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第12話
次の日の目覚めは恐ろしいほどスッキリしていた。こんなに体が軽く感じられたのはいつ以来だろう。僕はぼんやりと天井を見つめながらそんなことを考えていた。
そろそろ支度をしようと、ゆっくりと体を起こすと、真っ裸でベッドの上にいる自分に気づいた。一瞬この状況を上手く飲み込めなかったが、じわりじわりと記憶が蘇ってくると、僕は爽やかな目覚めから一変、地獄に突き落とされたような気分を味わった。
ああっ、そうだった!
僕は衝撃のあまりしばらく頭を抱えていたが、はっとして隣のベッドを見た。そこにはヴァレリオの姿はなく、綺麗に整われた空のベッドがあるだけだ。
僕は取り敢えずホッとすると、急いで下着を身に着け、服を着た。そして、洗面所で顔を洗おうとドアを開けた時、洗面台に立つヴァレリオと目が合った。
「あっ……」
僕は驚いてそう言うと、完全にフリーズしてしまった。ヴァレリオは、いつもの朝の散歩に行っているとばかり思っていたからだ。
ヴァレリオは鏡に目を移すと、自分の髪を整えながら、「おはよう」と言った。僕は余りの気まずさに、朝の挨拶に瞬時に答えられず、何度も『お、お』と繰り返してしまう。
「お、おはようっ」
僕はやっと挨拶をすると、洗面所に置かれた歯ブラシと歯磨き粉を慌てて手に取った。さっさと歯を磨いてしまえば、このまま無言を通せると考えて。
僕が手を震わせながら歯ブラシに歯磨き粉を乗せていると、ヴァレリオが突然僕に振り返った。驚いた僕はびくっと体を震わせると、その拍子に歯磨き粉が床にべちゃっと落ちた。
「あっ、お、落ちちゃった」
僕は慌てて洗面台のティッシュに手を伸ばそうとした時、ヴァレリオに手首を掴まれた。
「決めたのか?」
「え?」
ヴァレリオは真剣な顔で僕に問いかけた。
「な、何を?」
「照の気持ちへの答えだ」
僕はヴァレリオのその言葉を聞いて、自分が夕べ、照とのことをヴァレリオに話してしまったことを改めて後悔した。心の中に留めておけなかったそんな自分に、我ながら心底失望してしまう。というかヴァレリオは、僕との間に起きた衝撃的な行為の方は気にならないのだろうか。実はあれは夢だったという期待に僕は今全身で縋りたいが、あの時の自分は完全に素面だったのだから、それは多分ないだろう。
「あ、あのさ、ヴァレリオ……き、昨日僕が話した照とのことも、僕たち二人に起こった……ことも、すべてなかったことにしよう! 完全に忘れよう!」
僕はわざと大きな声でそう言いながら、ティッシュを手に取ると、歯磨き粉を拭き取るため床にしゃがみこんだ。
「忘れる? 摩央はそれができると思うのか?」
ヴァレリオは不思議そうにそう言うと、僕の両腕を掴んで立たせた。まだ床の歯磨き粉を完全に拭き取り切れていないというのに。
「で、できるよ……僕はすべてなかったことにできる。明後日も映画の撮影があるけど、僕は照と普段通りに接するつもりだよ」
ヴァレリオは複雑な表情をしながら僕の目をのぞき込んで来る。僕はヴァレリオの目を見返すことができず、きょろきょろと目を泳がせた。
「本気で言っているのか分からない。俺にはまだ摩央の真意を読み取れる技術がないからな」
「そ、そうだね。ヴァレリオは所詮、感情の乏しい宇宙人だからね」
僕はわざと嫌われるような言い方をして、この話を終わらせようとした。逃げていると言われればそれまでだ。照から好きだと告白されたことから。ヴァレリオとの性的な行為によって、自分のセクシャリティが暴かれそうになったことからも……。
「俺の目を見て言え。地球人は嘘をつくと目を合わせられないらしいからな」
何でそんなこと知ってんだよ……。
僕はうんざりしながら、これでもかとヴァレリオの目を見つめ返した。本当はもう限界なぐらい心が疲弊していて、誰かに縋りたいくらい辛いのに。
「嘘じゃない……」
そう言った途端、僕の片方の目から涙が一筋零れた。間髪おかずもう片方の目からもぽろぽろと涙が落ちてくる。
