46 / 50

第46話 Vanilla Sky〜Dask Till Dawn

 スイートルームでも予約したのかと思いながら部屋の中に入った蒼空(そら)だったが、予想に反してそれほど広い部屋というわけでもなかった。ロマンチックな演出などは二の次で、引っ掛けた女性とセックスができればいいというのが西木渉の本音なのだろう。  それでも一応、ベッドサイドに置かれているラウンドテーブルの上には、二つのグラスにすでにシャンパンが注がれていた。  「まずはこっちに来て、乾杯しよう」  蒼空はためらいつつもベッドとは反対側の椅子の方に歩いていき、立ったままグラスを手に取った。西木はその手を強引に引っ張り、蒼空の持っていたクラッチバッグをテーブルの上に置くと腰を抱いて引き寄せた。そのままグラスを合わせて軽く音を立てる。  「美しい女性と美しい夜を過ごせることに乾杯」  愛想笑いすら引きつりそうになりつつも、蒼空は飲むふりをして唇を濡らしてグラスを置いた。  「酒は苦手かな」  西木はベッドに腰掛け、そのまま一緒に蒼空も腰を下ろした。その纏わりつくような視線で見られることは苦痛でしかなかったが、話を聞き出すにはある程度の我慢も必要かもしれない。蒼空はさりげなく体をずらして少しだけ西木の体から離れた。  「いつもこんな感じなの?」  「いつもって?」  「だって、こういう風に夜を過ごす女の人はたくさんいるんでしょ」  「今は君だけだよ」  そう言うと、蒼空の肩にかかる髪をさりげなく寄せながら、そのまま肩先から指を滑らせる。蒼空はびくっと体を震わせ、ぎこちない笑みを浮かべて自分の肩を撫でる西木の手を取り、軽く握った。  「あの……私、その……彼氏がいるの」  「そう」  「はい」  「それで?」  「え?」  「俺だって妻がいるのは知ってるだろう? それに、彼氏がいてもマッチングアプリに登録するくらいなんだし、要は君もこうやって気持ちいいことがしたいだけなんじゃないのか?」  「えっと、それは、その、興味があって……こういうのってどんな感じかなって」  「それはいいことだ。君のような魅力的な女性はもっと開放的になるべきだよ」  「こ、こうやっていろんな女の人を口説いてきたの?」  「俺の過去なんかどうでもいいよ。今夜、目の前にいるのは君なんだから」  「でも、ついこの前までやりとりしてた女の人がいたじゃない」  「……なぜそんなことを知っている?」  「そ、そんなの、アプリの足跡ですぐわかるから」  本当はそんな機能などないのだが、おそらくアプリの細かい機能まで西木が熟知しているとは思えない。そう考え、蒼空は咄嗟に嘘をついた。  「そうなのか? だが、そんなことは気にしなくていい」  「だって気になるもん。これ、覚えてる?」  首元に手をやり、ネックレスを見せる。  「これ? 君にもう何か買ってやってたか?」  西木は怪訝そうに蒼空の首元のネックレスを眺めた。  「これ、前の女の人に買ってあげてたでしょ」  その言葉に、心なしか西木の表情がやや強張る。  「どういうことだ」  「あ、だから、写真で見たの。その女の人がSNSにアップして自慢してたよ」  「写真を載せていたのか?」  「うん」  「それで、君のそのネックレスは」  「これは……彼氏からもらったの。で、同じデザインだからつけてみたの」  「なぜそんなことをするんだ」  「なんでだろう……やきもち妬いたのかも」  すると西木は握られていた手をほどくと、蒼空の腰に腕を回して引き寄せた。  「やきもち妬いてくれたのか。可愛い子だ。でも、人の過去を調べるのはいただけないな。お仕置きしないと」  「別に調べたわけじゃなくて、たまたま知ったの」  「俺はお仕置きをするのが大好きなんだよ。