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第41話 Vanilla Sky〜Dask Till Dawn
パソコンで書類処理をしていた陽大 はふとその手を止め、しばしじっと考え込む。そしておもむろに壮介の机に行くと、昼食を外に食べに行こうと誘った。
「瀬那 のとこでいいか?」
「いや、できれば違うところがいい」
「何だよ、俺に話でもあるのか?」
「そんなところだ」
「彼女に聞かれちゃ困る内容か?」
「それも含めて後で話す」
「わかった、んじゃ普通にチキンでも食いに行こう」
二人は周囲に外出することを告げると、署の近くにあるファストフード店に向かった。さまざまな年齢層でごった返している店内は、むしろ人に聞かれたくない話をするには適しているかもしれない。奥にある窓側のテーブル席に座ると、コーラを飲む壮介にどう話を切り出すか陽大はやや逡巡していた。
「どうしたんだよ、そんなに話しにくいことでも?」
「……とりあえず、誰にも言わないでくれるか」
「犯罪に加担する話じゃなければ」
「そういうんじゃない。ただ……」
「ただ?」
陽大は小さく息を吐くと、現在蒼空 が夏休みの旅行で偶然関わることになった例の事故に首を突っ込んでいることについて、その概要をかいつまんで打ち明けた。
「……つまり、その女子大生の姉が奥入瀬 渓流の岩場で転倒して亡くなる事故が起きて、たまたまその姉と一緒にいたと思われる男を蒼空くんが奥入瀬と札幌で見かけ、どういう状況で亡くなったのかを解明する手伝いをしてるってことか」
「そうだ」
「おまえが気を揉んでるのは、蒼空くんが管轄外の事故に首を突っ込んでるから思うような手伝いができないことなのか、それとも女装して他の男の前に出歩くことか?」
「……」
「それで瀬那に話を聞かれないよう気を遣ったわけか。大丈夫だよ、彼女はそんなことで怒るような度量の狭い人間じゃない。ま、敢えて知らせる必要もないけどな」
「あいつが無茶をしそうで怖いんだ」
「言っても聞かなそうだからな、彼は」
誰かさんに似て。
壮介が陽大と知り合ったのは、今の署に二人一緒に配属になった日だ。同じ年ということもあり、すぐに気が合った二人だが、ほどなくして壮介は蒼空の存在を知った。初めは陽大の言う通り、彼の古くからの友人だと思っていたが、そのうち蒼空の陽大に対する気遣いや仕草などを見ているうちに、どうやら違うのではないかと思い始めた。
二人は正反対のようでいて、実はよく似ている。実直で融通がきかない陽大と、柔らかな物腰で誰にでも優しい蒼空の二人は、曲がっていることは放っておけない性格だ。刑事という職業柄、陽大は当然のことだろうが、時々彼の話を聞いて助言をしてくれる蒼空もまた、その根底にあるのは確固たる正義感だった。
その蒼空が、陽大にだけはどう見ても甘い。陽大もまた、蒼空にだけは融通をきかせる。陽大のためにいろいろ尽くしている蒼空を見ているうちに彼の想いはさすがに第三者である壮介も気づき始めたが、肝心の陽大本人がまったく気づいていない。人の恋路に口を挟むのも野暮だと思って黙って見守っていたが、このままずっと陽大が気づかないままであればさすがに手助けをしてやろうと思っていた頃に、ようやく陽大も蒼空の気持ちに気づくと同時に自分の気持ちを自覚したようで胸を撫で下ろしたのだった。
「あいつ、頑固だからな」
「……人のこと言えないだろ」
「何か言ったか?」
「いや、何も。んじゃ、俺もこっそり手伝うから、おまえは蒼空が危ないことしないようにできる範囲で助けてやればいい」
「そうするつもりだ」
「とりあえず、その西木って男の素性を調べてやるよ」
「悪いな」
「おまえは蒼空くんがまた可愛い格好して会いにいかないか見張ってろ」
「俺が何を言っても、あいつがやりたければやるさ。そういうやつだ」
「でも心配なんだろ。俺は見てないけど、彼のことだからきっと美人になるんだろうなぁ」
壮介の言葉に陽大は苦々しくため息をついた。
「前から思ってたけど、何で蒼空くんは事件の解決を手伝いたがるのかな」
氷がほぼ溶けたコーラをストローで掻き回しながら、壮介が聞いた。
「……あいつの親父さん、刑事だったんだ」
「ああ、そんなこと言ってたな」
「あいつの家によく遊びに行ってたから俺も知ってるんだ。というか、蒼空の親父さんの姿を見て俺は警官になる夢を固めたと言ってもいい。でも、あいつは父親がいつも大変そうにしているのを見てたから、俺が警官になることに反対していた」
「そりゃ誰でもそうだろ。金持ちの家に生まれてわざわざ苦労することはないんだし」
「俺は自分の信念で生きたいと思ってる。少しでも世の中に役立つことをしたい。蒼空の親父さんは文句ひとつ言わずにいつも誰かのために汗を流してた」
「確か、殉職したんだったよな」
