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第14話
明日は映画の撮影がある。撮影するシーンはこの映画の一番の見せ場のシーンだ。彼女と教授がサークルの部室で口論をする。その場に偶然居合わせた青年が二人の間に入る。これをきっかけに青年と彼女の距離が縮まり付き合うようになる。
僕と照とヴァレリオの絡みがあるからか、正直不安しかない。二人が僕を好きだという現実が演技にどう影響を与えるか。監督としてどう演技指導をしようか。考えれば考えるほど不安しかなくなる。
僕はそれを一蹴するように、ドアノブに手をかけ、自分の部屋を出ようとした。
「摩央」
その時、真後ろにヴァレリオの気配を感じた。ヴァレリオは僕の背後に立つと、僕を後ろから強く抱きしめた。その抱きしめ方は少し乱暴で、僕は軽く息が止まった。
「行かせたくない……」
ヴァレリオは僕の耳元に口を寄せると、そう言った。
「は? 何言ってんの? 自分で決めたことじゃん。日本ではそういうの『男に二言はない』って言うんだよ。覚えといて」
僕は呆れながらそう言うと、長い両手でクロスするように抱きしめているヴァレリオの手を、軽く叩いた。
「明日の撮影期待してるよ。難しいシーンだから、僕も少し不安だけど、照とも上手く心を通わせながらやってね」
僕は、無理なことを言っているなと客観的にそう思ったが、監督として俳優を鼓舞しないわけにはいかない。
「はっ、あいつと心を通わせるなど死んでも無理だ。あいつが俺に何て言ったと思う? 俺がもし摩央にテレキネシスを使ったら、殺すと言ってきた。さすがに驚いた……」
僕は深い溜息を吐くと、項垂れながらドアにおでこを押し付けた。
僕はその時、未だ照に、日本政府からヴァレリオを丁重に扱えという指示が出ていることを伝えていないことに気づいた。父親からも釘を刺されているのに、こんな形で二人が敵対するとは、想定外過ぎて最早ギャグではないか。
僕はドアからおでこを離すと、ヴァレリオに振り返った。
「そのくらい照は僕を好きだということだよ。どうする? ヴァレリオ。卑怯な手を使って僕を強引に……なんてことまさかしないよね?
あ、一度してるか。でも、それは百歩譲って大目に見る。大丈夫? 僕は卑怯な宇宙人は嫌いだよ?」
僕は嫌味ったらしくそう言うと、少し挑発的な笑みを浮かべながらヴァレリオを見上げた。
ヴァレリオにテレキネシスを使われでもしたら、もちろん僕も恐怖だし、それ以上に照が何をするか分からない。多分、ヴァレリオが日本の超絶VIPだと照に教えても、照はきっと僕のことになると我を忘れるはずだ。それだけは絶対に避けたい。
何してんだろう……僕は。
ふと我に返ったようなみじめさに襲われる。でも、これは全部僕が撒いた種だ。僕が映画を完成させたいという欲望の現れ。
「ああ。大丈夫だ。約束する。二度とあんな真似はしない……だから摩央も、俺に心をもっと開いてくれ」
ヴァレリオはそう言って僕の顎を掴み持ち上げると、優しく触れるだけのキスをした。その時、僕の心臓がトクンと大きく脈を打った。何かが僕の唇を通じて入り込んで来るような感覚を覚える。それは、昔大ヒットしたSF映画のエイリアンに寄生されていくような感じに近いだろうか。
僕は急に怖くなった。こんな言葉を紡げるほどヴァレリオの感情は日に日に成長している。出会ってからまだ一か月半ぐらいしか経っていないのに。この恐ろしいほど魅力的なアルキロス星人の発展性は、僕にとっては最早脅威でしかない。
「あ、えーと、行かなきゃ。照が待ってる。今日は照のおすすめの映画を今から見るんだ」
僕は動揺を気づかれないようにそう言うと、ヴァレリオに背を向け、部屋を出た。
