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第40話 Vanilla Sky〜Dask Till Dawn
西木の指が尻を撫でながら太腿の内側に移動した時、蒼空 の我慢はついに限界に達した。撫でられている後ろ足で蹴り飛ばそうとしたその時、バッグの中に入れてあった蒼空の電話が鳴った。一瞬、力を緩めた西木を思い切り突き飛ばし、蒼空は急いで電話に出た。
「もしもし?」
「仲川さん、ずいぶん出てこないけど大丈夫?」
「あ、うん、そうだった、時間だよね、今すぐ行く!」
電話はすみれからだった。突き飛ばされて憮然とした表情の西木の顔を一発殴ってやろうかとも思ったが、一息ついて気を鎮めると、蒼空はにっこりと微笑みかけた。
「ごめんなさい、友達と待ち合わせてしてて。彼女が心配して探し回ってるみたいなので、もう行きますね」
「待て、このまま行く気か?」
「また後で」
そう言うと、蒼空は急いで部屋を後にした。
帰り道、ずっと苛々と怒っている蒼空をすみれは必死に助手席でなだめていた。早くシャワーを浴びて着替えたいという蒼空の要望で、カフェではなく蒼空の家へと向かう。家に到着するなりウィッグを外し、蒼空は冷蔵庫からペットボトルを取り出し、水をごくごくと飲み干した。
「完全に変態オヤジだろ、あれ。ああやってアプリで物色してはヤリまくってたんだ」
「あんな大きな会社の社長がそんな部屋を作って女の子を連れ込んでるなんて」
「それに引っかかる方もどうかしてるよ」
そこまで言って、蒼空ははっとした顔ですみれを見た。一瞬、頬をピクリと引きつらせたすみれだったが、何も言わずにウィッグを拾って紙袋にしまった。
「……ごめん」
「別に、本当のことだし」
「もしかしたら、一緒に旅行に行くくらいだから、お姉さんはちょっと特別だったのかも」
「だとしても、やっぱり引っかかったのには変わりないです」
「……お姉さんは本気で好きだったのかもしれないし」
「バカなんだから」
「あ、えっと、シャワー浴びてくるから適当に休んでて」
「はい」
蒼空がクローゼットから着替えを出していると、玄関のキーロック解除の音が鳴った。
え……? まさか陽大 ? だって、まだ夕方にもなっていない……。
「ただいま。今日はカフェが休みだから俺も早く帰っ……」
予期せぬ展開に蒼空とすみれがどうしたらいいか答えを出す間もなく、ドアが開いて陽大が入ってきた。汗を拭いながらシャツのボタンを外しかけた陽大は、トレーナーにミニのタイトスカート姿の蒼空と、ソファのところで立ち上がって口に手を当てているすみれの2人を交互に見つめる。三人とも時が止まってしまったかのように、しばらく動かない。
「あ……おかえり。早かったんだね」
ぎこちない笑みを浮かべながら蒼空が応え、そのままシャワールームに行こうとするのを陽大がむんずと掴んで引き戻した。
「この格好は?」
「えっと、その……」
「あの、私が頼んだんです」
「何のために」
「彼女の姉が最後に会ってた男なのかどうかを確かめるためだよ」
「だからって何でおまえがこんな格好をするんだ?」
「だから、その……囮だよ」
「俺は危険なことは絶対にするなと言ったよな」
「ただ会って話を聞こうとしただけだよ」
「それで? 話を聞けて一件落着したのか?」
「それは……」
「今日はまだ最初だから、徐々に……」
「今日は? 何言ってるんだ、二人とも。女の格好して知らない男と会うなんて、危ないことに巻き込まれたらどうするんだ?!」
蒼空は先ほどの西木の指が太腿をまさぐる感触を思い出して思わず身震いをした。
「ごめん、陽大。ただ話を聞くだけと思って……すみれさんはあおいさんを通して写真とかで顔バレしてる可能性があるから、だから俺が代わりにと……。それに俺なら男だから何かあっても彼女よりは力もあるし」
「ふざけるな。おまえに検死結果を見せただろ? あれを見て変だと思わなかったのか?」
陽大の言葉に蒼空は訝しそうに顔を上げた。
「思ったよ。自分から転んだんじゃない可能性がある、しかも首の後ろには何かが擦れたような痕がある。すみれさんが見せてくれた写真にはネックレスをしてたあおいさんが写ってた。事故かもしれない。けれど、ただの事故じゃないかもしれない。おかしいと思ったよ。だから調べてるんじゃないか」
「そこまでわかってるなら……」
「でも、何で陽大がそんなこと言うんだよ? 陽大こそおかしいと思ったんだろ? なのに何もしないのかよ? 放っておくのかよ?」
「知ってるだろ。管轄が違えば手を出すのは難しいし、何より事故として処理されたものを事件として再捜査するにはそれなりの証拠と管轄への根回しが必要だ」