「正確には……事情はこうだ。仕事中ではあったけど、現場に向かう途中で交通事故に遭ったんだ。でもそれは犯人を追ってとかじゃなく、日頃からの無理が重なって心臓発作を起こしてしまったんだ。親父さんは最後の力を振り絞って人にぶつからないようにハンドルを切った結果、分離帯にぶつかってしまった。亡くなってからそれまでの功績を称えて名誉昇進したから周囲は殉職という扱いで敬っている」
「そうだったのか……」
「蒼空はいつも、まともに食事もしないで仕事に打ち込んでいた父親を心配していた。俺にいつも朝飯を作ってくれてたのも、そのことがあったからだと思う。だから、俺の仕事を手伝ってるのは……たぶん、あいつなりに親父さんにもう少し何かしてやれたんじゃないかって気持ちがあるんだと思う」
壮介は納得したように小さく頷く。
「そういうことだから、時々俺がこっそり別のことやってても見逃せ」
「わかったよ。俺も手伝うんだし、二人で彼を守ってやろう」
そう言うと、残りのコーラをぐっと飲み干した。
いつものように寝る前のハーブティーを蒼空に入れてもらい、陽大はソファにもたれてくつろいでいた。蒼空はノートブックでせっせと何やら検索をしている。
「蒼空」
「ん」
「この時間しかゆっくりできないんだからさ、こっちに来てくれよ」
「待って、あともう少し」
つれない返事の蒼空に陽大は小さくため息をついた。立ち上がって洗面所へ行って歯を磨き、そのまま寝る準備をしてベッドに潜り込んだ。
何だよ、協力してやろうと思ったのに。やっぱりやめた。
壁を向いて横たわっていた陽大の背中に、もぞもぞと何かが触ってきた。どうやら蒼空が隣に来たらしい。陽大は知らないふりをして目を閉じたままだ。
「陽大、寝ちゃったの?」
「……」
「もしかして怒ってる?」
「……」
「陽大ってば」
「……あまりのめり込むな」
陽大は背中を向けたまま低い声で言った。
「例の事故のこと?」
「深入りしてもしものことがあったらどうする」
「わかってる。そこはちゃんと線引きするから」
「その割に夢中になってるじゃないか」
「あ、さっきのこと? 何言ってんの、そうじゃないよ。あのね、家って勝手に建つわけじゃないんだよ。壁紙とか床板とかからドアノブまで細かいとこを全部決めなきゃいけない。適当に見繕っておいてってわけにいかないだろ」
「家の内装のことを調べてたのか?」
「ちょっと刑事さん、もう発注の段階なんですけど」
呆れたような口調で蒼空が起き上がった。つられて陽大も起き上がり、蒼空の方を向く。
「陽大の心配はわかってる。俺だって大人だし、警察の真似事して危険な目に遭わせるわけにいかないこともわかってる。ただ、俺にできる範囲で彼女が真実を知る手伝いをしたいだけ。彼女の姉がWestWood家具の社長である西木と交際していたのはきっと間違いない。既婚者であることを知らされていたかどうかまではわからないけど……。彼女と何かでトラブルになって事故が起き、西木は自分の不倫がバレるのを恐れて逃げたんじゃないかと俺は見てる」
「それはつまり、事故に遭ったのをそのまま放っておいたと?」
「わからない。ただ、彼女がつけていたネックレスが引きちぎられていたような形跡がある。せめてその部分だけでも真実を明らかにしてやりたい」
「……本当に頑固なやつだよ」
「陽大ほどじゃないけど」
「いいや、おまえには負ける」
陽大が軽く両手を広げると、蒼空は猫のように飛び込んできてしっかりとその逞しい背中に抱きついた。頬を肩口に寄せ、甘えるように目を閉じる。
「……俺のご機嫌取ろうとしてるな」
「別に。くっつきたいからこうしてるだけ」
「そういうの、何て言うか知ってるか」
「何?」
「小悪魔って言うんだ」
蒼空は顔を上げるとおもしろそうに笑った。
「陽大の口から何度もそんな言葉を聞けるなんて」
「何だよ」
「いや、ちょっとウケるなと思って」
「おまえな」
陽大はぐいっと蒼空の肩を掴むとそのままベッドに押し倒した。抵抗しようとする脚をすばやく自分の脚で押し込み、身動きが取れないようにする。不服そうに唇を尖らせる蒼空に素早く口づけ、陽大はきつく抱きしめた。
「頼むからあまり心配させないでくれ」
「……うん」
叱りながらも結局は自分の言う通りにしてくれる甘い恋人の背中を、蒼空は片手で自分の方に抱き寄せた。そして、もう片方の手は彼の下腹部へと伸ばしていく。
「……出たな、小悪魔」
「それを期待してるんじゃないの?」
「もちろん、俺にだけなら大歓迎だ」
「当たり前じゃん、陽大以外の誰とこういうことするんだよ」
「俺はいつだって心配なんだよ」
不機嫌そうな陽大の声に蒼空は小さく笑った。
ごめん、陽大。でも俺はおまえに心配してもらえるのが本当はすごく嬉しいんだ……。
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