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第13話
僕は茫然と歯を磨いた後、倒れ込むようにベッドに寝転んだ。しばらくそうしていると、突然知恵熱のような熱が出始めてしまい、しょうがなく僕は朝から講義を休もうと考えた。ヴァレリオは、僕にとんでもない提案を意気揚々と投げかけると、僕の返事など無視して、さっさと朝食に出かけてしまった。
これは夢だ。夢に違いない……。
そう何度も自分に言い聞かせるが、頭の中でヴァレリオからの『好きだ』という言葉がぐるぐると駆け巡り、僕は髪の毛をぐしゃぐしゃと掻きむしりながら悶えた。
二人から同時に愛の告白をされるとは一体どういうことだろう。僕にモテ期が到来したということなのか。それも男から。これは、この大学に男しかいないという異常な環境のせいかもしれない。大学を卒業して世の中に出れば、悪い夢を見ていたと洗脳が解けるように気づくかもしれない。
僕はさっきヴァレリオに自分は同性愛者かもしれないと伝えたが、それもまだ確信は持てない。この異常な環境に身を置いているのは僕も同じなのだから。でも、その曖昧な確信を、いつかちゃんと自信を持って「そうだ」と言えるようになりたいという気持ちはある。僕が映画監督になるには、自分のアイデンティティが揺らぐようでは駄目だからだ。表現者として、僕自身が確固たる自分を持っていなければ、人を感動させるような作品は作れない。
僕は布団の中で悶々と考えていると、熱がどんどん上がってくるのが分かる。
『俺と照のどちらかを選べ』
ヴァレリオの提案は突拍子がなくてめちゃくちゃだ。それはとても自由な発想ではあるが、ここ日本ではあまりにも受け入れがたい方法だし、僕の気持ちを完全に無視している。
でも、よく考えると、感情の乏しいアルキロス星人が『好き』という感情に目覚めたという驚きの事実でもある。だからこそ、まだ地球人のような繊細な感情を持っていないからこそできる、とても合理的な発想とも言える。
正直その発想についていくのはとても耐えがたい。ただ、自分の映画をもっと良いものにしたいという欲望が僕には強くある。そうなると、ヴァレリオの提案を無視することは得策ではないと考える、利己的な自分に結局行き着いてしまう。
僕は今熱に浮かされながら必死に頭を使う。
そう。もう答えははっきりしている。僕はヴァレリオの提案をとりあえず受け入れよう。ヴァレリオから目覚めた『好き』という感情を否定せず大切にすれば、今よりも更に良い演技をしてくれるに違いない。この映画はヴァレリオの演技にかかっている。僕を好きだというヴァレリオの感情が、ヴァレリオ演じる映画の中の青年の感情とシンクロすればするほど良いのだから。
そして僕は、最終的に照を選べば良い。それに、留学が終われば、ヴァレリオはアルキロス星に帰るしかないのだから。
そう決心したのはいいが、僕は急に激しいジレンマに襲われた。結局自分の利益ばかりを追求すると、自分自身を苦しめることになるみたいだ。きっとそれが宇宙の法則なのかもしれない。
僕はもう一度深く考えた。自分ができる最善の方法は何かを。
僕は照を選ぶと決めたが、やっぱり二人の思いを一旦真摯に受け止めることにする。そして、ちゃんと僕の中ではっきりとした答えを出そう。そうと決めたら、自然と体から熱が消えていくのを感じた。
僕は明日からヴァレリオの提案通りに交互に二人の部屋に泊まる。そして、二人と接しながら、どちらを、より『好きだ』と感じるかを決めよう。僕にその感情が生まれるか否かは分からないけど、誠意を持って、やるだけのことをやってみよう。