「だからって見捨てておけない。俺があの日、奥入瀬のホテルで見かけた男が、もしかしたらあおいさんが死んだことと何か関係があるのかもしれない。直接事故の現場を見たわけじゃないけど、でもあの男を見かけたってことは、俺は少なくとも目撃者だ」
「目撃者の定義が間違っているぞ」
「彼女はただ知りたいだけなんだよ。なぜお姉さんがあそこで死ななければいけなかったのか、それが事故だとしてもその時の状況をちゃんと知りたい、それは遺族なら当然の思いだろ?」
「二人ともやめてください!」
陽大と蒼空の言い合いに黙っていられず、すみれが間に割って入った。
「何かあったら連絡するようにと言ってくれたのは、都築さんの方じゃないですか」
「それは……」
「あの日、何があったか知りたいと思うのは、そんなにいけないことなんですか?」
「俺は、ただ心配なだけだ」
「あなたの恋人が傷つくようなことはしませんから」
その言葉に、陽大は軽く唇を噛んで蒼空を掴んでいた手を離した。
すみれの姉のあおいは、恋人だと思っていた男に傷つけられた結果、死という最悪な結果を迎えてしまったかもしれないのだ。陽大は大学生にむきになって言い返す自分を反省した。
「……すまない」
「危ないことはしません。約束します。だから、あの男から話を聞くまで、仲川さんに協力してもらうことを認めてください」
ウィッグの入った紙袋を手に持ち、すみれは玄関のドアへと歩いていった。
「すみれさん」
「服は後でカフェに取りに行きます。あの男からメッセージが来たら連絡します」
軽く頭を下げてすみれは部屋を出ていった。
「蒼空」
「……なに」
「こっちに来て、話の続きをしよう」
「いいよ。どうせ平行線だし」
「さっきは俺も悪かった。考えてもみろ、恋人の家に帰ってきたら女の格好した恋人と女子大生がいるんだぞ。誰だって怒るだろ」
「まさか、彼女にやきもち妬いたの?」
「そういうわけじゃない。ただ……」
「ただ?」
「いいから来いって」
ソファに座る陽大の隣に、渋々蒼空はどかっと腰かけた。
「スカート履いてるのに、そんな脚広げて座るんじゃない」
「きついし、もう脱ごうと思ってたとこだから脱ぐよ」
「待て」
「え?」
「あ、いや、その……まず話をしよう」
心なしか、陽大の耳が赤いような気がして蒼空は首を傾げた。
「まず、なぜそんな格好をすることになったのか説明してくれ」
「これは……黙ってて悪かったよ。あおいさんがどうやらマッチングアプリに登録してて、そこで西木と知り合ったんじゃないかってことになって、囮で俺が登録することになったんだ。すみれさんは顔を知られてる可能性があるからさ」
蒼空はスマホを取り出すとアプリの画面を開いた。
「この"WW"って男、プロフィール写真が WestWood家具の椅子なんだ。しかも西木が自分でデザインしたあのカウンターチェア。怪しいってことになって俺が女のふりをして登録してフォローしてみたんだ。そしたら俺のプロフィールを見にきた形跡があった。だから今日は西木が来るって聞いてたから、思い切って店に行ってみたら、俺……というか、俺がなりすました"杏奈"だと気づいたみたいで、向こうから話しかけてきたんだ」
「話をしたのか?」
「うん……その、椅子が気に入ったのか、とかそういう感じで」
「それで?」
「それで……」
さすがにその後、あの部屋に連れ込まれたことを話すのは気が引けた。
「なんか、ちょっとナンパみたいな感じで……俺のことを……じゃなく、"杏奈"を気に入ったみたいで、いろいろ話しかけてきたんだ。だから、この後アプリの方のDMにメッセージが来たら、少しずつ話をして探っていこうと思ってる」
「それだけか? 何か変なことされたりしてないだろうな」
「へ、変なことって、あんな明るい店内で……」
「まぁ、それもそうだな」
あんな明るい店内の一角に、秘密の部屋を作り、そこに女性を連れ込んではセックスに耽っていたのだ……。
今日のことを思い出し、蒼空はまた怒りが込み上げてきた。
絶対にあの男の本性を暴いてやる。どんなに腕のいいデザイナーで経営者だとしても、女性をただのセックスの道具としか見ていないとしたら、そんなの許しておけるわけがない。ましてやそれが人が死ぬ一因になったのだとしたら、それは絶対に許せない。
「でも、今後はこんな格好で出歩くのは禁止だ。誰が何と言おうと絶対にだめだ」
いつになく真剣な眼差しで陽大が言う。蒼空はその手を取って頷いた。
「ごめん……今度もし女装しなくちゃいけないとしたらジーンズとか、長いスカートとかにするよ」
「またする気なのか?」
「だって、せっかくここまでこぎつけたのに。でも約束する。もうこんな格好では外に出ない。本当にしないよ」