照の部屋の前に立ち、ドアに手をかけた時、僕はあの夜の出来事を思い出してしまった。あの夜バスルームで起きた出来事が頭にちらついてしまい、僕はドアを開けることを少しだけ躊躇した。
でもそれは、もしまたそういうことが起きてしまった場合に、自分がどう対応すべきかが分かっていないというのもある。好きだから受け入れるのか、本能的な性的欲求のために受け入れるのか。そんなことも判然としない状態で、僕は二人と何を始めようとしているのだろうか。
でも、これも映画のためと割り切るのは簡単だ。でも、もちろんそれだけではない。僕は二人をもっと良く知ることで、僕という寂しい人間を、少しでも深みのある人間に変えていきたいという願望もあるから。
ああ、結局僕は自分のことしか考えていない……。
堂々巡りの自分に辟易しながら、僕は思い切ってドアを開けた。
ドアを開けて照の部屋に入ると、照は勉強机に座り熱心に読書をしていた。普段かけない眼鏡姿に思わずドキッとする。照の見た目はどちらかというとチャラい方だ。でも、風呂上りだからだろうか、いつもはすっきりとおでこを出し、ふんわりとワックスで遊ばせている髪型が、おでこには前髪がかかり、髪全体がしっとりと頭に乗っている。そのせいで、いつもとは違う、落ち着いた優等生のような雰囲気に僕はギャップ感じ、思わず見惚れてしまった。
「あ、来たな……今ちょっと次の課題の勉強中だったんだ。もうこの辺でやめる」
照は眼鏡を外すと、僕に優しく微笑みかけた。
「眼鏡……普段からしてたっけ? 似合うなと思って……」
僕は感じたままをそのまま伝えた。というよりは自然と口から零れ出た感じに近い。
「ああ、これ? これはまあ、俺の魅力をアップさせる必須アイテムかな」
照は眼鏡をいじりながら意地悪な笑顔を見せた。
「作戦成功らしいな……どうする? かけたままの方がいい?」
照はまた眼鏡をかけると、僕に顔を近づけ覗きこむようにそう言った。
「はっ、何それ……ど、どっちでもいいよ」
僕は恥ずかしさで声が上ずり、慌てて照から目をそらした。
「ふふ、可愛いなあ、摩央は……」
照はそう言うと、椅子から立ち上がり、この間と同じように冷蔵庫に近づいた。
「今度こそ飲む?」
冷蔵庫からまたしてもビールの小瓶を二本取り出すと、照は僕に向かってもう一本を投げて寄こそうとする。
「あ、待って! 投げないで」
僕はそう言うと、照に近づきビールを手に取った。
「僕、運動神経ないから嫌なんだよ。キャッチできる自信ない」
「どんだけだよ……でも、ビール瓶足の指に落として、悶絶する摩央が見てみたかった」
照は意味不明なことを言うと、『こっち来て座ろう』と言い、僕の手を引っ張った。
僕たちは照のベッドの上に、ベッドヘッドを背もたれにしながら二人並んで座った。二人でビールを半分以上ぐらい飲んだ後、『そろそろ』と言い照は眼鏡を外した。そして、手首から透明ディスプレイを映し出すと、僕と照のちょうどいい視線の先にそれを固定させる。こうすると、照とディスプレイは切り離されるので、照が動いてもディスプレイには影響はない。サイズも自由に変えられるが、これは価格によって若干機能差があるようだ。ここまで画面を大きくできるということは、照の端末は高機能のものかもしれない。
照は、サブスクリプションの中から映画を検索し始めた。
僕はこのシチュエーションに、さっきから落ち着かなくてしょうがない。よく考えてみたら照の部屋にはベッドは一つしかない。盲点だった。寝袋持参で来るべきだった。
「あっ、これだ」
照は大きな声でそう言うと、手首をなぞりながら、お目当ての映画のタイトルの前で、手首を軽く指で叩いた。
「この映画、初めて見た時めちゃくちゃ感動してさ。すぐ摩央に教えたいって思ったんだよ」
照は興奮気味にそう言うと、すぐ横にいる僕に顔を向けた。僕は至近距離にある照の顔に、ドキッと心臓を鳴らした。
