬で自撮りした時の写真を見せる。拡大したあおいの首元には細いゴールドのネックレスが見える。  「ネックレスか。これ、お姉さんが発見された時には……」  「なかったです」  「誰かが取っていった?」  「でも、バッグはそのままだったんです」  「すごく高いものだったとか……」  「安くはないけど、特別高いものでもないと思う」  「調べたの?」  「いえ、まだですけど。これ、ティファニーのスマイルっていうシリーズです。姉が好きな韓国ドラマでも出てきてたし、きっと買ってもらったんだと思う。そこからバレるのを恐れて持っていったとか?」  「でも、さすがに特定は難しいんじゃない? それこそ警察が入れば別だけど」  「だけど、その傷跡はネックレスを引きちぎって持っていったと見るのが一番自然じゃないですか?」  「まぁ、ね」  「転倒が事故か故意かはわからないけど、姉はその時一人じゃなかったってことだけははっきりしましたよね」  ちょうど車が駐車場に着いた。蒼空は助手席のすみれを見る。  乗りかかった船だ、ここまで来たらやるしかないか。  二人は小さく頷くと車のドアを開けて固いコンクリートの上に降りた。

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