特に君のような綺麗な子を苛めるのがね」  「私に傷をつけたら、彼氏に言いつけてやるから」  「大丈夫、傷なんかつけないよ。だってしたくてたまらなくなって、君の方からお願いしてくるんだから。早く挿れてくださいって……」  耳元で囁かれ、蒼空は両手をぐっと握りしめた。目を閉じて息を整え、懸命に堪える。  「でも、前の人とはどうやって別れたの」  「君もしつこいな。前の女なんかどうだっていいだろ」  「だって、私も同じように捨てられたら嫌だし」  「捨てる? 何言ってるんだ。君が望む限り、俺たちの関係はずっと続いていくよ。でもそれは付き合うとかそういう関係じゃないってことはわかってるだろう? 俺にも君にも、相手はいるんだし」  本当にあおいとのことは単なる体の関係だけだったような口ぶりに、蒼空はこれ以上、話を続けることが苦痛だった。話をすればするほど嫌悪感が増すだけで、西木はあおいのことなど意に介さない様子でなかなか話を引き出せない。  一方、西木もスムーズに事が進まないことに少し苛立ってきたのか、強引に蒼空を引き寄せ、そのまま顔を近づけてきた。蒼空は慌てて立ち上がり、引きつりながらも笑顔を作る。  「待って、先にシャワー浴びてくる」  「一緒に浴びようか」  「ま、まだ恥ずかしいから。ここで待ってて」  「あまり待たせると入っていくぞ」  「わかってる。すぐ済むから」  本当はボイスレコーダーが入っているバッグを持っていきたかったが、蒼空が立っている位置からはバッグが置かれているテーブルが遠い。こういう時に女性はどうするのだろう、バッグを持っていくのは自然なことなのだろうか、と素早く考えを巡らせたが、下手に怪しまれても困ると思い、バッグはそのまま置いていくことにした。どのみちスマホは胸に忍ばせてある。  バスルームに入ると、念のため施錠してから勢いよくシャワーバルブを捻った。急いでスマホの画面を確認すると、部屋に入ってから陽大(はると)からのメッセージがすでに5件も入っている。大丈夫か、無茶なことはしていないか、変なことはされていないか……。  眉間に皺を寄せながらメッセージを打っている陽大の顔が目に浮かび、蒼空はようやくほっとした表情で小さく微笑み、大丈夫と一言返信した。  さて、問題はここからだ。どうやってあおいの話を聞き出していくか。  一応、シャワーを浴びたということにしなければいけないため、蒼空はドレスを脱ぎ、かけてあったバスローブを羽織った。下着はつけたままにしたので、胸の膨らみは残っている。  ――そろそろ瀬那を行かせる。迎えに来たことにして、戻ってこい。  ――まだ何も聞けてないよ。  ――今日はこの辺にしておけ。  陽大とメッセージのやりとりをしていると、バスルームの外から、急に怒鳴り声のような音が聞こえてきた。急いでドアに耳を近づける。どうやら誰かが来たようだが、シャワーを出しっぱなしにしているため、うまく内容が聞き取れない。  まさか、もう陽大たちが乗り込んできた? いや、この声は女だ。瀬那よりもっとキーの高い声だ。  もっとよく聞き取ろうとさらにドアに耳を当てると、突然そのドアがどんどんと叩かれ、蒼空は驚いて後ろに飛びのいた。  「早く出てきなさいよ!」  凉子の声だった。  別のパーティ会場に行ったんじゃなかったのか?  「いい加減にしろ」  「何言ってるの、それはこっちのセリフよ。本当にいい加減にしてほしいのはこっちよ!」  「大声を出すな」  「はっ、よく言うわ。これから別の大きな声を出そうとしてたくせに」  「いいからもう帰れ」  「あなたこそ帰りなさいよ。この前の女のことで少しは懲りたと思ったのに、どういう神経してるわけ?」  この前の女……? あおいのことだろうか?  