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第48話 Vanilla Sky〜Dask Till Dawn
夫がWest Wood家具店に隠し部屋を作っていることを凉子が知った時、西木渉は岡崎あおいという自分とは真逆のような柔らかい雰囲気の若い女性に入れ込んでいた。西木は言葉巧みに女性たちを言いくるめては浮気を繰り返しており、凉子もそのことには薄々気づいていた。しかし、西木が女性たちに言っていたように、妻も黙認しているというのは都合のいい嘘だった。表向きはなんでもないように装っていたが、内心ははらわたが煮え繰り返る思いだった。
西木が奥入瀬 にある星野リゾートホテルを予約している情報を掴み、凉子はこっそりと後を尾けて一緒に奥入瀬入りしていた。西木がチェックインをすませた後に二人で渓流沿いの散策に向かった様子を見届けてから、凉子はフロントに顔を出した。このホテルは何度か利用したことがあったため、、西木の妻であることを名乗り、カードキーをインロックしてしまったと伝えると、フロントスタッフが凉子を覚えていてくれ、すぐに新しいカードキーを渡してくれた。
部屋に入ると、予想通り女物のバッグが置かれていた。そして、洗面所には夫が外した指輪が置かれている。それを見た瞬間、凉子はカッと頭に血がのぼり、バッグを掴むと部屋を出た。夫は指輪を外し、夕食前に浮気相手と二人で渓流沿いに散策に出かけている。まもなく日が落ちようとしている夕方の渓流の景色や地元食材を使った美味しい食事など二の次で、夫はできるだけ早く部屋に戻ってきてやることをやりたいと思っているに違いない。
凉子はホテルを出て辺りを注意深く見渡しながら遊歩道に降りた。木が生い茂り、次第に暗くなってきている遊歩道は人影もまばらだ。おそらく万が一を考え、さらに人目を気にせずべたべたできるように、二人は暗くなってからこの遊歩道を戻ってくるだろう。
皮肉なことに、凉子のその予想は当たった。西木が若い女の腰に手を回し、べったりを体をくっつけてホテルに向かって歩いてくる。女も楽しそうに笑いながら、西木の体に腕を巻き付けていた。遊歩道が思いの外、石などが多く歩きにくいことは予想していなかったのか、女は踵の高いヒールでやや歩きにくそうだった。
精一杯お洒落してきたみたいね。残念ながらあんたみたいな田舎くさい子にはまったく似合ってないけど。
怒りで手が震えながらも、岩陰に隠れていた凉子はスマホを取り出すとカメラを起動し、録音ボタンを押した。
少し離れているのと、夜だからかあまり大きな声を出して会話をしていなかったため、何を話しているのかまではわからなかった。しかし、そのうち遊歩道から広めの河原に降りたあたりで二人の様子がだんだんと言い合いのようになっていく。凉子は気づかれないようにそっと近づき、そのまま録画を続けた。
「……離婚するって……」
ところどころ聞こえてくる声の中に、そんな単語があった。妻とは離婚するからもう少し待っててくれなどという典型的な不倫ドラマのようなセリフを夫が言っていたらしいという事実に、凉子は目眩がしそうだった。
冗談じゃない、WestWood家具をここまで大きくしたのはあなただけの力じゃない。私の後ろ盾と経営戦略のおかげのくせに、何を勝手なことを……。
「……私を捨てるつもりなの?」
どのタイミングでバックを投げつけて登場してやろうかと思案していたところ、泣きそうな声で西木に詰め寄って女が、次第に煩わしく感じ始めた様子の西木を追いかけた時にちょうど足元にあった大きな石にヒールを引っかけたのか、よろけて彼の腕にしがみつくような格好になった。西木はうるさそうにその手を思い切り振り払い、背中を向けて歩き出す。その瞬間、女は支えをなくしたようにバランスを崩し、そのまま勢いよく後ろに倒れ込んだ。何かが潰れるような鈍い音がして、女はそのまま動かなくなる。その音に西木は驚いて振り返り、ぐったりと仰向けに倒れている女に気づくと固まったように動けなくなった。やがて恐る恐る近づいて覗き込み、そして後ずさり、慌てて辺りを見回した。