ただ、照になんと説明すればよいか、照がそれを理解してくれるかは甚だ疑問だ。でも、僕が完全に照を拒絶するよりはマシだと思ってくれるとありがたい。そう思ってもらえれば、きっと映画の撮影を続けることができる。
僕って、マジで最低な人間だな……。
また利己的な自分が顔を出し、胸の奥から嫌な感情が込みあがって来る。でも、これが本当の自分だからしょうがない。この嫌な部分を持った自分も、紛れもなく僕だから。
二人を傷つけてしまうことは避けられない。どうして自分が選ぶ側にいるのかも本当に信じられない。でも、二人がこんな僕を好きになってくれた事実を、僕は心からありがたく受け入れよう。
誠実に。ありのままの自分で行け……。
僕はそう強く自分に言い聞かせると、ベッドからゆっくりと降りた。
自分の部屋を出ると、僕はまっすぐ講義室に向かった。講義中の部屋に入った瞬間、前の方の席に座っている照と目が合った。照は驚いたように目を見開くと、慌てて僕から目を逸らした。僕は迷わず一番後ろの空いている席に座った。今日の内容は「航空機の設計」で、僕の苦手分野だ。宇宙飛行士を目指す照には、今日の講義は重要な分野だから邪魔しないようにしなければならないが、照は何度も後ろを振り返り、明らかに僕を気にして、講義に集中できないでいるようだった。だから僕は、手首から透明ディスプレイを出すと、照にメールを送った。
『この講義が終わったら話がある。中庭のテラス席まで来てくれ』
僕がそうメールを送ると、照から速攻で『了解』という返事が届いた。
テラス席には数名の学生がいたが、ちょうど一つテーブルが空いていて、僕はそのテーブル席に腰かけ照を待った。緊張していないと言ったら噓になる。今にも心臓の音を聞かれそうなほどドキドキしているが、僕は平静を装いながら照を待った。
中庭にあるアーチは、以前は艶やかな薔薇の花だったのが既に別の花に変わっていた。薔薇の命は短いというけど、『ほんとだな』と、僕はその景色を見つめながら心の中で呟いた。
その時、アーチを潜ってこちらに向かってくる人物に気づいた。僕はそれが照だと分かると、慌てて手元にある水の入ったグラスに目を逸らした。いきなり正面から現れるとは、流石に予想をしていなかった。
「ごめん。待たせた?」
照は僕の正面に座ると、素早く足を組み、テーブルに肘を付くとすぐ、自分の顔の前で両手を交互に組んだ。でも、その両手が小刻みに震えていることに僕は気づいてしまう。
「いや、待ってないよ」
僕は落ち着きのない照の様子を初めて見てしまい、伝染するように、僕の緊張はさらに加速する。
「あ、あのさ……」
二人同時に同じ言葉を発してしまい、僕たちは気まずそうに顔を見合わせた。
「あ、照の方から……」
僕は、照がどんなことを口にするのか気になってそう言った。もしかしたら照もそう思っているのかもしれないが。
「あ……ああ、あれだよ! 夕べのこと……俺さすがにやり過ぎたなって思って、謝りたくて……ごめん。摩央……」
照は、交互に握った両手を自分のおでこに強く当てながらそう言った。本当にすまなそうな気持が伝わってきて、僕は胸が苦しくなる。
「でも、摩央のことを好きだって言ったことは嘘じゃない……あんな形で伝えたこと、すごく後悔してるけど、本当に嘘じゃない……俺ずっと気持ちを伝えられなかったんだ……自分がゲイだってことも、全部……」
照は眉間を苦しそうにしかめながら、まるで何かを強く祈るような仕草でそう話す。
「そうだよ。ひどいよ。何が演技レッスンだよ……ちゃんと伝えてくれればいいのに」
「ごめん! 摩央! 嫌だったよな? 気持ち悪かったよな?」
照はテーブルに両手を付いていきなり立ち上がると、僕を見下ろしながら震える声でそう言った。