シングルベッドだから、大人の男が並んで座るにはやはり窮屈だ。二人肩を寄せ合って座っているから、顔の距離も必然的に近くなる。
僕は自分の動揺を紛らわすように、残りわずかなビールを一気に飲み干した。
「あ、ペース早いな。もう1本飲む?」
僕のビールが空なことに気づいた照は、そう言って立ち上がろうとした。だから僕は慌てて照の肩を掴むとそれを制した。
「い、いらないよ。映画に集中できなくなるから」
「そう?」
照は残念そうな顔をすると、勢いをつけて自分の場所に腰かけた。その反動でさっきより距離が縮まり、お互いの体が長く触れ合うと、そこから照の体温をじんわりと感じてしまい、僕は益々落ち着かなくなった。
「映画に集中か……俺、できるかな」
「え?……」
照はまるで独り言のようにそう言うと、真っ直ぐ前を向いたまま手首を叩いた。
僕は、照の言葉がちゃんと聞こえてしまったせいで、自分の心臓が強く鼓動を打ち始めた。もしかして照も僕と同じような気持ちなのだろうか。そんな想像をすると、僕はこの状況を変に意識しない方が良いと気持ちを切り替えた。
「照のおすすめの映画楽しみだな」
僕はわざと元気よくそう言って、空気を変えようとした。
「そうだよ。超おすすめ。でもこの映画バッドエンドなんだよ。でも、ちゃんと希望を持たせた終わらせ方してくれるから救われるけどな。こういう映画ってさ、いつまでも心に残るだろう? やっぱり映画ってインパクトが重要だよね」
照は熱を込めながらそう一気に話した。
「それ先に言う?」
僕は少し拗ねた態度を取りながら照に言い返す。
「あ、ごめん! うっかり」
照はすまなそうに眉を寄せると、僕の腕に体当たりをするように体重をかけてきた。そのせいで僕は態勢が傾き、ベッドに手を突こうとしたが空ぶってしまう。
「うわっ」
僕がそう叫んだ時、照が「大丈夫か」と言い、素早く僕の腕を掴んで引き寄せた。
「だ、大丈夫だよって……え?」
その時、照は更に僕の腕を引き寄せると、その勢いのまま僕を強く抱きしめた。
「ああ、ダメだ……ねえ摩央、キスしていい?」
照は僕の肩に顔を埋めると、こもった声でそう言った。
「ええっ!? そ、そんないきなりなっ」
僕は驚きすぎてしまい、思わず素っ頓狂な声を上げた。
「……俺、悔しくて堪んないんだよ。何で摩央はあいつと先にキスしてんの? 何で俺じゃないの? ああ、想像しただけで、嫉妬で狂いそう……」
照は顔を埋めながら熱っぽくそう言った。僕はどうして良いか分からず、照の背中にそっと手を乗せ軽く叩いた。その僕の行動に反応するように、照はいきなり顔を上げると、僕の顔を真っ直ぐ見つめた。照の顔は、照だと分からないくらい歪んでいて、僕は、自分が照に与える影響力の強さに困惑してしまう。僕という人間には、照をこれほどまでに苦しませるような価値などないはずなのに。
「そんなに強い嫉妬心を、僕は今まで感じたことがない……照は今、どんな気持ちなの?」
映画では良くある感情だ。その感情が行き過ぎて、悲惨な結末になることも良くある。でも、僕はいつもその感情があまり理解できなかった。自分なりに想像はしていたが、今、目の前のリアルな照の感情が知りたくて、僕は尋ねた。
「……めちゃくちゃ辛いよ。言葉では言い表せない……」
そう答える照の声は、辛い気持ちを表すように、いつもより低く掠れている。
「……そうだよね……ごめん……こんなことになってしまって、本当にごめん……」
謝る資格などないのに、僕はヴァレリオの提案に乗り、こんなことを初めてしまった自分のズルさを強く思い知る。
「やめろよ。謝られたら惨めになるじゃん……」
照は、僕の肩に手を置き自分の体を離すと、切なげに僕を見つめた。
「今は摩央と一緒だから何とか耐えられる。でも、明日あいつと一緒にいる摩央を想像すると、多分今よりもすげー辛い……ああっ、やっぱこんなことやめればよかった……」
