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第43話 Vanilla Sky〜Dask Till Dawn

 署内の休憩室で出前の親子丼を食べながら、陽大(はると)と壮介は同じようなタイミングで鶏肉をつついていた箸を止め、同じようなタイミングでため息をつき、同じような表情で言葉もなくただ飯を口に運んでいた。  事件解決に蒼空(そら)の推理力を借りることもしばしばあり、今回は同僚であり親友の壮介にもできることは協力してほしいと頼んだ陽大だったが、まさかその壮介の恋人である瀬那まで巻き込むとは予想もしていなかった。しかも壮介に聞くと、瀬那が意外と乗り気になっているというのだ。いざとなったら女子大生より男二人の方が危険は少ない、という脅し文句のような決め台詞に恋人たちは何も言えなくなってしまい、昼食を取りながらため息をつくだけという非生産的な行為しかできなかった。  「俺は後悔してるよ。蒼空くんの探偵ごっこに協力してやるって言ったことを」  「ごっことか言うな。本人は真剣にやってるんだから」  「そりゃ真剣だろうよ。ついでにワトソンも真剣になってるからな。昨夜なんか、俺そっちのけであちこち知り合いに電話かけてドレスの手配とかヘアメイクとか決めてたぞ」  「そっちのツテは頼れるだろうしな。いや、俺も悪かったって思ってるよ。瀬那ちゃんまで巻き込むつもりなんか本当になかったんだ」  「当たり前だ。あったら困る」  「こうなったら、俺らも一緒に全面降伏して協力するしかないだろ」  「どうやって。それでなくても仕事山積みで忙しいってのに」  「だって、もし蒼空があの男に襲われでもしたらどうするんだよ。いくら男だから大丈夫って言っても、薬とか飲まされたりしたら……」  「そんなの瀬那だって同じだ。一緒に行ったら瀬那の美しさに鞍替えして、ターゲットを変えられるかもしれないだろ」  「蒼空の女装見てないからそんなこと言えるんだ。この前のそこまでしっかりメイクしてない状態ですら、その場で押し倒したくなるくらい可愛かったんだぞ」  「言っとくけどな、瀬那はその辺の女よりずっと綺麗だからな。何ならミス・ユニバースにだって出れるレベルだ」  「悪いが蒼空だって化粧したら間違いなく出れる」  「うちの瀬那とは年季が違うだろうが」  「そんなの関係な……いや、そんなことを言い合ってる場合じゃない。どうやってあいつらを警護するかを考えないと」  「あ、ああ、そうだった。とりあえず、俺らも会場には行かないと」  「でも中には入れないだろ。車で待機か」  「署の備品を使うわけにいかないからな……スマホで連絡取り合うしかない」  陽大と壮介はお互い見つめ合い、そして同時にまたしても大きなため息をついた。  濃紺の艶のあるサテン生地のドレープが膝下で緩いウェーブを描き、しなやかな筋肉がほどよくついた細いふくらはぎの周りで揺らめく。白い肩先がレースから覗くノースリーブ型のドレスの胸の膨らみがあるのは、瀬那から借りた下着をつけているからだ。ストッキングと同様、肌に触れる慣れない感触にそわそわしている蒼空を陽大は何も言わず見つめていた。いや、正確には見とれていたと言う方が正しい。瀬那の友人に綺麗にメイクをしてもらい、ウィッグをつけた蒼空の美しさに、陽大は言おうと思っていた小言を一言も言えずにただ見つめているだけだった。  同じように、いつものウェイトレス姿とは違う瀬那の姿に、壮介も頭を掻くだけで何も言えなかった。色味の濃い赤の光沢のあるトレーンドレスを着た瀬那は、蒼空と違って膝も見える長さだ。後ろは足首までの長さがあるが、かえってそれが艶かしく感じる。細い鎖骨がくっきりと見えるオフショルダーのドレスに小ぶりのゴールドのクラッチバッグを手に持つ瀬那のいつもより少し濃いめのメイクに、先日の壮介の心配はさらに大きくなっている。  女性ものの靴など履いたことのない蒼空は、やや低めで歩きやすいチャンキーヒール型の黒いパンプスを履いているが、慣れている瀬那はバッグと色を合わせたピンヒールのパンプスを履きこなしている。  「俺らは外に車を停めて、そこで待ってるから」  「うん、わかった」  「何かあったらすぐに電話しろ」  「わかってる。瀬那ちゃんもいるし、無茶なことは絶対にしない」  ジーンズにTシャツというラフな格好をしているすみれが、四人を心配そうに見つめている。  「すみれさんは家に帰ってて。夜だし、もし何かあったら困る」  「でも……」  「こまめに連絡するよ。心配しなくていい」  「仲川さん」  「ん?」  「……ごめんなさい」  「何が?」  「私がこんなことに巻き込んでしまって……」  俯いて指を噛むすみれの両肩を蒼空は優しく掴んだ。  「"こんなこと"なんかじゃないだろ。家族が亡くなって、その時の詳細もわからない。一緒にいた男がその状況を知っているなら、知りたいと思うのは当然だよ。それに、もしその男が亡くなった要因に絡んでいるとしたら、それはもう君だけの問題じゃない」  「でも、仲川さんは本当は関係ないのに」  「巡り巡ってこうなってるってことは、きっと関係あることだったんだよ」  すみれは泣きそうになりながら小さく微笑んで軽く頷いた。  「家で待ってて。何も成果を得られないかもしれないけど、何かわかるかもしれない。わからないまま待つのはもどかしいだろうけど、でも待ってて」  「……うん」  閉店後のVanilla Skyから出ていくすみれを四人が見送った。陽大が後ろから蒼空の肩に手を置く。  