ここまでの一部始終を録画していた凉子は、さすがに緊急事態だと感じ、慌てて夫のそばへと駆け寄っていった。いきなり現れた凉子に西木はひどく驚き、さらに倒れている女が頭から血を流して動かないことにもどうしていいかわからず、ひたすら親指の爪を噛んで辺りをうろうろと歩き回った。
「……なぜおまえがここにいるんだ」
「浮気現場を押さえに来たのよ」
「……仕事関係の顧客だ」
「嘘つかないで。もうホテルにも行ってきたわ」
凉子はバッグを倒れている女の手元に転がすようにして置いた。
「……死んでるよな」
凉子は躊躇いつつも女に近づき、その様子を観察した。
「……息してないわ」
「……どうしたらいい」
途方に暮れた様子の夫を、凉子は無理やり脇の遊歩道まで引っ張った。
「どうしたいの。このままじゃ人が来る」
「どうって……俺のせいじゃないんだ。彼女が勝手につまづいて転んだんだ」
一部始終を見ていた凉子は、先につまづいたのは確かに女の方だが、その後振り払って押したような形になったのは西木が原因だということを知っていた。もしそれがバレてしまえば、警察沙汰になることは免れない。
「勝手に転んだなら、あなたは何も関係ないでしょ」
「……そ、そうだよな? 俺のせいじゃないよな」
「ホテルに戻るわよ。最初から私と来たことにするの」
「ああ、わかった」
西木を促して戻ろうとした時、薄暗い中で差し込んでいる街灯に照らされた女の首元が光った。凉子は足を止め、その光を怪訝そうに見つめた。光っていたのはネックレスだった。
夫は気づいていないが、凉子は夫名義のカードをWeb上で明細管理していた。バレないように自分のカードを使っていた西木だったが、その明細までは自分で管理しておらず、凉子はこっそりと夫が何に使っているのかを確認していた。その中にティファニーのネックレスを買った明細があり、まさに今、自分の目の前でその時に購入したと思われるティファニーのネックレスが知らない女の首元で光っていた。
凉子はそのネックレスに指をかけると、力ませに引きちぎった。引きちぎる時に少し頭が持ち上がり、再度後頭部が石段に打ち付けられる形になった。それでも女はぴくりとも動かず、凉子はそのネックレスを握りしめて急いで西木の元へと小走りで駆け寄った。
そんな経験をしたのに、それからまだそれほど日数もたっていないのに、夫がまた浮気をしている形跡が見つかった。しかも今回は大胆にも妻も出席しているパーティに招待し、さらにはホテルの部屋をとっているということに凉子は呆れてものも言えなかった。そして別の会場でのパーティに参加する予定だったが、急遽キャンセルしてこの部屋に乗り込んだのだった。
凉子も西木も黙りこくったまま、何も話そうとはしなかった。しかし話そうとしないその態度が、逆にあの夜、二人とも関わっていたのだということを明確に示していた。
「バッグから指紋が検出されれば、言い逃れはできない」
「……夫が浮気していると思ってホテルに行ったら、知らない女物のバッグが置いてあったのよ。触ってもおかしくないでしょ」
「まぁ確かに。でも、なぜそのバッグがあおいさんが亡くなった現場に置かれていたんですか?」
「それは……」
「バッグが一人で歩いていったとか?」
「それは……この人が持っていったのよ!」
「おい、何を言い出すんだ。俺はそんなの持っていってないぞ」
「あ、あなたのせいよ!全部あなたのせいじゃないの!」