照は辛そうに天井を仰ぐと、僕の肩にぐっと力を入れた。
「キス……いいよ、しても」
何故こんなことを言うのか自分でも分からない。でも、照の辛い気持ちが少しでも和らぐのなら、僕は照とのキスを厭わない。
「……それ、どんな気持ちで言ってんだよ。摩央、お前ってほんとズルい……」
照はいつもの男らしい顔を、少しだけ頼りなげな表情に変えると、僕の後頭部に自分の手をそっと添えた。
「どうしよう……やっと摩央とキスができる。心臓破裂しそう……」
「何言ってんだよ。それ以上のことしたくせに。順番めちゃくちゃ」
「あ、あれは、あいつに先越されたらって思ったら、どうにかしてでも、摩央とその……」
照は、自分がとんでもないことを口走っていることに気づいていない。そのぐらい舞い上がっている照が、僕はまだ不思議でしょうがない。
「照、これだけは約束だよ。もしキス以上のことしてきたらね……僕は他の誰かのとこに泊まる……って、あ、ダメだ。僕は照以外に友達いないから、他に泊まるとこなんてないや……」
強気に出たのに、自分の心が尻すぼみに弱気になっていくのが恥ずかしい。
「あはは、しない絶対に。心から誓う」
照は顔を引きつらせながら余裕なく笑うと、僕の後頭部に添えた手に力を込めた。
「好きだよ。摩央……摩央も俺を好きになってくれ……」
照の言葉に、僕の胸はぎゅっと苦しくなる。でも、その後すぐ、胸の苦しみ以上の強烈な刺激が僕を襲った。
「ふっん……」
照は僕の頭をゆっくりと引き寄せると、僕の目を見つめながら、僕の唇にそっと自分の唇を這わせた。それはまるで、僕の唇がここに実存するのを確かめるような官能的な動きだ。
「摩央……」
照は僕の名を呼びながら、自分の唇を更に深く僕の唇に沈める。その深さが増していくと、僕はその圧力で堪らず口を開けた瞬間、照の舌がそれを狙ってぬるりと入り込んだ。
「んんっ」
僕はあっという間に照に自分の舌を捉えられ、絡めとられた。照の舌は熱く潤っていて、お互いの舌が触れた瞬間、僕の細胞が、その刺激を待ち望んでいたかのように嬉々と反応するのが分かる。
まずい……。
僕は自分をしっかり保っていないと、このまま照のキスに飲み込まれてしまいそうで怖くなる。
「摩央、摩央……好きだ……」
照は口が離れた少しの瞬間に、僕を真っすぐ見つめそう言った。
「摩央は? 摩央は?」
必死に僕に問いかける照の目は熱く潤んでいて、僕は照がどこまで理性を保てているのか不安になる。
僕は何も言えなかった。本当に何も。
照は悔しがるように眉根を寄せると、さっきよりも少し乱暴に舌を絡めた。その動きには苛立ちのようなものが込められているように感じたが、僕はそれに気づかぬふりをしながら必死に照のキスに応えた。
「ふう、んっ、はあ、く、苦しい……」
僕がそう言って口を離しても、照は構わず僕の口を塞ぎキスを続ける。
照のキスは巧みだった。ヴァレリオの時もそうだったが、僕以外の人間と宇宙人は本当に性のレベルが高い。僕は照のキスに骨抜きにされそうになる。このまま行ったら、あの時みたいなことになる。
「て、照……もおっ」
僕は照の胸を押してキスをやめさせた。
照はハッとしたような表情をすると、「ごめん」と言い下を向いた。
「……まずいよ。駄目だよ」
僕は思わずそんな言葉が口から零れた。
「何が?」
照が僕を探るような目でそう尋ねた。
「いや……なんでもない。映画見よう……」
僕はそう言って、自分の言葉を誤魔化した。
「……はあ、摩央はこんな状態でも映画見られるんだな……」
照は苦しげに息を吐きながらそう言うと、自分の手首を軽くタップした。
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