「気持ち悪くはなかったよ……ただ、驚いたし、ショックだった。照との友情がもう終わりもしれないって思ったら、死ぬほど悲しかった」
「摩央……」
照は気が抜けたようにストンと椅子に座ると、項垂れながらテーブルに目を落とす。
「あのさ、夕べあんなことがあって気づいたんだ……こんな形で気づくこと情けないけど、僕も多分……ゲイなのかもしれないって……」
「へ?」
照は項垂れていた顔を勢いよく持ち上げると、目を見開きながら僕を食い入るように見つめた。
「夕べさ、自分のあれが中途半端な状態のまま、僕は自分の部屋に戻っただろう? 部屋にはもちろんヴァレリオがいたわけだから、『これはどういう状況だ?』ってヴァレリオに聞かれても、上手く説明できないし、やっぱ説明なんてしたくないし。ただ、照が僕を好きだってことを、自分の弱さから思わず口走っちゃったから、結局自分の体がこうなってるのは、照のせいだってことがバレて……」
照は黙って僕の話を聞いているが、テーブルに置かれた手が徐々に握り拳になっていくことに気づく。
「トイレで、自分で処理しようとしたんだ。でも、ヴァレリオに強引にテレキネシスを使われて、抵抗できないままキスされて……結局、口でイカされた……」
その時、照が『ダンッ』とテーブルを強く叩いた。テーブルに置かれたグラスがその弾みで倒れるくらいの強さに僕は驚き、慌てて照を見ると、照は顔を真っ赤にさせながらわなわなと震えている。
「ま、ま、ま、ま、待ってくれ……キ、キス? く、口でイカされた??」
照は一目も憚らず、叫ぶようにそう言った。
「て、照っ、声大きい……そうだよ。それで気づいたんだ。照からされた時も、ヴァレリオからの時も、僕は確かに性的興奮を感じていたんだよ……だからきっと、僕もゲイなんだと思う……」
「あり得ない、あり得ない、あり得ない……あいつ殺してやる、俺が絶対殺す……」
照はぶつぶつと呪文でも唱えるように物騒なことを言うと、僕の手をいきなり両手で掴んだ。
「お、俺が言ったとおりだ。あいつは危険だって! これは犯罪だ。嫌がる摩央に無理やり性的な行為をしたんだからな! あいつは性犯罪者だ!」
照は顔を歪ませながらそう叫んだ。その目は怒りで赤く血走っていて、僕まで殺されそうな勢いだ。
「人のこと言えるかよ。先にしてきたのは照だろう?」
僕は冷静にそう言うと、照の手を握り返した。照はびっくと体を震わせると、目を泳がせる。
「ヴァレリオにも好きだと告白された。信じられないよ。一度に二人から。それも男に」
「告白?」
「ああ。僕を好きだって。何故だ? 何故僕なんだ? 照もヴァレリオもおかしいよ。ヴァレリオに関しては、感情が少しずつ豊かになってるし……」
照は片手で僕の手を握りながら、もう片方の手で重たそうに頭を抱えている。
「ちくしょう、あいつ、何で摩央なんだ……」
照は苦しそうにそう呟くと、僕の手を痛いくらい強く握った。
「痛いよ……あのね、照。ヴァレリオからこんな提案をされたんだ。今日から僕は照とヴァレリオの部屋に交互に泊まる。そうしながら照かヴァレリオのどっちを好きか選べって。そういうところが、アルキロス星人らしい合理性というか、なんというか。でも、僕はそれを受け入れたんだけど……照、どうかな?」
照は僕の手をぱっと離すと、いつも綻びなく決まっているヘアースタイルをぐしゃぐしゃとかき回し始める。
「意味わかんない……何で摩央はそれを受け入れるんだ? どういう魂胆だ? 摩央はヴァレリオが好きなのか?」
まるで浮浪者のように無造作に散らばった髪のまま、照は泣きそうな顔でそう言った。さっきから感情の振れ幅が半端ない。
「いや、それは僕もまだ分からない。ただ、ヴァレリオからキスされた時、なんかこう、嫌じゃなかったんだ。それに、人間? 宇宙人? としても面白いし、これから先の、俳優としての彼の素質にも興味がある」