凉子は西木に掴みかかると、叫びながら何度も彼の体を叩いた。初めは殴られるままにしていた西木だったが、あまりにヒステリックに泣き喚きながら叩くのをやめない凉子に我慢できず、その腕を掴んでベッドへと突き飛ばした。
「そうやって、あおいさんも突き飛ばしたのか」
「な、何を言ってるんだ」
「自分に都合が悪くなると面倒になってすぐ投げる。そうやって女性を傷つけてきたんだろ」
「失礼だな!俺を誰だと思ってるんだ」
「奥さん、もしかしたらあんたが突き飛ばされたのは今日が初めてだったかもしれない。けれど、あんたはこうやってずっとご主人に精神的に突き飛ばされ続けてきたんじゃないですか?その高いプライドのせいで認めることはできなかったかもしれないけど」
「……そうよ、私はいつだってこの人に裏切られ続けてきた。あの女が死んだのは私のせいじゃない、この人のせいよ!」
そう言うと、凉子は自分のバッグからスマホを取り出し、カメラロールから一つの動画を陽大 たちの前に掲げて見せた。
「おい、何をやっているんだ!」
掴み掛かろうとする西木の腕を瞬時に壮介が掴み、背中で捻りあげる。
「何するんだ、離せ!」
興奮している様子で凉子が見せた動画には、西木があおいの手を振り払い、その反動であおいが後ろに勢いよく倒れ、ちょうどそこにあった岩に頭を打ちつける様子が薄暗いながらもはっきりと収められていた。陽大は軽く頭を振ると、凉子の手からそのスマホを奪い取った。
「ちょっと何するの?」
「これは預りますよ」
「預かるって」
「立派な証拠になる」
凉子は勢いに任せておこなった自分の行為が、自分の首をも絞める結果になるかもしれないということにようやく気づいた。
「待って、返して。冗談じゃないわよ」
「冗談じゃないのはどっちよ!」
部屋の中に何かが破裂したような乾いた音が響いた。
動画の内容にショックを受けたであろう真っ青な顔をしていたすみれが、凉子に近づきその頬を思い切りぶったのだ。
「きっと姉はあなたが既婚者だって知ってたんでしょ。知ってて不倫していたことはもちろん姉だって悪い。けど、だからって、ただの遊び相手だからって、こんな風になった姉を放っていっていいわけないでしょ!」
「だってもう死んでたのよ、事故なんだからしょうがないじゃない」
「は? あんた医者なの? 死んでなかったかもしれないじゃない。それに、たとえそれが事故で、たとえ本当に即死だったとしても、だからってそのまま、救急車も呼ばずに倒れている人を一晩置き去りにしていいわけないでしょ!」
部屋の中にすみれの声が響き渡る。頬を伝う涙がとめどなく溢れてくる。すみれをなだめるように蒼空 がそばに行き、その背中をやさしくさすった。
「旦那だけが罪をかぶればそれで終わりだと? ふざけるな」
「……」
「殺意を持って彼女を殺したわけじゃなく、事故で結果的に命を落とすことになってしまったのかもしれない。けれど、あんたらの行動は、殺意を持って人の命を奪ったことと何ら変わりはない。ましてやあんたは、頭から血を流して倒れている人の首から、あろうことかネックレスを引きちぎったんだぞ」
女装していた時の作ったような高めのトーンとは違い、普段の蒼空の声は意外と低く落ち着いている。
「壮介、蒼空の部屋にバッグがあるから指紋鑑定に回してくれ」
陽大が蒼空の言葉を引き継いで壮介に呼びかける。
「オーケー。向こうの時間短縮のために、ここで軽く自供を取っておいた方がいいんじゃないか?」
「そうだな。その先は、俺らの管轄じゃないし」
陽大は西木と凉子の方を向いて、有無を言わさぬ口調で言った。
「いいっすよね。お二人とも」
何か言い返したいと思いながらも何も言葉が出てこない凉子はぶたれた頬を手で押さえながら、ただ陽大たちを睨みつけるしかなかった。
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