「聞こえるだろ。やめろ」  「聞こえたっていいじゃない。わからせてやるのよ。パパ活だか何だか知らないけど、甘く見てたら痛い目に遭うってこと」  「何言ってるんだ」  「いつまでシャワー浴びてるのよ!早く出てきなさいったら」  またドアを叩かれ、蒼空は急いでウィッグの毛先を濡らして首にタオルをかけた。バスローブのポケットにスマホを入れ、大きく息を吐くとバスルームのドアをそっと開けた。ドアはそのまま勢いよく外から引っ張られ、蒼空はよろめきながら西木と妻の凉子の前に立った。  「しっかりシャワー浴びちゃって、何をする気だったの」  「あの……」  「私のことはわかるわよね? この人の妻で、WestWood家具の副社長よ」  「私はただ……」  「まさかお話するだけだったなんて言わないわよね? そんなバスローブなんか着ちゃって、言い訳できないわよ」  「凉子、やめるんだ」  「残念だけど、この人と遊んだって何の得にもならないわよ。適当にセックスして、飽きたらすぐ捨てられるだけ」  「おい」  どうやってこの場を切り抜けたらいいか必死に考えていると、部屋のチャイムが鳴った。間を置かず、ドアを叩く音がする。  「杏奈、ちょっとここ開けてよ」  声の主は瀬那だった。  「あ、一緒に来た友達です……」  「まさか3Pしようとしてたの?」  「そんなわけないだろ。何しに来たんだ、彼女は」  「たぶん、私を迎えに……」  「ちょっと開けてって。私のバッグと間違えて持っていってるでしょ」  瀬那の声に、蒼空と凉子はテーブルの上に置かれたバッグに目をやった。  「あ、そ、そうだ、これは私のじゃない」  蒼空は急いでバッグを掴むと、部屋のドアを開けた。瀬那が怒ったような表情で入ってくる。  「まったく……せっかくナンパされたのに、あんたがバッグ間違って持っていくから、スマホもないし連絡先の交換もできなかったじゃない」  「あ、えっと、ごめん」  「……え、何この状況。修羅場?」  「え? あ、まぁ……」  苦々しい表情でこちらを見ている西木と腕組みをして睨みつけてきている凉子の二人を見て、瀬那は大袈裟に肩をすくめた。  「うわぁ、最悪。頑張ってね」  「え? ちょっと待って」  「じっくり時間をかけてちゃんと話をするのよ。後で連絡するから」  じっと蒼空の目を見てそう言うと、瀬那は部屋を出ていった。  時間稼ぎをしろってことか?  蒼空はゆっくりと二人の方に向き直った。  「あら、友達にも見捨てられたみたいね」  「別に、そんなに仲良くないし」  「最近の子はドライなのね」  「ただのマッチングアプリ仲間だから」  凉子はピクッと眉を動かし、蒼空を睨みつけた後、その視線を西木に向けた。  「いい歳して、出会い系サイトにはまってるなんて情けない」  「友達を作って何が悪い」  「ずいぶん歳の離れたお友達を作るのね」  「私だけじゃないんでしょ。そんなに苛々しないで」  「あんたは偉そうな口を聞ける立場じゃないでしょ」  憎々しげに睨みつけながら凉子は蒼空に近づき、その肩を指先で強く押した。よろめいた拍子に、首にかけていたタオルが床に落ちる。タオルを拾おうとした時、不意に凉子が蒼空の両肩を掴み、ものすごい形相で睨んできた。  「どういうことよ」  「何が……」  そして、蒼空のネックレスを掴むと、勢いよく前に引っ張った。  「いてっ!」  強く金属が首の皮膚を擦った痛みに、蒼空は思わず地声で叫び、首筋を抑えた。つい、いつもの声を出してしまったが、そんなことを気にしてられないくらい首の後が痛かった。抑えている指にぬるっとしたものがついている感触から、おそらく血がでているのだろう。  蒼空はあおいの首の傷のことを思い出していた。  間違いない。