そう言いながら陽大の上に跨り、首に腕を回した。脚を開いて座ったせいでタイトスカートが捲れ上がり、太腿のかなり際どいところまでが露になっている。陽大はそのすべすべとした白い肌を撫でた。
「脚の毛まで剃ってるのか」
「だって、ミニスカート履いてすね毛いっぱいあったら、西木だって近寄ってこないでしょ」
「そいつどころか、他の男も寄ってきたんじゃないのか?」
「まさか」
「俺ならすぐに声かけるけどな」
「はぁ? 何それ、可愛い子いたらナンパするってこと?」
「ああ、俺の目の前にいるこの子限定だけどな」
腿を撫でている手はいつのまにかさらに上へと移り、スカートの下でやや膨らみを増してきているモノに触れる。蒼空はびくっと体を震わせると、そのまま陽大の股間に押し付けるようにして強く抱きついた。
「下着まで女物履いてるのか?」
「だって、もし見えた時に男物の下着を履いてるわけにいかないだろ」
「見えた時って、そんな状況を想定してたのか?」
「もしもの話だって。それに、彼女が下着まで全部準備してよこしたんだ。あ、もちろん下着は新品だよ」
「当たり前だ。もし使用済みのものだったら今すぐおまえをぶん殴ってる」
「俺のこと、信用できない?」
「信用はしてる。でもそれと妬くのとは別だ」
「ねえ、知ってる?」
「何を」
「俺も陽大のやきもちが大好きだってこと」
「……悪趣味だな」
「だって、それだけ俺のこと好きだってことだから」
「そんなこと、やきもち妬かなくてもわかれ」
「言ってくれなきゃわかんないじゃん。だって、好きになったのは俺の方が先なんだし」
「先とか後とか、そんなことは関係ない」
「そう?」
「大事なのは、俺が今、おまえをものすごく好きだってことだろ」
耳元で囁きながら、下着の中にするっと指を入れて揉みしだく。急激な感触に、蒼空は思わずのけぞった。
「ああっ……」
「言い足りないなら何度でも言ってやる。俺はおまえを愛してる。そしておまえは俺のものだ。ここは俺にしか触らせるな」
「ん……はぁっ……」
「わかったか」
「うん……わかっ……あんっ……」
「いつからだとか、どっちが先とか、そんなのは関係ないんだ。だから、俺だけを見て、俺だけを信じろ」
「んんっ……」
「やきもち? 妬くに決まってるだろ。自分の恋人が他の男にそういう目で見られてるかもしれないなんて、我慢できるわけない」
「陽大……」
蒼空は潤んだ瞳で陽大を見つめた。
「服……汚しちゃう……」
「そうだな……じゃ、シャワールームに行こう」
「ん……」
陽大は蒼空の柔らかな唇にキスを繰り返しながら、手早く服を脱がせていった。
「……ああっ……はぁ……ん……いい……」
シャワールームに蒼空の甘い喘ぎ声と水飛沫に混じって肌と肌が擦れ合う音が響く。壁に両手をついて形のいい尻を陽大の手の痕がつくくらいに掴まれ、激しく腰を動かして突かれながら、蒼空は西木に触られた時の感覚とあまりに違う快感を不思議にさえ思っていた。
あの時はただただ気持ち悪く、早くあの手をどけてほしいと切に願っていた。けれど、陽大の手が自分の体のどこを触れても不快感などまったく起こらない。むしろ、1秒でも長く触れていてほしいとさえ感じている。
自分の中に入ってきては絶え間なく中を擦られるような感覚は、自分で陽大を思いながら慰めていた感覚とは比べものにならないくらいの突き抜けるような快感をもたらす。時折漏れ聞こえる陽大の呻くような喘ぎ声も蒼空にとっては胸が躍るような嬉しさを覚える。
危ないことは絶対にしないから……約束する。だから、事故の全貌がわかるまで手伝わせてほしい。
汗なのかシャワーの水滴なのかわからないほど二人の動きが速く激しさを増していく。
もっと……もっと激しく……。あの男の感触をすべて忘れさせてほしい……。
蒼空は後ろに陽大を咥えたまま体を捻って唇を求める。その甘い要求に陽大はしっかりと応えながらも、下半身は休むことなく蒼空を捉えて離さない。
陽大は女装した蒼空を見た時、怒りと同時にすぐにでも抱きしめたい衝動に駆られていた。街中を歩いて他の男にこんな格好を見せたことに対する怒りと、もし何かに巻き込まれたらという焦燥と、そして美しい恋人を今すぐ犯したいという欲望とが入り混じり、そんなことを考えてしまった自分にも怒っていた。そして、いつの間にか仲のいい親友だった相手がかけがえのない大切な存在になっていることに、心のどこかで充足感も覚えている。
どうにかなりそうなくらいにおまえを愛しているよ……。
シャワールームには、二人の男の絶え間ない喘ぎ声と水音がいつまでも響いていた。
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