「うっ、あれ?……何だよ。何で僕泣いてんだよ……」
自分でも驚いてしまい僕は慌てて両手で自分の目を抑えた。
「やはり、摩央は正直だ」
ヴァレリオは優しくそう言うと、その大きな体で僕をぎゅっと抱きしめた。息をするのもままならないくらいの強さで抱きしめられているのに、不思議とものすごい安堵感に包まれる。
「く、苦しい……」
僕がそう訴えると、ヴァレリオは力を弱めて、僕の背中を優しく撫でた。
「今度照に会ったら、正直に自分の気持ちを伝えろ。嘘はつくな。それが照に対する礼儀だ」
ヴァレリオは僕の耳元で、凄くもっともらしいことを呟いた。毎日、超高速で日本の漫画や小説を何百冊も読んでいるヴァレリオの吸収力は半端ない。多分、有名な漫画のワンシーンの似たような台詞でも勝手に引用しているのかもしれない。僕はそう思いながらも何となく心がじんわりと熱くなってきて、こみ上がる涙を必死に堪えた。
「うん……分かった。でも、今すぐには無理だ。時間が欲しい」
「時間? 何故だ?」
ヴァレリオは僕の返答が予想外だったのか、目を丸くしながら僕を見つめた。
「僕は、まだ俄かには信じがたいけど、でも多分、同性愛者なんだと思う。こんなことがなかったら、一生気づかなかったかもしれない自分の鈍さが恥ずかしいけど……僕はね、照が本当に大切なんだ……でも、それは親友としてだと思っていたけど、もしかしたら違う可能性もある。僕は今、それを確かめたいと思ってる……」
「確かめる……」
ヴァレリオは混乱したように頭に手を置くと、宙を仰ぐような仕草をした。
「確かめてどうする? 摩央の気持ちがそれでハッキリするのか?」
「そうだね。すると思う……」
僕は混乱していた頭を整理するようにそうきっぱりと言った。確かに、僕は映画のために照と繋がっていたいと思っていたのは事実だ。僕はこの映画に賭けているし、全身全霊で取り組みたいと思っているから。でも、映画というものを抜きにしても、僕は照という男が人として好きだし、絶対に失いたくないと思っている。その強い執着が、もし好きという感情なら、僕はむしろ、その方が良いと思っているくらいだ。
ただ、照が僕にとって性的な魅力を備えているかはまだ判然としない。夕べ、風呂場で照にされた行為に僕の体が反応してしまったことは確かだが。でも、その後のヴァレリオとの行為に、初めて強い性的興奮を覚えたことも、疑いようのない事実ではある。
「ヴァレリオ……君こそどうなの? 僕にあんなことして、後悔してないの?」
僕は恐る恐るヴァレリオに尋ねた。
アルキロス星人であるヴァレリオは、同性愛などという概念は初めから持っていないはずなのに、何故夕べ僕にあんなことができたのか本当に今でも信じられない。もし、日本に来てからヴァレリオの感情が少しずつ豊かになりつつあるのだとしたら、夕べのことには何か大きな意味があるような気がして、僕は少し怖くなる。
「はあ……」
ヴァレリオは、天を仰いだままこれ見よがしに大きな溜息を吐いた。
「地球人は感情が豊かなはずだろう? 摩央は例外だ……」
「何で? どうして?」
僕は心外だと思ってそう言い返した。
「自分のことを分かっていない」
ヴァレリオはそう言うと、もう一度僕を抱きしめた。ただ、その抱きしめ方は、胸の奥を揺さぶるような甘さが滲んでいる。
「こうしよう。摩央。明日から摩央は、俺と照の部屋に交互に泊まる。そうやって最終的に、俺か照のどちらかを選べ」
「え、選べって、どういう意味?」
「俺と照の、どちらを『好き』か、選ぶということだ」
「はい?」
「摩央、俺も摩央が好きだ……」
「ええーー!!」
僕はそう叫ぶと、バカみたいに口を開けたまま茫然とヴァレリオを見つめた。
「やっとワクワクの正体を見つけた……」
ヴァレリオは納得したように何度も頷くと、僕のおでこにさり気なくキスを落とした。
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