「蒼空、行く前にもう1回、確認しよう」  「うん」  四人はテーブルに座ると、タブレットに映し出された西木渉と妻の凉子の画像を眺めた。  今夜のパーティはWestWood家具のチャリティイベントに協賛してくれた企業を中心に、常連の顧客やモデルなどの芸能人も呼んでいる割と大掛かりな規模だった。蒼空は杏奈の名前で二名分の招待券コードをマッチングアプリを通じて持っている。ホテルのイベントホールを借りてのパーティで、西木はそのホテルの1室を予約していることを杏奈になりすましているすみれに伝えてきていた。  蒼空は瀬那と一緒にパーティに行き、まずは西木にいかにもセレブの集まりに来れてはしゃいでいるという様子を見せる。実は今回の潜入は、妻の凉子がどこまで知っているかを探るのが目的だった。先日すみれが買ってきた、すみれの姉のあおいが西木から贈られたと思われるティファニーのネックレスと同じ型の偽物を蒼空がつけていき、凉子にそれとなく自分は夫と不倫をしており、これを買ってもらったんだということを認識させるのが目的だ。その後、夫婦の間でどのような反応が起きるのかによって、今後の行動を考えることにしていた。  凉子は間違いなく夫の浮気を知っているだろう。問題は、知っていてそれにどう対処しているかだ。西木も今の地位を手放すつもりなどないだろうから、いずれこれまでも遊んできた女性と同様、杏奈も手に入れて飽きれば捨てるつもりだろう。ただ、もしあおいが本気で西木との交際を望んでいて、たとえば彼が妻とは離婚するからなど調子のいいことを言っていたとしたら……。  蒼空がずっと気になっていたのは、あの日、奥入瀬のホテルで凉子の姿を見たことだった。なぜ不倫旅行に来ていたであろう西木が、翌日には妻と一緒にホテルにいたのか。西木があおいとはこれで最後にするつもりで旅行に来たとしても、そこに妻を呼ぶことは考えにくい。  何かの形で凉子も絡んでいるのではないか。そこが引っかっていた蒼空は、すみれが勝手にパーティの招待を受けたことを逆に利用しようと思いついたのだった。  「手っ取り早いのはトイレね。奥さんが入ったらすかさず私たちも入る」  瀬那の言葉に蒼空は驚いて顔をあげた。  「待って、トイレって……女性用トイレだろ?」  「当たり前です」  「いや、さすがに俺にそれは無理」  「何を言ってるんですか。そんな格好して男性用トイレに入るつもり? 入った瞬間に個室に連れ込まれますよ」  「それは絶対にダメだ」  陽大が慌てて割って入る。  「でもさ、女性用トイレに入るって……」  「大丈夫です。事前にホテルに下見に行きましたけど、このフロアのトイレはどこも個室が二つだけでした。だから、奥さんと私たちだけになる可能性が高いです」  「下見まで行ったの……?」  「当たり前じゃないですか。潜入する場所の間取りもわからないで、何かあったらどうするんですか」  蒼空と陽大はあっけに取られ、少しだけ得意げな顔を見せた壮介もすぐに心配そうな表情に戻った。  「できるだけトイレに近い場所に陣取って、奥さんが入ったらすぐに私たちも入る。そして、奥さんは個室に入るだろうから、私たちは洗面のところで大きめの声で話すんです。蒼空さんがパパ活をしていて、ネックレスを買ってもらったこととか、このパーティに招待してもらったこととか、それから……」  さらに続けようとした瀬那の口を蒼空は慌てて塞いだ。実は行きがかり上、瀬那には あの日、家具店で西木に怪しい部屋に連れ込まれたことを話していたのだが、陽大にはまだ話せていなかった。今回のことが片付いたらちゃんと話そうとは思っているものの、当然陽大が怒ることを考えると踏ん切りはついていなかった。  「もう、口紅が取れたらどうするんですか」  「あ、ごめん。その、なんかあまり生々しい感じがして……」  「でも、実際にトイレではその話をするんですからね」  「わかってるけど……」  二人のやりとりを見ていた陽大と壮介はお互いに顔を見合わせ、そっとため息をついた。  「なあ、瀬那ちゃんって実は蒼空よりも探偵ごっこが好きなんじゃないのか」  「いや、俺もわかっていなかったけど……あいつがあんなに生き生きとしてるのは初めて見た」  「俺の中に一抹の不安がよぎってるよ」  「偶然だな、俺もだ」  会場についてからの動きを確認した蒼空と瀬那は、それぞれの恋人の方へと歩み寄る。  緊張のせいか白い肌がほんのりとピンク色に染まっている蒼空の腰を抱き寄せると、陽大は頬にかかるウィッグの髪を優しく寄せた。  「口紅取れちゃうから……だめだよ」  「わかってる」  「もうこんな格好することはないから。最初で最後」  「ああ。でも……」  「でも?」  「似合ってる」  「……そう言われて喜んでいいのかわかんないよ」  「綺麗だ」  蒼空はぎこちない笑みを浮かべる。  「絶対に、他の男に触らせるなよ」  「それはもちろん……でも不自然にすると西木にバレちゃうし」  「だめだ。絶対に触らせるな」  今回の作戦上、それがなかなか難しいことであるのは陽大も十分わかっていた。それでも言わずにはいられないほど蒼空は美しく、陽大は今まで感じたことのない独占欲が自分の心に渦巻いているのを感じている。そんな複雑な表情をしている陽大に、とうとう蒼空は我慢できずに軽くその唇にキスをした。  「蒼空」  「これくらいなら落ちないだろ」  そう言って陽大の両手をしっかりと握った。  「外で待ってて。必ず戻るから」  「ああ」  同じく壮介と手を繋いでいる瀬那の方を向き、二人はしっかりと頷き合った。  「よし。行こう」

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