あおいの首からネックレスを引きちぎったのは、凉子だ。  「何よこれ、あなたまたこんなの買ってあげたの?」  「いや、俺は買ってない」  「そうね、こんな偽物、どこで売ってるのかも知らないわよね」  凉子は馬鹿にしたような笑みを浮かべ、引きちぎったネックレスを床に叩きつけた。  「……そうやって、彼女の首からもネックレスを無理やり取ったのか」  「は? 何言ってるの」  「奥入瀬で。倒れた彼女の首から、ネックレスを引きちぎったんだ」  急に態度が変わった蒼空を見て、凉子と西木が警戒するように身構える。  「……誰なんだお前」  その時、ドアロックを解除する音が鳴った。西木たちが怪訝そうな顔で入口を見る。  「誰だ? なぜ人の部屋に勝手に入ってきてる」  「バッグにキーが入ってたので」  瀬那がにっこり微笑みながら答えた。その手には先ほどのバッグがあった。  「またおまえか。何しに来たんだ」  「用があるのは私じゃないんです」  「何を言ってる」  瀬那の後ろからすみれが顔を出した。  「あなた、いったい何人の女を引っ掛けたわけ?」  凉子があきれたように西木を睨みつける。  「いや、この子は知らない……知らないが、どこかで見たような気もする……」  「よく似てるって言われてましたから」  「似てる?」  「ええ、姉に。奥入瀬で亡くなった、あおいの妹のすみれです」  西木と凉子は思わず息を呑んで後ずさった。  「な、何でここに……」  「どういうことよ? あなたのお姉さんが亡くなったこととうちの夫と何の関係があるの?」  「むしろ、あなたも関係あるんじゃないですか」  さらに後ろから陽大と壮介が入ってきた。  「何だ、おまえらは。警察呼ぶぞ」  「あ、大丈夫です。その必要ないですよ」  「ふざけるな、今すぐ呼んでやる」  「だから必要ないですって。目の前にいるんだから」  「……何だと?」  陽大と壮介が警官手帳を見せると、急に凉子が黙りこくって視線を泳がせた。そして西木の後ろに隠れるように立ち、彼の腕をぎゅっと掴んだ。  「私は姉がなぜ死んだのか、それを聞きたかったんです」  「……何の話だ」  「とぼけないでください。一緒に奥入瀬に行ったでしょ?」  「知らない」  「ちょっとあなた、いきなり部屋に押しかけてきて、何の言いがかりをつけてるの?」  「言いがかりじゃありません。事実です」  「何を言ってるのか知らないが、いきなり部屋に来てわけのわからないことを言われても困る」  「わけのわからないことって、さっき話したことも忘れたのか?」  壮介はボイスレコーダーを見せると、再生ボタンを押した。  『……その女癖の悪さ、いい加減どうにかならないの?』  『おまえはそのすぐカッとなる癖を直せ』  『自分のしたことを棚にあげて私を責めるわけ?』  『俺の女遊びはいつものことだろう。何をそんなにピリピリしてるんだ』  『ピリピリですって? あきれた、あなたが奥入瀬でしたことを考えたら、呑気になんかしてられるわけないでしょ?』  『あの女のことか? あれは事故だ、アクシデント。俺が何かしたわけじゃない』  『バカね、私が知らないとでも?』  『どういう意味だ』  『星野リゾートに予約なんか取るからよ。私にバレないわけないでしょ』  『気晴らしに行っただけだ』  『気晴らし? それは皮肉ね。少しでも気晴らしができたのかしら』  『それは……』  『できるわけないわよね。あんなことしたんじゃ』  『あんなこと……?』  『浮気の証拠を撮っておこうと思ったら、すごい動画が撮れたの』  『……動画?』  ボイスレコーダーから流れてくる会話に、西木と凉子はこれ以上ないくらいに二人とも真っ青な表情をしていた。

ともだちにシェアしよう!