「嫌だ……聞きたくない。そんな話。それにそれは好きとかいう感情じゃない。摩央は結局誰も好きじゃない。あれだろ? 俺たち二人の気持ちを受け入れるような振りしてるけど、結局は自分の映画のためなんだろう?」
照は耳を塞ぎながら、子どもみたいにぶんぶんと顔を横に振った。僕は照の鋭さに胸が痛んだが、逃げずに話を続ける。
「そうだね。その通りかも。僕は自分の映画のためなら何でもするって確かに言った。でもね、これだけは嘘じゃない。僕は照が大切なんだ。好きだと言われた時は、照の気持ちを受け入れられないと思ったから、もう僕たちの友情は終わったってそう思ったけど、僕はそんなの嫌なんだ。絶対に照を失いたくないから」
「じゃあ、何で? それは摩央も俺を好きだと思っていいってこと?」
照はボサボサの無造作ヘアのまま、僕を探るような目で見つめてくる。
「ヴァレリオの提案に僕が乗った理由はね、僕の映画にとって、ヴァレリオの僕を好きだという感情は宝物みたいに貴重だって気づいたからだよ。だから、その気持ちを無くさせては駄目だと思ったんだ……それに、照のことも、僕が照の気持ちを拒絶したら、照との関係が壊れてしまうかしれないし、映画の撮影も続けられなくなるかしれない……」
照は目に薄っすらと涙を滲ませながら、僕の話を黙って聞いている。
「そう思ったら僕は、ヴァレリオの提案にメリットを感じたんだ。僕自身は恋愛経験がまるでないし、これを機に、誰かを心から好きだと思える気持ちを知りたいなって……ああ、結局僕はエゴイストだ。自分のことしか考えてない」
自分でも、話せばなすほど、自分という人間が大嫌いになる。照もヴァレリオもバカだ。僕を好きになっても何の意味も得もないのに。
「……そんなの、もう知ってるよ。俺が一番摩央のこと分かってる。摩央はそういう奴だってこと。それでも俺は摩央が好きなんだよ。恥ずかしいけど、これが恋ってやつなんだ。摩央にはまだ分からないだろうけど……」
「照……」
僕は照の言葉に胸がぎゅっと痛くなる。こんなにも照から愛されていることに感動し、息もできない。
「あいつは所詮空っぽの宇宙人だ。恋愛レベルは地球人には叶わない。だから何も怖くない……オッケー、俺もその話に乗るよ。乗ったからには絶対に負けない……ただルールを決めよう。あのクソ野郎には絶対にテレキネシスを使わせないこと。もし使おうとしてきたら、例えアルキロス星のクソ王子でも、俺は摩央の父親にこのことを話して、あいつを即刻自分の星に帰らせる……それと……」
照は勿体ぶるように次の言葉までに時間をかけた。
「摩央は決めた相手と必ず体を繋げること……これを約束してくれ」
照はそう言うと、目頭をごしごしと両手で乱暴に擦り、次はボサボサになった頭を奇麗に整え始めた。そうすると、いつもの完璧な竹ノ内照ができあがる。
「つ、繋げる?……それって最後までするってこと?」
僕は照の条件に目を丸くして驚いた。僕は女性との性体験もない童貞だというのに。そんな僕が同性同士で最後までするなんて。そのハードルの高さに頭がクラクラしてくる。
「そうだよ。心から好きな相手と最後までするって、一番わかりやすい愛の証明になるだろう? その相手を、摩央が選べ」
照は、いつものようにテーブルからスマートに立ち上がると、有無を言わせない圧力を放ちながら、僕の肩に手を置いた。
「ルールの件はおれがあいつに話しておくよ。ただ、脅しまがいに言ってやる……」
照は不適な笑みを浮かべてそう言うと、僕の前から颯爽と姿を消した。
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